第130話:ポチの超低温ジェルとミスリルパテ高圧圧入
工期23日目、午前9時00分。
地下100階、全高500メートルの世界の心臓『始祖コア』を取り囲む銀色の立体トラス足場。
高度200メートル、第47作業デッキの外周面には、厚さ50ミリの耐熱防爆ガラスシールド越しに、白熱する青白き亀裂が牙を剥いていた。
――ビキビキビキッ……! ボォォォォォンッ!!
亀裂ナンバリング『第412番クラック』。
長さ8.5メートル、最大開口幅140ミリ、深さ2.2メートル。
コア内部の350メガパスカルという凄まじい超高圧エーテルが、摂氏300度の青白いプラズマのジェットとなって、秒速300メートルの轟音とともに足場へと吹き荒れていた。
大気中のエーテル濃度が極限まで跳ね上がり、吹き抜ける熱風で足場の鋼管がピキピキと熱膨張の悲鳴を上げている。
生身で飛び出せば、瞬時に炭化して吹き飛ばされる死の裂け目であった。
「第17小隊、配置完了! 対象、第412番クラック!」
二本線ヘルメットを被ったエドワードが、耐熱アルミコーティングの重装作業服を着込み、背後に控える7名の精鋭職人たちへ鋭く号令を下した。
「アレク! 各班のツールチェック完了だ! ポチのスタンバイはいいか!?」
「うむ。ポチ、出番だ」
デッキの中央で、黄色いヘルメットのアレクが静かにポンと合図を送った。
アレクの足元から、特殊な高圧魔導噴霧ノズルを口にくわえた水色のスライム――ポチが勢いよく飛び出した。
「ピキュウウウウッ!!」
ポチの丸い身体が、青白い吸熱の冷気によって瞬間的に白銀へと輝いた。
ノズルの先端から、白濁した粘調性の流体――『絶対零度魔導吸熱ジェル』が、10メガパスカルの圧力でプラズマの火柱に向かって一斉に放射された!
――ズババババババッ!! ジュウウウウウウウウウッ!!
摂氏300度のプラズマと、マイナス50度の吸熱ジェルが空中で激突した。
凄まじい水蒸気爆発が起きるかと思いきや、音は瞬時に掻き消えた。
ポチのジェルは、熱エネルギーそのものを「魔力吸熱反応」によって瞬時に結晶格子の中へ封じ込め、凍結させてしまう神代由来の特殊生体流体であったのだ。
紅蓮の火柱が一瞬で掻き消え、亀裂の開口部が真っ白な霜に覆われて凍りついた。
荒れ狂っていたプラズマの間欠泉が、ピタリと止まった。
「消火完了! タイマースタート! 残り90秒ですわ!」
通信用水晶を握るルシアが、ストップウォッチのボタンを叩き込んだ。
デッキに設置されたデジタルタイマーが、非情にカウントダウンを刻み始める。
『01:30』……『01:29』……!
「よしッ! 二番員、エアブロー急げッ!」
エドワードの指示で、ドワーフの職人が高圧コンプレッサーの耐圧ホースを構え、凍りついた亀裂の隙間にノズルを突っ込んだ。
プシュウウウウウッ!!
深さ2.2メートルの亀裂の内部に溜まっていた燃えカスや炭化スラグ、破砕片が、30気圧の乾燥窒素ガスによって一瞬で吹き飛ばされ、深部が清浄な鏡面へと露出した。
不純物が残っていれば、パテの密着強度が激減してしまう。手抜きは一切許されない。
「清掃完了! 経過18秒!」
「三番員、四番員、ミスリルパテ高圧圧入開始!」
エドワード自らが、両手で重量25キロの『複動式油圧コーキングガン』を構えた。
ガンに装填されているのは、エレノアが地上から空輸した1本500ゴールドの超高級材料――『神聖ミスリル超微粒子配合・二液混合型無収縮魔導エポキシパテ』である。
「食らいつけェッ!!」
エドワードがガンのトリガーを限界まで引き絞った。
ガンの先端ノズルが亀裂の最深部――2.2メートルの深奥へと押し込まれ、内蔵されたスタティックミキサーで均等に混練された銀色のパテが、50メガパスカルの超高圧で噴出を開始した。
――ヌチュチュチュチュッ……! ギュウウウウウッ!!
銀色に輝くミスリルパテが、微細な結晶の隙間へと容赦なく圧入されていく。
ただの樹脂ではない。
パテの中に均一分散されたナノサイズの神聖ミスリル粉末が、始祖コアが放つ原初魔力の波動を受信し、まるで生き物のように周囲の水晶結晶と分子レベルで結合を始めたのだ。
「充填圧力正常! 深部から手前へ、ボイド(気泡)を押し出しながら充填進行中!」
シエルがホログラムモニターでパテの流動シミュレーションを監視しながら叫ぶ。
「第412番クラック、パテ充填率40パーセント……60パーセント……80パーセント!」
「奥から引け! ノズルを等速で後退させろ!」
アレクが鋭く指示を飛ばす。
「エドワード、後退速度は毎秒3センチ厳守だ! 引き抜きが速すぎれば内部に真空ボイドが発生する! 遅すぎればノズルが硬化パテに巻き込まれて固着するぞ!」
「分かってらァッ!!」
エドワードは腰を深く落とし、筋骨隆々の太い腕をまるで精密機械のように一定の速度で手前へとスライドさせた。
元勇者の無駄のない身体操作が、職人としての卓越した技量へと昇華されていた。
ノズルの先端から溢れ出る銀色のパテが、亀裂を隙間なく埋め尽くしながら表面へと盛り上がってくる。
「経過65秒! 充填率100パーセント到達!」
「五番員、表面仕上げ!」
後ろに控えていたエルフの左官職人が飛び出し、テフロン加工の施された特製コテを構えた。
表面に盛り上がった余剰パテを、職人技の滑らかなストロークでスッと削ぎ落とし、始祖コアの球体曲率に合わせて完全に平滑へと均していく。
サァッ……!
一切の段差も、波打ちもない。
傷跡はまるで最初から存在しなかったかのように、美しい鏡面の銀色ラインへと生まれ変わった。
「パテ硬化反応開始! ミスリル粒子がコアの結晶格子と同化していきます!」
シエルが歓喜の声を上げた。
パテが淡い青白い光を帯び始め、銀色から透明感のあるサファイアブルーへと色を変えていく。
常温硬化時間、わずか15秒。
完全に硬化したパテは、始祖コア本体と同等以上の圧縮強度『850メガパスカル』を誇る、完全無欠の人口結晶ブロックへと変貌を遂げた。
「経過82秒! ジェル冷却効果切れます!」
ルシアが叫ぶのと同時に、ポチのジェルが役目を終えてシュウッと気化した。
コア内部の350メガパスカルの超高圧エーテル流が、補修されたばかりの第412番クラックの裏側へと容赦なく叩きつけられた。
ドォォォォンッ……!!
重低音が響いた。
だが――漏洩など一切起きなかった。
プラズマの火花ひとつ、エーテルの気泡ひとつすら噴き出すことはない。
完璧に密閉された外殻結晶は、神話の強度を取り戻し、高圧の魔力流を涼しい顔で受け流していた。
「……止まった」
エドワードがコーキングガンを下ろし、荒い息を吐きながら額の汗を拭った。
「第412番クラック……完全密閉だ!」
「「「おおおおおおおおっ!!」」」
小隊の職人たちから、割れんばかりの歓声が沸き起こった。
「見事だ、第17小隊」
アレクが歩み寄り、補修面の平滑度を目視で確認した。
「作業時間82秒。規定の90秒以内をクリア。充填圧力、表面仕上がりともに極めて良好だ。ポチの冷却性能とエレノアの補修材、そして職人たちのチームワークが完璧に噛み合ったな」
「へへっ、ポチの冷却と、エレノアの高級パテ……そしてオレたちの腕前がありゃあ、どんな傷だって塞いでみせるぜ!」
エドワードが親指を立てて笑った。
「だが、油断するな。今塞いだのは、1842本中の『1本』に過ぎない」
アレクは冷徹に懐中時計を見つめ、バインダーのチェックリストにペンを走らせた。
「残り、1841本。全200個小隊、この手順を全フロアで寸分の狂いもなく反復せよ。――行くぞ!」
「「「アイアイサーッ!!!!」」」
地下100階、全高500メートルの銀色の巨塔で、10万人の職人たちによる怒涛の高圧充填リレーが、本格的に火蓋を切ったのであった。




