第122話:高度300メートル:空中資材補給ステーション
工期20日目、午前9時30分。
地下100階、全高500メートルの世界の心臓『始祖コア』を取り囲む銀色の立体トラス足場は、エドワード率いる足場鳶部隊の不眠不休ならぬ「厳格な定時施工」によって、ついに『高度300メートル』に到達していた。
だが、地上高300メートルという領域は、地底空間でありながらもはや地表の超高層ビル群の頂上を遥かに凌駕する異界であった。
薄い酸素、足場を揺らす強烈な上昇魔力気流、そして地上から見上げれば作業員の姿など点にしか見えない圧倒的な高度感。
そして何よりも、この途方もない超高層施工において現場を最も苦しめていたのは――『兵站』の壁であった。
「ぜぇ……はぁ……! だ、第2工区……ミスリル単管パイプ、補充完了……! く、クランプ金具が……まだ足りねぇぞ……!」
「おい、誰か……水だ……! 魔力熱で喉がカラカラだ……! 水筒の補給はまだか!?」
高度250メートルから300メートルの足場外周部。
筋骨隆々のドワーフや王国兵の鳶職人たちが、肩で荒い息をつきながらパイプに寄りかかっていた。
地上から人間が資材を担いで昇降階段を往復するのでは、片道だけで40分以上を消費してしまう。
いくら地下90階で修理・編入した100台の点検ゴーレムがマストクライマー(昇降式荷揚げ機)として稼働しているとはいえ、5000トンの鋼材を地上から高度300メートルまで揚重する速度には物理的な限界があった。
資材の供給が追いつかず、職人たちの作業が1時停止する『手待ち時間』が頻発し始めていたのだ。
「アレク主任、まずいですわ!」
地上50メートルの本部デッキで、シエルが通信用水晶のヘッドセットを押さえながら報告を上げた。
「高度280メートル以上の各工区で、ボルトと単管パイプの欠品による作業停滞率が34パーセントに上昇しています! 加えて、コアの放熱による熱中症警戒アラートが発令! 鳶職人たちの心拍数と体温が急上昇しています! このままでは午後の架設計画に重大な遅延が生じます!」
「うむ。高度が上がるにつれて揚重ストロークが伸び、垂直輸送のボトルネックが顕在化したな」
アレク・ユグレットは手元の工程管理表から目を離さず、平然と懐中時計を確認した。
「だが、心配はいらない。この事態は当初の施工計画書通りだ。――ルシア営繕課長、準備は整っているか?」
アレクが無線マイク越しに声をかけると、スピーカーから凛とした小悪魔の快活な声が響いた。
『ええ、アレク様! 魔王軍施設営繕課の誇りにかけて、全系統のプレヒーティングおよび導力接続、すべて完了しておりますわ!』
――ガコンッ! ゴオオオオオオオオッ……!!
次の瞬間、外径600メートルの立体トラス足場の内側、高度200メートル地点に張り巡らされた巨大な環状梁から、眩い青紫色の魔導光が放射された。
「な、なんだぁっ……!?」
足場の上で休んでいたエドワードや鳶職人たちが、目を見張って下方を見下ろす。
高度200メートルと250メートルの足場中間層に、いつの間にか頑丈な耐荷重エキスパンドメタルとH形鋼で組まれた、広大な『空中フロア』が出現していたのだ。
その総床面積は、なんとサッカー場ふたつ分に匹敵する広大さであった。
「全高層作業班に通達!」
アレクの透き通るような指示が、空中全域のスピーカーから一斉に鳴り響いた。
「これより、高度200メートル中間地点において『空中資材補給ステーション・メガフロート』の運用を開始する!」
「く、空中補給ステーションだと……!?」
エドワードがヘルメットの鍔を押し上げ、呆気にとられた声を漏らす。
その巨大な空中ステーションの中央部には、地下90階から直通で敷設された4本の極太な魔導ワイヤーレールが垂直に貫通していた。
そこへ、下層から凄まじい風切り音とともに、巨大なケージ(荷物用搬器)が猛烈なスピードで上昇してきたのだ。
ヒュオオオオオオオッ――ガシャンッ!!
「リフト到着! リニア魔導昇降機『ヘルメス1号〜4号』、高度200メートルステーションに定着完了ですわ!」
作業用つなぎを着たルシアが、ステーションのデッキで誘導灯を鮮やかに振って見せた。
それは、ルシアの魔力配管制御とシエルの古代魔導回路のハイブリッドによって開発された、毎分300メートルの速度を誇る『垂直高速物資輸送エレベーター』であった。
ケージの扉が左右に開くと、中から大量の資材が姿を現した。
整然とバンド結束されたミスリル単管パイプ、箱詰めの450Nm対応高張力クランプ、そして安全帯の親綱ロープが、山のように積まれている。
さらに、ケージの後方からは、湯気とともに信じられないほど食欲をそそる芳醇な香りが漂い出してきた。
「さあさあ、高所で命を張って働く鳶の皆様! ルシア特製の『熱中症対策・空中野戦給食ステーション』も同時オープンですわよ!」
ルシアが両手を腰に当て、満面の笑顔で拡声器に向かって叫んだ。
「地上まで降りてくる必要弾はありません! この空中フロアに、冷たい塩分電解質ウォーター、疲労回復用の柑橘魔導ゼリー、そして茹でたて熱々の『特製スタミナ豚バラ角煮うどん』を湯水のようにご用意いたしました! 各班、交代で水分補給と資材受領を行いなさい!」
「う、うどん……!? 高度200メートルの空中で、茹でたてのうどんだとォォォッ!?」
ドワーフの棟梁が歓喜のあまり咆哮を上げた。
「おい野郎ども! 空中ステーションに急げッ! 資材と飯の山だァッ!!」
鳶職人たちが命綱を掛け替えながら、タラップを軽快に駆け下りて空中ステーションへと殺到した。
ステーションには、ルシア率いる魔王軍営繕班のサキュバスや魔族の給食部隊がずらりと並び、手際よく氷でキンキンに冷やした竹筒の水筒と、濃厚なダシの香りを放つうどんの丼を手渡していく。
「んがっ……! う、美味ぇぇぇぇぇッ!! 塩分が……全身の細胞に染み渡るようだ……!」
「冷たい水が喉を通るだけで、頭のクラクラが一発で吹き飛んだぞ!」
職人たちが丼をかき込み、ゴクゴクと電解質水を飲み干すと、その肌にみるみる生気が戻っていった。
「ふふん、当然ですわ!」
ルシアが誇らしげに胸を張った。
「高温・低湿度・強風の極限高所作業では、人間は自覚症状がないまま毎時800ミリリットルもの水分とナトリウムを喪失します。塩分濃度0.2パーセントの特製ダシと、即効性のある糖質を含むうどんこそ、高所作業員の生命線なのですから!」
その横では、シエルがメガネを光らせながら、資材の自動仕分けコンベアを操作していた。
「各工区の進捗データと直結した『オンデマンド資材ピッキングシステム』も稼働中です! エドワード棟梁の第2工区には、これから必要なパイプ300本とクランプ600個を、専用の小型ホイストクレーンで高度300メートル直下まで5分以内に吊り上げます!」
「おいおい……マジかよ……」
エドワードは熱いうどんの汁を飲み干しながら、呆れ果てたように笑った。
「地上から担ぎ上げるどころか、目の前の空中フロアからホイストで手元まで直送されてくるのかよ。これじゃあ……資材切れで手が止まる暇なんて、1秒もねえじゃねえか!」
「当たり前だ」
いつの間にかタラップを静かに降りてきていたアレクが、黄色いヘルメットの顎紐を締め直しながら言った。
「工期の短縮とは、作業員を走らせることではない。資材を運ぶムダ、資材を探すムダ、手待ちのムダ――現場からあらゆる『不稼働時間』を徹底的に削ぎ落とすことだ。地上高300メートルの超高層架設において、兵站の確立こそが工事の成否を決める」
アレクはエドワードの肩をポンと叩いた。
「エドワード。体調に異常はないか? 握力の低下、めまい、足の痺れはないな?」
「へっ、見ての通りピンピンしてるぜ! ルシアの飯と冷たい水のおかげで、さっきまでのダルさが嘘みたいに吹き飛んだ! 握力計も右65キロ、左63キロ、完璧だ!」
エドワードは腰のチタンラチェットを抜き放ち、眩い銀色の光を反射させた。
「よし。鳶職人の諸君、腹ごしらえが済んだ班から順次、第4工区・高度350メートルへの延伸作業を開始しろ。これより、始祖コア上部の球体絞り込み区間に入る。トラスの取り付け角度が鉛直から内傾5度へと変化する極めて繊細な局面だ。墜落制止用器具のフック掛け替え、完全二丁掛けを死守せよ」
「「「応ッ!!!!」」」
胃袋を満たし、全身に漲るエネルギーを取り戻した職人たちの声が、大空洞の天井に木霊した。
補給線を空中に前進させた10万人の大軍勢は、もはや何者にも止められない。
銀色の立体トラスは、地上300メートルの雲海を突き抜け、世界の頂へとさらに力強く伸び上がっていくのであった。




