第120話:エドワード総棟梁、500メートルの足場架設開始
工期19日目、午前9時00分。
地下100階『始祖コアの間』。
世界の心臓が激しく脈動し、青白きエーテルの光風が吹き荒れる広大な空洞に、鋭く澄み切ったホイッスルの音が三連発で鳴り響いた。
――ピピピィィィィッ!!
「全工区に通達!」
朝礼台の上に仁王立ちした現場総監督アレク・ユグレットの怒声が、拡声魔導具を通じて直径3キロメートルのドーム全体に轟く。
「これより工程第1段階――『始祖コア外周500メートル自立式立体トラス足場架設』の着工を宣言する! 全作業員、指さし呼称! 服装よし! 保護帽あご紐よし! 安全帯二丁掛けよし! 工具落下防止ワイヤーよし! ボルト締結トルク確認、ヨシ!」
「「「ゼロ災で行こう、ヨシ!!!」」」
10万人の東西合同原状回復隊の雄叫びとともに、史上空前の大工事が幕を開けた。
ドワーフの鍛冶師たちが手にした重ハンマーが一斉に掲げられ、重装騎士団が整然と資材供給レーンを形成し、魔王領のオークたちがドラム缶のボルトを軽々と前線へ運搬していく。
「足場鳶部隊、全8000名! オレに続けぇぇぇッ!!」
先頭を切って駆け出したのは、二本線ヘルメットに『上級主任・時給1500ゴールド』の腕章を燦然と輝かせた元勇者エドワードであった。
手には使い慣れた特注チタン製ラチェットレンチ。腰には命綱となる2丁掛けフルハーネス安全帯と、ずっしりと重いミスリル製クランプ袋。
その足取りには、かつて世界中を放浪していた頃の軽薄さは微塵もなく、大地を踏み締める職人の確固たる重心が宿っていた。
「シエルちゃん、ベースプレートの墨出し位置は!?」
「全周600メートル、第1基部から第128基部まで、レーザーマーキング完了しています! 許容誤差はプラスマイナス0.5ミリ以内です!」
シエルが測量機から叫ぶ。
「了解だ! 第1足場班、重量ベースプレート据え付け! アンカーピン打ち込み急げッ!」
ドガガガガッ! ドガガガガッ!
玄武岩の床面に、1枚あたり重量500キログラムの超大型高張力鋼ベースプレートが、寸分の狂いもなく円周状に据え付けられていく。
水準器の気泡を睨みながら、エドワードが自ら真鍮のクサビ(ライナープレート)を滑り込ませ、ミリ単位の水平を瞬時に決めていく。
「基礎のガタつきは天辺で10メートルの狂いになる! ベースプレートの水平出し、妥協すんなよ!」
エドワードの真剣な眼差しが、若手鳶たちの背筋を正す。
「気泡よし! 水平誤差ゼロ! 柱パイプ、前へ!」
ズゥゥゥゥン……! ズゥゥゥゥン……!
エドワードの号令に呼応して地響きを立てたのは、翠緑の単眼を輝かせるアブソリュート・ゴーレムたちであった。
100台の巨兵たちは、全周600メートルの外周軌道上に等間隔で配置され、その巨大な右腕のマニピュレータで、長さ30メートル、重量20トンのミスリルトラス鉄骨を軽々と抱え上げていた。
定格積載量50トンの強靭なパワーが、暴風雨の中でもブレることなく鉄骨を垂直に保持し、ベースプレートのジョイント部へとピタリと嵌め込む。
「ゴーレム隊、建て入れ直し(垂直度調整)完了! 鉛直誤差0.1ミリ以内!」
合図のホイッスルが鳴り響く。
カチャチャチャッ! カンッ! カンッ!
「『神速・立体トラス三方締め』――ッ!!」
エドワードが宙を舞った。
足場パイプの先端を足場にして地上10メートルの虚空へ跳躍すると、飛来するチタンボルトを空中でキャッチし、ラチェットレンチを一閃させる!
命綱のランヤード(伸縮ロープ)が空中でしなり、エドワードの身の軽さを完璧に支えている。
ガガガガッ! カチンッ!
規定締め付けトルク450ニュートンメートルに達した瞬間、ラチェットのトルククラッチが心地よい金属音を響かせる。
縦パイプ、横パイプ、そして斜めに交差するブレース(筋交い)。
三角形を基本単位とするトラスの構造体が、エドワードの手によって瞬く間に立体格子として組み上がっていく。
「おいおい……! 見ろよエドワード主任の動き!」
「地上10メートルの鉄骨の上を、まるで平地を歩くみたいに駆け抜けてやがるぞ!」
「あんな神業のラチェット捌き、ドワーフのベテラン棟梁でも見たことがねえ!」
作業員たちが感嘆の声を上げる。
かつて聖剣を振るっていた元勇者の超人的な膂力と動体視力は、今やすべて「仲間のための足場を1秒でも早く、1ミリでも頑丈に組み上げる」ための至高の技へと昇華されていた。
「ボヤボヤすんな、第2班! 斜材のクランプを遊ばせるな! ボルトの噛み合わせは山を3つ残せ! 三角形を一つ組むごとに、誰かの命が守られると思えッ!」
エドワードの檄が飛ぶ。
その声には、かつての借金に怯えていた情けない男の面影など微塵もなかった。
10万人の命と、世界の心臓を支える「足場総棟梁」としての、圧倒的な気迫と威厳が宿っていた。
下からそれを見上げる台座のテント。
ルシアの特製スープを啜りながらパイプ煙草をくゆらせる師匠ガントが、目を細めてニヤリと笑った。
「がっはっは! おいアレク、見ろよあのバカ勇者を。……てめえが鍛え直しただけのことはあるじゃねえか。すっかり一人前の鳶の親方面しやがって」
「ええ」
アレク・ユグレットは手元のストップウォッチを止め、満足げに頷いた。
「第1層、地上30メートルまでの架設所要時間、わずか42分。設計施工速度の120パーセントを維持しています。エドワードの足場には、一切の迷いもガタつきもありません」
その足場の周囲では、普段は決して交わることのない異なる種族たちが、完璧な連係プレーを見せていた。
屈強なオークたちが地上で重いトラス材をクレーンフックへ掛け、ドワーフの鍛冶師が合図の笛を鳴らし、王国の重装兵たちが滑車ロープを引く。
そしてエルフの魔法技師たちが、風圧測定水晶のデータを叫んでエドワードへ送る。
「エドワード棟梁! 上空風速、北北東から秒速18メートルへ微増! 突風に注意してください!」
「了解だ! ブレースの斜材を先に入れて風を逃がす! 第3班、ターンバックルでテンションを張れ!」
ゴオオオオオオッ……!
始祖コアから吹き荒れる強烈なエーテルの突風が、組み上がったばかりの第1層トラス足場を激しく叩く。
だが、完璧な計算に基づいて三角形に組まれた銀色の骨組みは、風圧を美しく分散させ、きしむ音ひとつ立てずに微動だにしなかった。
「よし! 第1層の剛性試験、完全合格だ!」
地上30メートルのトラスの頂点に立ったエドワードが、青白く輝く始祖コアを見下ろし、天に向かってラチェットを突き上げた。
「おい見ろよみんな! アレクの計算したトラスは、これっぽっちも揺れねえぞ! オレたちの足場は、世界の嵐に勝ったんだ!」
「「「うおおおおおおおおっ!!!!」」」
地上から見上げる10万人の作業員たちから、大地を揺るがす歓声が沸き起こった。
「これより第2層、高度60メートルへの跳ね出しを開始する! 全足場班、命綱二丁掛け! 手すり先行工法を厳守しろ! 世界の頂点まで、1本も休まず駆け上がるぞォッ!!」
エドワードの怒声が、神話の空洞に木霊する。
10万人の大歓声とともに、銀色のトラス足場が、青白き世界の心臓を包み込むように天へと向かって急速に成長を始めた。
それは、神の領域に挑む人間の知恵と、技術と、誇りが織りなす、空前絶後の巨塔の誕生であった。
タイムリミットまで残り11日。
原状回復士たちの前代未聞の突貫架設が、世界の心臓を救う唯一の希望となって突き進んでいく。




