第116話:最後の三重封印扉の開放
工期19日目、午前7時50分。
世界の心臓『始祖コア』の自壊タイムリミットまで、残りわずか11日。
地下99階と最深部地下100階を隔てる、前人未到の境界線。
そこに立ちはだかっていたのは、全高30メートル、幅20メートルに及ぶ、超弩級の白銀の壁――『始祖の三重封印隔壁』であった。
外側からアダマンタイト装甲扉、ミスリル遮蔽扉、そして古代オリハルコン制振扉という、古代文明の最高峰金属が三重に積層されたその扉は、いかなる神聖魔法や破壊魔法の直撃をも無力化する絶対不可侵の物理障壁であった。
扉の前に整列したのは、ヘルメットの紐を固く結んだ10万人の東西合同原状回復隊。
午前7時50分、定刻通りの最終朝礼が始まっていた。
「全工区に通達! 本日の安全衛生スローガン唱和! 『焦るな、急ぐな、手順を守れ! 世界の心臓もボルト1本から!』――ゼロ災で行こう、ヨシ!」
「「「ゼロ災で行こう、ヨシ!!!」」」
10万人の地鳴りのような唱和が、地下99階の巨大ホールに木霊する。
その最前列中央には、白手袋をはめ、首から使い込まれた真鍮ノギスを下げた現場総監督アレク・ユグレット。
右隣には二本線ヘルメットに上級主任腕章を輝かせたエドワード。
左隣には1200枚の古代図面ケースを抱えたシエルと、営繕エプロン姿のルシア。
後方には救護班を束ねる聖女リリアナと、削岩機を点検し終えたバルガン親方。
そして頭上には、100体のアブソリュート・ゴーレムが翠緑の単眼を灯して二列縦隊で整列していた。
「……でけえな」
エドワードが首が痛くなるほど見上げ、唾を飲み込んだ。
「10年前、ガントの親方は本当にこの扉を開けて中に潜ったのかよ? 鍵穴どころか、取っ手すら見当たらねえぞ。魔法の鍵で『開けゴマ』って唱えれば開くようなシロモノじゃなさそうだ」
「師匠は開けたのではない。『正規の保守メンテナンス手順』に従って解錠したのだ」
アレクは静かに歩みを進め、扉の中央に埋め込まれた直径30センチメートルの幾何学円盤の前に立った。
「古代の超弩級防護隔壁は、外部からのあらゆる軍事的攻撃に耐えるよう設計されている。もしも力任せに魔法や爆薬で吹き飛ばそうとすれば、反動で隔壁内部の自爆破壊装置が起動し、この階層ごと完全に圧壊する設計だ。だが、設計者が用意した『正規の保全ルート』を通る者に対しては、この扉は世界で最も忠実に道を開く」
そこには、三つの同心円状の回転ダイヤルと、微細な古代共通語の刻印が刻まれていた。
そしてダイヤルの金属枠には、誰かが鏨で手彫りしたような、荒々しく煤けた文字が残されていた。
『アレクへ。内径公差はマイナス0.02ミリだ。ノギスが狂ってたら叩き割るぞ。――ガント』
「師匠……」
アレクの口元に、微かな笑みが浮かんだ。
「私のノギスは、師匠から受け継いだその日から、0.01ミリも狂ったことはありません」
アレクは首から下げた真鍮ノギスを手に取り、スライダーを滑らかに動かした。
カチ、カチ、カチ……。
「シエル、第1200番図面・封印扉シーケンス数値を読み上げろ」
「はいっ! 第1環・主軸熱膨張補正値:プラス14.32ミリ! 第2環・油圧予圧ロック値:マイナス8.75ミリ! 第3環・コア共鳴周波数同調値:440ヘルツです!」
「了解。まず外気温と素材の線膨張係数を照合する。現在の坑道内気温摂氏22度、基準温度摂氏20度に対しデルタTはプラス2度。アダマンタイトの熱膨張による寸法変化はプラス0.008ミリ。――補正後目標値、14.328ミリ」
アレクはノギスのバーニヤ目盛をルーペで覗き込み、親指で微動送りを回した。
目盛の線と線が、分子ひとつの狂いもなくピタリと重なり合う。
「ダイヤル第1環、14.328ミリにセット」
アレクの指先が、一切の震えなく巨大ダイヤルをミリ以下の精度で微回動させる。
カチリ。
「第2環、マイナス8.75ミリにセット」
カチリ。
「第3環――ポチ、440ヘルツの微細魔力振動を入力しろ」
「ピキュッ!」
ポチがダイヤルの中央突起に張り付き、規則正しい高周波振動をパルス状に送り込む。
――チチチチチ……カシャンッ!!
その瞬間、扉の内部深奥から、巨大な重量物が噛み合う重厚な機械音が響き渡った。
三重のダイヤルが青白く発光し、古代のアナウンスがドーム全体に轟く。
『セキュリティクリアランス承認:最高位設備総監督権限を確認。三重隔壁の物理ロックおよび魔力絶縁フィールドを全解除します』
プシュゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!
1000年蓄積されていた超高圧の窒素ガスが、地鳴りのような排気音とともに噴き出した。
そして――。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
厚さ数メートルに及ぶ第1のアダマンタイト扉が左右へ開き、続いて第2のミスリル遮蔽扉が天井へと格納され、最後に第3のオリハルコン扉が油圧シリンダーの滑らかな駆動音とともにゆっくりと引き込まれていった。
「「「おおおおおおおおっ……!!!!」」」
10万人の作業員たちが、一斉に息を呑んだ。
開放された巨大な開口部から、目も眩むような鮮烈な青白い燐光と、肌を焦がすような神聖魔力の熱波が津波のように押し寄せてきた。
坑道内を吹き抜ける風は、摂氏35度のぬるい微風へと変わり、空気中には高密度のエーテル粒子がきらきらとダイヤモンドダストのように舞い踊っている。
その光の向こうに広がるのは、人類の歴史上、過去1000年において誰一人としてその全貌を目にしたことのない神話の領域――。
直径3キロメートル、天井高800メートルに及ぶ、世界の心臓を格納した超巨大地下空洞『地下100階・始祖コアの間』であった。
空洞の中央には、虚空に浮かぶように鎮座する、全高500メートルの超弩級結晶球体【始祖コア】が、弱々しく、しかし脈打つような青白き鼓動を刻んでいた。
その神々しくも痛ましい姿に、百戦錬磨の重装騎士たちも、屈強なオークの戦士たちも、言葉を失って立ち尽くしていた。
「あ……あれが……『世界の心臓』……!」
エドワードがヘルメットを押し上げ、呆然と呟いた。
「山が丸ごと一つ入るようなデカさじゃねえか……! あんな途方もねえモンを、本当にオレたちの手で直すのかよ……!?」
「直すのではない。『元通りに直して、敷金を全額没収して帰る』のだ」
光の嵐の中、現場総監督アレク・ユグレットは一切目を細めることなく、黄色いヘルメットの鍔をグッと引き下げた。
右手にラチェットレンチ、左手に1200枚の青焼き図面。
「全工区に通達!」
アレクの鋭い号令が、光の回廊を突き抜けて深淵へと響き渡った。
「これより、地下100階『始祖コア大改修工事』に着工する! アブソリュート・ゴーレム全100機、前へ! 第1足場班、基準点測量を開始しろ! 1本のボルトの緩みも、1ミリの狂いも許さん! 世界の心臓を元通りに直して、全員揃って定時で帰るぞ!」
「「「うおおおおおおおおっ!!!!」」」
「行くぞエドワード、シエル、ルシア、リリアナ。――師匠が待っている」
「おうよ! オレたちの足場を世界に見せつけてやろうぜ!」
「はい、主任! 図面も計測器も準備万全です!」
10万人の地鳴りのような咆哮とともに、東西合同原状回復隊は、世界の運命を決する最後の決戦場へと堂々たる進撃を開始した!
第8巻の幕が静かに下り、物語は世界の心臓を巡る怒濤の最終工事――第9巻『始祖コア500メートル自立トラス足場&ジャッキアップ編』へと突入していくのであった。




