第125話:1000万トンの傾斜補正:16基の油圧ジャッキ据付
工期22日目、午後13時00分。
地下100階、全高500メートルの世界の心臓『始祖コア』の直下。
直径300メートルに及ぶコアの円形基底部の周囲には、極度の緊張感が張り詰めていた。
見上げる始祖コアは、南西方向へ向かって『3.8度』傾斜している。
わずか3.8度とはいえ、全高500メートル・総重量『10000万トン』の超巨大結晶において、その偏心は頂部において実に33メートルもの水平ズレを生み出していた。
基底部の南西側岩盤には、許容応力を遥かに超える凄まじい圧縮荷重が集中し、メキメキと岩が軋む不気味な破砕音が絶え間なく響いている。
逆に、反対側の北東側では、12本中8本が破断した旧アンカーボルトの残骸が虚しく宙を睨み、残る4本の太さ800ミリのボルトが今にもちぎれそうなほど極限まで引き絞られていた。
「アレク主任、基底部南西側の岩盤応力、降伏比92パーセントに達しています!」
シエルがレーザー歪み測定器を構え、震える声で告げた。
「あとわずかな外乱……地震や魔力パルスが一度でも走れば、残りのアンカーボルトが一斉にせん断破断し、コア全体が滑落します!」
「うむ。猶予はないな。これより直ちに受圧座の据付を行う」
黄色いヘルメットのアレク・ユグレットは、冷徹な目で台座外周を見据えた。
その台座の周囲には、すでにドワーフ鍛冶部隊と点検ゴーレム隊によって、16基の巨大な構造物が運び込まれていた。
――単体自重120トン。
外径2.5メートル、全高4メートル。
ミスリルとアダマンタイトの積層鍛造によって極限まで剛性を高められた、人類史上最大の油圧機器――『1000万トン級超大型複動式油圧ジャッキ』である。
「うおおおおっ……! 重てえええええッ!!」
エドワード率いる重量鳶部隊が、100台の点検ゴーレムが操作する特製チェーンブロックと門型油圧リフターを駆使し、第1番から第16番までのジャッキを円周上に均等な間隔(22.5度ピッチ)で配置していく。
「エドワード、据付面のレベル(水平度)はどうなっている?」
アレクが近づき、基礎コンクリート天端を指差した。
「バッチリだぜ! バルガン親方の削岩ドリル隊が、岩盤をダイヤモンドビットで研磨して、厚さ100ミリの焼き入れ鋼製ベースプレートを敷き詰めた! 水準器で測っても気泡はド真ん中、傾きはゼロだ!」
エドワードが胸を叩く。
「よし。次は受圧板のセットだ」
アレクはジャッキの頭頂部を仰ぎ見た。
ジャッキが直接始祖コアの結晶に触れれば、1000万トンという点荷重によって結晶が局所破壊を起こしてしまう。
そのため、ジャッキの頭には、半球面を持つ『球面調心座金』と、高密度積層テフロンゴム板が挟み込まれていた。
これによって、コアが傾いた状態から垂直へと姿勢を変える際、ジャッキのピストンヘッドにかかる偏心モーメントを滑らかに逃がすことができるのだ。
「アレク様! 油圧配管系統の接続、完了いたしましたわ!」
作業用つなぎを着たルシアが、耐圧ホースの束を抱えて駆け寄ってきた。
ルシアの背後には、地下90階から直通で引かれた、最高使用圧力『200メガパスカル(約2000気圧)』に耐えうる極太のミスリルフレキシブル高圧ホースが、蜘蛛の巣のように16基のジャッキへと接続されていた。
「ルシア課長、流路系統の構成を報告しろ」
「はい! 16基のジャッキは、4基ずつ4つの系統(北・東・南・西ブロック)に分割されています。中央の油圧魔導マニホールドバルブにおいて、各系統への作動油供給量を独立してミリリットル単位で制御可能ですわ! 作動油には、魔王軍が誇る高引火点・高粘度指数魔導オイル『クリムゾン・フルード9000』を満載しております!」
ルシアが配管図面を掲げ、誇らしげに報告する。
「素晴らしい。油圧系統のエアー抜き(空気抜き)は完了しているか?」
「ええ! シエル様と一緒に真空引きポンプを回して、配管内のエアーは100パーセント排気済みです! 気泡による圧力損失や油圧クッションのブレは一切ございませんわ!」
「完璧だ」
アレクは頷き、懐中時計を取り出した。
時刻は14時15分。
すべての準備が整った。
だが、その時――現場の奥から、ドカドカと重い足音を響かせて現れた男がいた。
髭面に煤をつけたドワーフの巨漢――鍛冶・土木親方のバルガンであった。
バルガンの顔には、珍しく焦りの色が濃く浮かんでいた。
「アレクの若僧! 大変だ! 旧アンカーボルトの歪みゲージが、限界値を超えて警報を鳴らし始めやがった!」
「何だと?」
アレク、エドワード、シエルが一斉に身を乗り出した。
バルガンが指差した先――基底部の北東側、辛うじて踏みとどまっていた残存アンカーボルト4本のうち、最も外側に位置する『第7号ボルト』の表面に、肉眼でも確認できるほどの白いヘアラインクラック(微細亀裂)がピキピキと走り始めていたのだ。
「くそっ……! 南西側にコアが傾いてるせいで、この第7号ボルトに、全体の引っ張り荷重の半分以上が集中してやがる!」
エドワードが叫んだ。
「ボルトが……ボルトが悲鳴を上げてるぞ! 今にも引きちぎれそうだ!」
「このボルトが破断すれば、ドミノ倒しのように残る3本も一瞬で破断します!」
シエルの悲痛な叫びが響く。
「そうなれば、16基のジャッキで持ち上げる前に、コアは台座から滑落して大空洞の床へ激突します! もはやジャッキの据付をのんびり点検している時間はありません!」
現場にいた10万人の職人たちに、戦慄が走った。
あと数時間、いや数10分も持たない。
10000万トンの巨体が、今まさに大地の裂け目へと雪崩れ落ちようとしていた。
「全員、動くな」
その絶体絶命の危機の中、アレク・ユグレットの声音だけが、恐ろしいほどの静寂を保っていた。
アレクは慌てることなく、胸元の黄色いホイッスルを咥えた。
「アレク……!? どうするんだ!?」
エドワードが息を呑んで問う。
「どうするも何もない。当初の予定を前倒しするだけだ」
アレクは手元の図面バインダーをカチリと鳴らし、全通信チャンネルを開放した。
「全油圧操作班、配置につけ! 各ジャッキの主動バルブ操作員は、手動スピンドルから絶対に手を離すな! シエル、全周囲レーザー変位計のゼロ点校正を完了させろ!」
「ゼロ点校正、完了しました! 16点すべての変位測定、準備完了です!」
シエルが叫ぶ。
「ルシア、魔導油圧メインポンプを起動! 一次圧力を50メガパスカルまで昇圧し、プレロード(初期荷重)をかけろ! ジャッキピストンを始祖コア受圧座へ密着させ、アンカーボルトにかかっている引張力を油圧シリンダーへ肩代わりさせる!」
「油圧ポンプ起動! 圧力50メガパスカルへ上昇! シリンダー伸長、受圧座にタッチしましたわ!」
ルシアが巨大な圧力レバーを一気に押し下げた。
――ズズズズズズッ……!!
16基の極太ピストンが、始祖コアの台座下部にガチンッと密着した。
それと同時に、破断寸前で悲鳴を上げていた第7号アンカーボルトの軋み音が、ふっと和らいだ。
10000万トンの怪物の体重が、大地から油圧ジャッキへと預けられた瞬間であった。
「持ち堪えた……!」
エドワードが安堵の息を漏らす。
「まだだ。ここからが本当の勝負だ」
アレクはホイッスルを指で弾き、冷徹な双眸を16基の巨躯へと向けた。
「これより――人類史上最大の重量物リフティング、『始祖コア全数同期姿勢復元工程』を開始する! 目標リフト量、南西側最大120ミリ! 全基の同調許容誤差、0.05ミリ! 1ミリのズレも許されない極限の同期作戦だ! 全員、一歩も引くな!」
「「「アイアイサーッ!!!!」」」
大空洞を揺るがす咆哮とともに、10000万トンの世界の心臓を巡る、ミリ単位の極限リフティングが幕を開けたのであった。




