第124話:外周500メートル自立トラス足場の完成
工期22日目、午前8時30分。
地下100階、直径3キロメートルの大空洞に、人類史上いまだかつて誰も目にしたことのない奇跡の巨塔が聳え立っていた。
――全高500メートル。
外径600メートル。
総使用ミスリル単管パイプ数、18万4000本。
締結ボルト数、52万6000組。
世界の心臓『始祖コア』。
その全高500メートルに及ぶ青白い脈動結晶の全周を、根元から最頂部まで完全に覆い尽くす『超高層自立式立体トラス足場』が、着工からわずか4日目にして――完全閉合を果たしたのである。
「す……げぇ……」
地上50メートルの仮設本部デッキで、誰かがポツリと息を呑んだ。
やがてその呟きは、大空洞を埋め尽くす10万人の作業員たちへと波紋のように広がっていった。
見上げる視界のすべてが、幾何学的な銀色の輝きで満たされていた。
地底の大地に打ち込まれた128枚の極厚ベースプレートから立ち上がる無数の主柱。
それらを完璧な黄金比の三角形で結ぶ斜材の網が、まるで巨大な銀のレース編みのように、始祖コアの球体を優しく、そして力強く包み込んでいる。
始祖コアが放つ蒼白なエーテル光が、銀色のミスリル鋼管の表面で乱反射し、大空洞全体を神秘的なエメラルドシルバーの光芒で満たしていた。
「コミカライズの見開きカラーページなら、確実に作画コストで担当者が泡吹いて倒れるレベルの絶景ですわね……!」
ルシアが両手で頬を押さえ、呆然と銀の巨塔を見上げながら呟いた。
「ええ、本当に……!」
シエルもまたメガネのブリッジを押し上げ、手元の測定水晶板を抱きしめたまま感嘆の声を漏らした。
「高度500メートルの最頂部環状トラス(クラウンリング)、先ほど8時15分に最終ピンの打設が完了! 全周の誤差はレーザー測定でわずかプラスマイナス1.8ミリ以内! 設計許容誤差の10ミリを遥かに下回る、神業のような精度です!」
「へっ、当たり前だろ」
本部デッキの階段を、カチャカチャと心地よい金属音を鳴らしながら登ってくる男がいた。
二本線ヘルメットを被り、肩に誇らしげに『総棟梁』の腕章を巻いた元勇者――エドワードであった。
その顔には煤と汗がこびりついていたが、瞳はかつて勇者として魔王討伐へ旅立った時よりも遥かに澄み、誇りに満ち溢れていた。
「オレたち8000名の鳶職人と、アレクが直してくれた100台の点検ゴーレムが、1本1本適正トルクで締め上げた足場だぜ。1ミリの狂いだって許すわけねえよ」
エドワードは腰のチタンラチェットを抜き放ち、眩い銀色の光を反射させて見せた。
「ご苦労だった、エドワード総棟梁」
図面バインダーを閉じたアレク・ユグレットが、穏やかな笑みを浮かべてエドワードを迎えた。
「毎日17時0分に完全消灯し、10分な睡眠と栄養補給を取らせた甲斐があったな。4日の連続高所架設において、墜落事故ゼロ、工具落下ゼロ、熱中症重症者ゼロ。完全無災害記録を達成した」
「おうよ! 最初は『なんでこんなに急いでんのに定時退社なんだよ』って腹が立ったが……アレクの言う通りだったぜ」
エドワードは頭を掻きながら豪快に笑った。
「朝起きたら身体の芯まで疲れが抜けてるから、高いところへ登っても足が全然震えねえんだ。頭が冴えてるからボルトの噛み合わせも一発で決まる。……無事故で全員元気に現場に出てくることが、結果的に一番速い工期になるってこと、身にしみて分かったよ」
「よくぞ理解した」
師匠ガントが満足そうに煙管を燻らせ、エドワードの肩をバシッと叩いた。
「これで『足場』という名の舞台は整った。世界の心臓のどこへでも、手すりと安全帯付きで手が届くようになったわけだ。――だがアレク、ここからが本当の地獄の始まりだぞ」
ガントの鋭い視線が、足場の中心に鎮座する青白き結晶巨体へと向けられた。
「見ろ。足場が組み上がったことで、始祖コアの無残な歪みが一層浮き彫りになりやがった」
アレクも表情を引き締め、単眼鏡を構えてコアの基底部を凝視した。
全高500メートル、総重量推定『10000万トン』。
その世界の心臓は、南西方向へ向かって『3.8度』傾斜していた。
地底の岩盤に食い込む巨大な台座のアンカーボルト12本のうち、なんと8本が既にせん断破壊を起こして破断。
残された4本のボルトだけで10000万トンの巨体を辛うじて繋ぎ止めている状態だった。
「始祖コアが自壊するまでの推定残存猶予――残り8日」
アレクの冷徹な声が、デッキに静かに落ちた。
「コアが3.8度傾いているせいで、内部の魔力循環流路が偏心し、外殻結晶の局所応力が降伏点を突破しつつある。このままでは8日後、基底部が完全に座屈し、コアは大地へと転倒・粉砕する」
「転倒したら……地上はどうなりますの?」
ルシアが息を呑んで尋ねる。
「地上の全ダンジョンが連鎖崩壊を起こし、地表の大地はマグマと魔力嵐に呑まれて消失する。文字通りの世界滅亡だ」
アレクは淡々と事実を告げ、それから白手袋の手で図面ケースから『次なる設計図』を抜き出した。
それは、十数枚の厚手の青図であった。
図面の表題には、力強い文字でこう記されていた。
『始祖コア基底部姿勢復元工事――1000万トン超重量物多点同期油圧リフティング施工計画書』
「傾いたものは、元通りに垂直へ戻せばいい」
アレクの迷いのない言葉に、エドワードもシエルも、そしてガントまでもが息を呑んだ。
「アレク……戻すって、お前……10000万トンだぞ!? 山一つ丸ごと持ち上げるようなもんだぞ!? どうやって持ち上げるんだ!?」
「テコの原理と、流体力学の極致だ」
アレクは図面を机の上にバッと広げて見せた。
「地下90階で回収した古代の大型加圧設備と、地下95階の魔力配管、そしてバルガン親方たちドワーフ鍛冶部隊が改修した『特製ミスリル油圧シリンダー』を用いる」
アレクの指先が、図面上の始祖コアの円形台座の周囲を指した。
「コアの基底部外周に、均等な角度で16箇所の油圧受圧座を設置する。そこに据え付けるのは、単体耐荷重『1000万トン』を誇る超大型複動式油圧ジャッキ、計16基」
「1000万トンジャッキが、16基……!?」
シエルが目を丸くして計算式を呟く。
「16基合計で、最大揚重能力は『16000万トン』! 10000万トンの始祖コアを持ち上げるのに、安全率1.6を確保できますわ!」
「その通りだ」
アレクは頷いた。
「だが、最大の問題はパワーではない。『同調性』だ」
アレクは真剣な眼差しで、エドワードとシエルを見据えた。
「16基のジャッキのうち、どこか1基でも揚重速度が狂えば、10000万トンの超重量が偏荷重となって集中し、コアの外殻結晶が一瞬で圧壊する。16基すべてのストローク誤差は――『0.05ミリ以内』に抑え込まねばならない」
「0.05ミリ……!?」
エドワードの喉がゴクリと鳴った。
髪の毛の太さよりも遥かに細い、極限のミクロの世界。
山のような巨体を持ち上げながら、その誤差を髪の毛半分以下に抑えろというのだ。
「これより、第1段階工程へと移行する」
アレクはマイクを手に取り、地下100階の全10万人へ向けて、威厳に満ちた声を響かせた。
「全作業員に通達! 外周500メートル立体トラス足場は、予定工期通り完全無災害で完成した! 各班の卓越した技術と安全遵守に、現場最高責任者として心より敬意を表する!」
地鳴りのような歓声が、足場全体から沸き起こった。
だが、アレクの鋭い一言が、その歓声をピシリと引き締めた。
「だが、祝勝会は後だ! これより本工事の最難関セクション――『始祖コア基底部・16基同期油圧ジャッキ据付工事』を開始する! バルガン親方、油圧シリンダー搬入ラインを開け! ルシア課長、作動油供給パイプの耐圧試験を実施せよ! エドワード総棟梁、基礎周りの足場ステージを直ちにジャッキ受け仕様へ組み替えろ!」
「「「アイアイサーッ!!!!」」」
銀色に輝く500メートルの巨塔の根元で、新たな戦いの火蓋が切って落とされた。
世界を救うための原状回復は、いよいよ10000万トンの巨体を揺るがす極限のリフティング作戦へと突入していくのであった。




