第117話:地下100階到達:世界の心臓「始祖コア」の威容
工期19日目の午前8時15分。
ついに、全高30メートルの古代三重封印隔壁を越え、東西合同原状回復隊の10万人と100台のアブソリュート・ゴーレムが、人類史上前人未到の神域――『地下100階・始祖コアの間』へと足を踏み入れた。
――ゴォォォォォォォォ……! ドクン……ドクン……!
空間に入った瞬間、全員の鼓膜を震わせたのは、大気そのものが脈動しているかのような、巨大かつ重厚な地鳴りであった。
そこは、直径3キロメートル、天井高800メートルに及ぶ、途方もない超巨大地下空洞であった。
天空のように広がる頭上の天井岩盤からは、何1000本もの極太の魔力導管が鍾乳石のように垂れ下がり、銀色の光を放ちながら地底の底へと伸びている。
そして――その空洞の真ん中に、それは鎮座していた。
全高500メートル。
超巨大な山岳が丸ごと一つ浮かび上がったかのような、圧倒的な質量を誇る青白き巨大結晶球体――この大陸の全魔力循環を司る世界の心臓、【始祖コア】であった。
球体の内部では、銀河の星々を凝縮したかのような超高密度の神聖魔力が渦を巻き、規則正しく青白いパルス光を放っている。
その光が空洞全体を白昼のように照らし出し、空気中には高純度エーテルの粒子がダイヤモンドダストのようにキラキラと舞い踊っていた。
「「「あ……ああ……っ」」」
10万人の作業員たちが、武器や工具を取り落としそうになりながら、一斉に息を呑んで立ち尽くした。
王国の誇る歴戦の重装騎士たちも、魔王領の剛勇無双なオークたちも、誰一人として言葉を発することができない。
神話の時代から世界を支えてきたというその絶対的な美しさと神々しさに、誰もが魂を撃ち抜かれ、膝を折りそうになっていた。
「す、すげえ……! 何だありゃあ……!」
上級主任のエドワードがヘルメットを押し上げ、あんぐりと口を開けて天を仰いだ。
「あんなデカい宝石、見たことも聞いたこともねえぞ……! まるで空に青い太陽が落っこちてきたみたいだ……! アレク、あれが本当に、オレたちが直さなきゃならねえ『始祖コア』なのかよ!?」
「そうだ。あれが始祖コアだ」
アレク・ユグレットの静かな返答が響いた。
だが、その声には、他の者たちのような陶酔や畏怖の色は欠片も混じっていなかった。
アレクは白手袋の手で、愛用の真鍮製単眼鏡を右目に当て、静かに水晶球体の表面を走査していた。
彼の眼に宿るのは、いかなる虚飾や神話のヴェールをも剥ぎ取り、物理的構造物としての真実だけを冷徹に暴き出す、原状回復士の絶対技能――《損害鑑定眼》であった。
「美しいと見惚れている場合ではない。全員、足元を固めろ」
アレクの氷点下の声音が、静まり返った空洞にピシリと落ちた。
「え……?」
エドワードが我に返ってアレクを見つめる。
「見ろ。あの青白い光の奥底を」
アレクは白手袋の指先で、全高500メートルの巨大結晶の赤道付近を指し示した。
「外殻結晶の表面に、深さ2メートル、長さ数100メートルに達する致命的クラック(亀裂)が、確認できるだけで1800本以上走っている。内部の高圧エーテルが亀裂から霧状に漏洩し、自重による剪断応力に耐えきれず、結晶の格子構造が崩壊を始めている」
「深さ2メートルのヒビが、1800本……!?」
エドワードが息を呑む。
「それだけではない。さらに深刻なのは、コアを支える『基礎アンカー部』だ」
アレクは単眼鏡の焦点を、球体の最下層――地下100階の玄武岩フロアと接する基部へと合わせた。
「地下92階で回収した古代竣工図面第980番の仕様によれば、基部は128本の特大ケミカルアンカーボルトで岩盤に完全拘束されていなければならない。だが現実はどうだ? 経年劣化と歴代勇者たちの戦闘衝撃によって、128本中102本がすでに破断している」
「ひゃ、102本が破断……!? 全体の8割が折れてるってことか!?」
「そうだ。その結果、全高500メートル、総重量およそ10000万トンの巨大球体全体が、鉛直軸から南西方向へ『3.8度』傾斜している。――現在の球体は、芯の狂った独楽と同じ危険な偏心回転運動を起こしているのだ」
アレクは手元のバインダーの応力計算シートに赤ペンを走らせ、冷徹な死の宣告を告げた。
「このまま放置すれば、偏心モーメントによる遠心力で残されたアンカーボルトが連鎖破断を起こし――残り11日で、球体は自重で完全に崩壊する。そして、溜まった莫大な魔力が暴走し、この大陸の全土が半径5000キロメートルにわたって蒸発・消滅する」
「な、残り11日で大陸全土が蒸発……!?」
10万人の作業員たちの顔から血の気がサーッと引いた。
神々しい世界の心臓は、いつ大爆発を起こしてもおかしくない、史上最悪の『巨大時限爆弾』と化していたのだ。
「だが、絶望する必要はない」
アレクは作業服のポケットから、先ほど広げた設計図面を掲げた。
「病巣は特定された。原因が分かれば、直すのが我々の仕事だ。――エドワード、シエル、ルシア、全工区の棟梁たち! 作業手順書第1フェーズを展開しろ!」
「「「アイアイサーッ!!」」」
絶望を吹き飛ばすように、職人たちの声が響き渡った。
「シエル、外径600メートルの自立トラス足場配置図を床面にレーザー投影しろ!」
「はい、主任! 始祖コア足場全体配置図、第1層基礎レベル展開します!」
シエルが魔導プロジェクターを起動すると、地下100階の広大な玄武岩フロア全体に、青白い幾何学グリッドラインが走った。
全高500メートルのコアを取り囲むように、正確に同心円を描く直径600メートルのトラス足場架設ライン。
1本1本の支柱の位置、クレーン代わりとなるゴーレムの配置ポイント、そして16基の油圧ジャッキ据付予定地が、ミリ単位の精度で路面に刻み出されていく。
「エドワード、第1工区から第8工区までの足場鳶8000名を率いて、第1層ベースプレートの墨出し(マーキング)を開始しろ。1ミリの水平狂いも許さんぞ」
「任せとけ、現場総監督殿!」
エドワードが愛用のチタンラチェットを回し、頼もしい笑みを浮かべた。
「時給1500ゴールドの腕前、見せてやるぜ! 世界で一番デカい宝石の周りに、誰一人落ちねえ最強の鳥かごを編み上げてやる!」
「ルシア、冷却バイパス配管の圧力逃がしラインを確保しろ。破断したアンカーボルト周辺の背圧を逃がさなければ、基礎の削岩に入れない」
「了解いたしました、アレク様! 第3ドレン系統を即時開放し、配管内の余剰蒸気を安全弁へ誘導します!」
ルシアが営繕手帳を開き、ドワーフ配管工たちを率いて駆け出していく。
「リリアナ、救護班を第4セクターの安全地帯に展開。高濃度エーテル酔いによる作業員の眩暈に備え、中和剤を配備しろ」
「承知いたしました、アレク様♡ ……皆様、倒れるなら私のベッドの上だけにしてくださいね〜?」
聖女の愛らしい微笑みが、極限の緊張感に包まれていた現場の空気をふっと和ませた。
各リーダーへの指示をわずか1分で完遂したアレクは、巨大結晶の根元へとゆっくりと歩みを進めた。
足元には、1000年前の勇者たちの剣戟によって抉られた岩盤の亀裂。
そして――。
巨大なコアの真下、油と魔力蒸気が立ち込める基部の暗がりに、1本の極太レンチを抱えて踏ん張る、見覚えのある『老いた人影』を、アレクの碧眼が捉えた。
「……やはり、そこにいたか」
世界の心臓の威容と、破滅へのカウントダウン。
第9巻の幕開けとともに、人類史上最大の足場架設とジャッキアップ作戦、そして10年の時を超えた「師弟の再会」が、ここに幕を開けようとしていた。




