第121話:魔力突風とトラス構造の応力分散
工期19日目、正午12時30分。
世界の心臓『始祖コア』を取り囲む銀色の立体トラス足場は、エドワード率いる8000名の足場鳶部隊と100台の点検ゴーレムによる超絶施工によって、わずか3時間半で『高度150メートル』を突破していた。
地上を見下ろせば、10万人の作業員たちがアリのように小さく見える。
外径600メートルの巨大な円形グリッドを描きながら立ち並ぶミスリル鋼管の柱列は、地底の大地に幾何学模様の影を落としていた。
だが、地上から離れ、全高500メートルの巨大結晶の赤道部に近づくにつれ、現場の過酷さは指数関数的に跳ね上がっていた。
――ヒュオオオオオオオッ!! ドォォォォンッ!!
結晶の亀裂から漏れ出す高圧エーテルが、狭い空洞の気圧差と急激な温度勾配によって超音速まで加速され、秒速35メートルを超える猛烈な『魔力暴風雨』となって足場に叩きつけられたのだ。
突風に巻き込まれた高密度エーテルの粒子が、青白い静電気の火花を散らしながら作業員のポリカーボネート製保護バイザーをバチバチと激しく打つ。
視界は一面の蒼白色に染まり、風切り音は耳をつんざく爆音と化していた。
「うわああああっ……!?」
高度150メートルの外周キャットウォーク(作業用通路)で、長さ4メートルのミスリル単管パイプを2本肩に担いでいた若手の王国兵鳶職人が、突風の直撃を受けて足をもつれさせた。
ミスリルパイプが強風をはらんで風圧板のように作用し、重心を激しく奪われる。
滑り止め加工の施されたエキスパンドメタルの踏板から足が浮き、パイプごと身体が暗黒の奈落へと投げ出されかけた。
ガシィッ!!
空中で舞い上がったベルトの金具を、万力のような力強い握力で鷲掴みにした男がいた。
二本線ヘルメットに上級主任の腕章を巻いた元勇者――エドワードであった。
「馬鹿野郎! 風を身体の正面で受けるな! パイプを立てて風を逃がせ! 腰を落として半身になれ!」
エドワードは猛烈な横風を受けながらも、ブレない重心で若手兵士をグイッと踏板の上へ引き戻し、どっかと座らせた。
そして自らのフルハーネス型安全帯から伸びる二丁掛けランヤードの大型フックを、迷いなく親綱パイプにガチンッと二重ロックした。
エドワードのチタンラチェットレンチが、腰のホルスターでカチャリと頼もしい金属音を立てる。
「エ、エドワード棟梁……! す、すいません……! だけど、風が……風が強すぎます! 足場が……足場全体が唸りを上げて、今にも空中に吹き飛ばされそうです!」
若手兵士が蒼白な顔で親綱にしがみつき、ガタガタと震える膝を押さえながら叫んだ。
確かに、高度150メートルの吹きさらしの空中では、地上では想像もつかない風圧が吹き荒れている。
大気中のエーテル濃度が通常の400倍に達しており、風そのものが質量を持った半流体のように重く、足場パイプにぶつかるたびにキィンという甲高い金属共鳴音が響いていた。
「安心しろ。この足場は絶対に倒れねえ」
エドワードの野太い声音は、魔力嵐の轟音の中でも微塵も揺らいでいなかった。
エドワードは手元のチタンラチェットを抜き放つと、目の前に組まれた3本のパイプの接合部をカンカンと澄んだ音で叩いて見せた。
「見ろ。パイプの組み方をよく見るんだ。四角形じゃねえだろ? 全部、綺麗な『三角形』になってるはずだ」
「さ、三角形……?」
若手兵士が涙で滲む目を擦りながら、恐る恐る顔を上げた。
垂直にそびえる主柱パイプと、水平に渡された横架材。そしてその対角線を斜めに貫く、2本の太い斜材。
それらはすべて、幾重にも連なる幾何学的な『三角形』を構成していた。
「そうだ。四角形っていうのはな、角の四つの点だけで支えてるから、横から風や荷重で押されたら簡単に平行四辺形に歪んでペシャンコに潰れちまう。だが、三角形はどうだ? 3本の辺の長さが決まっていれば、どこから力を加えられても角度が変わらねえ。形が絶対に崩れねえんだよ。――これを『トラス構造』って呼ぶんだ」
かつて地下数十階でアレクから構造力学の基礎を徹底的に叩き込まれた記憶が、エドワードの口から澱みなく溢れ出していた。
数字や数式は今でも苦手だが、現場の骨組みを通して叩き込まれた物理法則は、エドワードの血肉となって完全に定着していたのだ。
「風が正面からぶつかってもな、この斜めのパイプが力を引っ張り力と圧縮力に綺麗に分解して、足場全体に散らしてくれる。1本のパイプに風が当たってるんじゃねえ。外周600メートル、10万本のパイプ全員で手を取り合って、この魔力の嵐を受け止めてるんだよ。一人で抱え込むな。足場の仲間と、図面を信じろ」
エドワードがニッと白い歯を見せて胸を張った、その瞬間であった。
――ズドオオオオオオオオッ!!
始祖コアの最大亀裂から、青白いエーテル閃光が爆発的に噴出した。
それによって引き起こされた、本日最大の衝撃波――瞬間最大風速42.5メートルに達する超高圧の魔力突風が、足場全体を激震させたのだ。
「ひぃっ……!?」
若手兵士が悲鳴を上げて目を瞑り、耳を塞ぐ。
キャットウォーク全体が大きくたわみ、数千箇所のクランプ金具が一斉にキシリと悲鳴のような金属音を立てた。
だが――倒壊など起きなかった。
それどころか、パイプの接合部が微小な摩擦熱を発しながら風圧を受け流し、斜材を通じて四方八方の三角形へと力が瞬時に波及していった。
風の暴力的な運動エネルギーは、蜘蛛の巣のように張り巡らされた立体トラス格子網全体へと均等に分散され、地下深くの岩盤に打ち込まれた128枚の極厚ベースプレートへと、完全にアース(接地逃散)されて消え去ったのである。
フッ……と、風の息継ぎが訪れた。
周囲を満たしていた狂乱の風切り音が嘘のように引いていく。
「……あ、あれ……? 揺れが、止まった……?」
若手兵士が恐る恐る目を開けた。
足場は何事もなかったかのように、整然と天に向かって聳え立っている。
手すりパイプに置いた指先から伝わってくるのは、微かな振動だけだった。
「言ったろ? アレクが計算した図面と、オレたち10万人が適正トルク450ニュートンメートルで締めたボルトはな、こんなダンジョンの突風くらいじゃビクともしねえんだよ」
エドワードがニヤリと笑い、若手兵士のヘルメットの鍔をポンと叩いた。
「立て。腰に手を当てて、深呼吸しろ。恐怖で足が竦んだら、足元のボルトを見ろ。オレたちが一歩ずつ組んできた道だ。誰一人、落ちさせやしねえよ。オレが総棟梁でいる限り、絶対に現場で誰も死なせねえ」
「……はい! はい、エドワード棟梁!!」
若手兵士の瞳から恐怖が消え去り、職人としての誇りと熱い光が宿った。
兵士は立ち上がり、担いでいたパイプをガッチリと両手で保持すると、足場先頭部へと力強く歩みを進めた。
その頃、地上50メートルに設置された仮設現場本部デッキでは、シエルが風力測定魔導水晶と歪みゲージの数値を食い入るように見つめていた。
水晶板には、足場各部位の応力分布が色分けされた有限要素解析のリアルタイム3Dホログラムが明滅している。
「アレク主任! 高度150メートル地点、瞬間最大風速42.5メートルを記録! ですが、トラス各節点のミーゼス相当応力は、許容設計値の68パーセントにとどまっています! 全体変位量も最大わずか4.2ミリ! 風による渦励振や共振現象の発生兆候は完全にゼロです!」
「うむ。エドワードの部隊が斜材を規定通りの対角線で正確に配置している証拠だ」
アレク・ユグレットは手元の図面バインダーに測定数値を速記し、隣で悠然と煙管を吹かす師匠ガントを一瞥した。
「師匠、この立体トラスの節点間隔とブレースの配置角度、師匠が10年前に考案された『ガント式立体トラス格子』の設計寸法をそのまま採用させていただきました。トラスの三角形比率を黄金比に近づけることで、魔力波動の波長との干渉を打ち消す構造……見事な設計です」
「けっ、勝手に儂の寸法を使いやがって」
ガントは紫煙をふわりと吐き出しながら、不敵に皺だらけの顔を綻ばせた。
「だが、あのバカ勇者のラチェット捌きは大したもんだ。風が吹く方向を見極めて、突風が来る側に先回りして斜材を叩き込んでやがる。図面の数字だけじゃねえ、肌で風の息遣いを感じて骨組みを組む……職人の勘ってやつが、ようやく体に染み付いてきやがったな」
「ええ。理論と現場の勘が完全に一致した時、施工速度と安全性は最大化します」
アレクは納得の頷きを見せると、胸元のトランシーバーマイクを手に取り、高度150メートルの全作業員へ通達を飛ばした。
「全足場班に通達! 風力係数1.15を確認。トラス構造の耐風安全性は完全に立証された! これより第3工区、高度200メートルへの架設工程を続行する! 足場材の受け渡しは二点支持を徹底しろ! 点検ゴーレム隊はマストクレーンの旋回速度を風速に合わせて自動減速モードに切り替えろ! 指さし呼称、ボルト確認ヨシ!」
「「「アイアイサーッ!!」」」
スピーカーを通じて返ってきた10万人の怒号のような雄叫びが、地下大空洞に吹き荒れる魔力嵐の轟音を完全に圧倒した。
世界の嵐に怯むことなく、銀色の巨塔は、更なる高みへと力強くその骨組みを伸ばしていくのであった。




