第129話:外殻結晶の1800本クラックと魔力漏洩
工期23日目、午前8時00分。
地下100階、全高500メートルの世界の心臓『始祖コア』。
前日に成し遂げられた「10000万トン全数同期油圧リフティング」によって、南西に3.8度傾斜していた巨大結晶は、公差0.032ミリという神業のような精度で1000年前の完全な垂直姿勢を取り戻していた。
だが――世界の心臓が直立したことは、原状回復工事の完了を意味してはいなかった。
むしろ、それは更なる地獄の門を開く号砲に過ぎなかったのだ。
「全高層作業員、直ちに遮熱シールドの内側に退避せよ! 結晶表面から最低15メートルの離隔距離を確保! 絶対に手を出すな!」
エドワードの切迫した怒号が、外周立体トラス足場の全フロアに響き渡った。
――ビキビキビキッ……! ボォォォォォォォンッ!!
直立姿勢を取り戻したことで、始祖コア内部の超高圧エーテル流は1000年ぶりに本来の正規循環ルートを回復した。
しかし、その結果として、コアの内部圧力は定格設計値である『350メガパスカル(約3500気圧)』まで一気に跳ね上がったのだ。
内部から加わる猛烈な超高圧。
1000年にわたる偏心運動によって疲労破壊を起こしていた外殻結晶は、その正規圧力に耐えきれず、全周に刻まれていた『1842本』もの亀裂から、摂氏300度を超える高圧魔力プラズマが、まるで間欠泉のように猛烈な勢いで大気中へと噴出し始めたのである!
バチバチバチッ! ドォォォォンッ!!
青白いプラズマのジェット噴流が、高度50メートルから450メートルに至る足場の至る所で火柱のように吹き上がる。
突風に乗ったプラズマ粒子が青白い稲妻のように宙を走り、足場のミスリル手すりパイプに触れた瞬間、激しい放電アークが散って鋼管がジュウウッと赤熱し、白煙を上げて溶解しかけた。
近づけば、生身の人体など一瞬で感電死するか、炭化して消し炭にされる。
足場が完成し、作業員の手が届くようになったはずの巨大結晶は、一転して触れることすら許されない『死の超高圧プラズマ地獄』と化していた。
「ひぃっ……! あ、危ねえっ!」
高度200メートルのキャットウォークで、若手兵士が悲鳴を上げて後ろへ飛び退いた。
目の前の亀裂から噴き出したプラズマの火花が、ヘルメットのポリカーボネートシールドをチリチリと焦がす。
一歩下がるのが遅れていれば、頭部ごと消し炭にされていたところだった。
作業員たちの間に動揺が広がり、足場全体が騒然となる。
「アレク主任、状況は極めて深刻ですわ!」
地上50メートルの中央計測デッキで、シエルが青白い顔でホログラムモニターを指差した。
「外殻全周におけるプラズマ漏洩クラック、総数1842本! 深さは最大で外殻厚みの半分に達する2.4メートル! 魔力漏洩率は毎秒12万エーテル単位を記録しています! このまま内圧が外へ漏れ続ければ、コア内部で『キャビテーション(超高圧空洞崩壊現象)』が発生し、あと6日で結晶全体が内側から自壊・粉砕します!」
「クラックの総数、1842本か」
黄色いヘルメットのアレク・ユグレットは、単眼鏡を構えて噴き上がるプラズマの火柱を冷徹に見つめた。
その双眸に、恐怖や焦りの色は微塵もなかった。
アレクの手元の図面バインダーには、昨日までのレーザースキャンによって、1842本すべての亀裂の位置、長さ、深さ、そして噴出圧力が、詳細な座標データとともにナンバリングされて記録されていた。
「アレク……こんなプラズマが吹き荒れてちゃ、職人を近づけることすらできねえぞ!」
本部デッキに駆け戻ってきたエドワードが、悔しげに拳を握りしめた。
「手を出した瞬間に焼き豚になっちまう! 道具を近づけただけで融解しちまうんだ! どうやってその1800本の傷を塞ぐってんだよ!? 力づくで叩き込める相手じゃねえぞ!」
「焦るな、エドワード。高圧プラズマが噴出しているということは、流体力学的には『内圧が外に向かって抜けている』という状態に過ぎない」
アレクは淡々と図面を開き、指先で補修工程のフローチャートを示した。
「クラック補修における基本原則は三段階だ。
第一に、局所急冷による『吸熱消火』。
第二に、超高圧注入器による『導魔性無収縮ミスリルパテの深部圧入』。
第三に、超音波探傷器による『内部気泡ゼロの非破壊品質検査』だ」
「きゅ、吸熱消火……? そんな摂氏300度の魔力プラズマを一瞬で冷やせる冷媒なんて、この世にありますの!?」
ルシアが目を丸くして尋ねる。
「あるぞ。ここに」
アレクが足元に視線を落とすと、そこには丸々とした水色のスライム――アレクの相棒『ポチ』が、プルプルと得意げに体を揺すっていた。
「ピキュッ!」
「ポチは、あらゆる魔力を吸収して冷却エネルギーに変換する特殊スライムだ。ポチが体内で生成する『絶対零度魔導吸熱ジェル』を用いれば、摂氏300度のプラズマ噴出孔を一瞬でマイナス50度まで急冷し、噴出を完全に凍結・沈静化させることができる」
「おおっ! ポチのジェルか!」
エドワードの目が輝いた。
「だが、冷却だけでは傷は塞がらない。冷却によって噴出が止まっているわずか『90秒』の間に、深さ2メートルの亀裂の奥底まで、コアと同等の結晶強度と導魔率を持つ特殊樹脂を高圧で圧入しなければならない」
アレクは本部デッキの奥に整然と積まれた、厳重な黒塗り木箱の山を指差した。
その木箱には、王都の最高級商会――エレノアが率いる『銀光商会』の刻印が燦然と輝いていた。
中に入っているのは、白銀のペーストが充填された無数の特殊カートリッジ。
――『神聖ミスリル超微粒子配合・二液混合型無収縮魔導エポキシパテ』。
1カートリッジあたり、なんと金貨500ゴールド。
1842本の亀裂を埋めるために必要な総本数、実に30万本。
総額にして『15000万ゴールド』を超える、国家予算級の超高級補修材であった。
「エレノア副ギルドマスターが、大陸中の錬金術ギルドと特級商会から買い占め、地上から地下100階まで直通高速リフトで空輸してくれた特注品だ」
アレクの言葉に、シエルもルシアも息を呑んだ。
「このミスリルエポキシパテは、硬化時に一切の体積収縮を起こさず、始祖コアの原初魔力と共振して『完全なる単結晶』へと自己同化する。これ以上の補修材はこの世界に存在しない」
「す、すげぇ……エレノアの姐さん、本気で全財産を注ぎ込んでやがる……」
エドワードが木箱の頑丈な真鍮金具を撫でながら、震える声で呟いた。
地上で資金と物資をかき集めるエレノアと、地下100階で命懸けの施工を行う職人たち。
その二つの想いが、この白銀のパテに結晶していたのだ。
「道具と材料はすべて揃った。あとは、我々施工班の腕次第だ」
アレクはマイクを手に取り、地下100階の全10万人へ向けて、威厳に満ちた号令を下した。
「全足場作業班に通達! これより『始祖コア外殻結晶・1842本クラック高圧充填補修工事』を開始する! 全作業員を8人1組の200個小隊に再編! 第1番小隊から順次、ポチの冷却ジェルガンとミスリル高圧コーキングガンを携行して足場各フロアへ展開せよ!」
「「「アイアイサーッ!!」」」
「各班の作業手順を復唱する!
一番員:ジェルガンによる局所冷却消火!
二番員:高圧エアブローによる亀裂内スラグ清掃!
三番・四番員:ミスリルパテの深部高圧圧入!
五番員:表面ヘラ仕上げによる鏡面成形!
制限時間は、冷却が持続する各孔わずか90秒! 気泡の混入は一切許されない! 世界の心臓のひび割れを、我々の手で一筋残らず消し去るぞ!」
白銀のパテガンと冷却ジェルタンクを担いだ10万人の職人たちが、銀色の立体トラス足場を蜘蛛のように駆け上がっていく。
1842本の亀裂を巡る、秒刻みの極限注入作戦の幕が切って落とされたのであった。




