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『ダンジョン原状回復士の事件簿』〜勇者がぶっ壊した迷宮、敷金全額没収の上で元通りに直して帰ります〜  作者: 六井求真


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111/132

第111話:地下95階:師匠ガントの足跡・第二の拠点

1200枚の古代竣工図面という最強の武器を手に入れた東西合同原状回復隊は、5000トンの点検重機部隊を先頭に立て、地下92階からさらに深層へと邁進した。

 工期15日目の午後14時00分。

 部隊はついに、これまで人類の誰一人として記録を残していなかった未踏領域――『地下95階』へと到達した。


 そこは、始祖コアから漏れ出す強大な魔力熱によって、周囲の岩盤が赤紫色に鈍く燐光を放つ灼熱の階層であった。

 坑道内の気温は摂氏42度、湿度は85パーセント。

 まるでサウナの中に放り込まれたかのような過酷な熱気が、作業服の繊維をじっとりと濡らし、職人たちの呼吸を奪っていく。


「ふぅ……ふぅ……! あちいなんてもんじゃねえぞ……!」

 エドワードが首元に巻いた冷却タオルを絞りながら、肩で息をする。

「おいアレク、こんなクソ暑い深層で、本当に人が生きていられるのかよ? 魔族のオークですらへばりかけてるぞ」


「人間でも魔族でも、並の精神力では3日と持たない極限環境だ」

 アレク・ユグレットは手元の温湿度計とWBGT(暑さ指数)測定水晶を確認し、氷のように研ぎ澄まされた視線を前方へと向けた。

「WBGT値は33度を超え、『運動・重労働原則中止』の超厳重警戒レベルだ。全作業員に水分と塩分飴の強制補給を行わせろ。熱中症による倒伏者は現場の死角を生み、連鎖的な大事故を引き起こす。だが――」

 アレクはふっと足を緩め、視線を坑道の岩壁に向けた。

「この過酷な熱帯坑道に、10年間たった一人で留まり続けた職人がいる」


「……え?」

 エドワードが顔を上げた。


 アレクが歩みを止めたのは、岩盤が大きくくり抜かれた小さな横穴の前であった。

 その入口には、周囲の古代合金とは明らかに異なる、手作り感に溢れる粗末な防護柵が立てかけられていた。

 削り出された木製の看板には、煤けた文字でこう刻まれていた。


 ――【ガント原状回復出張所・第2詰所(土足厳禁・道具の手入れをしてから入れ)】


「ガントのジジイの……詰所……!?」

 エドワードが目を丸くして立ち尽くした。


 アレクは静かにヘルメットを脱ぎ、入口で一礼してから横穴の中へと足を踏み入れた。

 後からエドワード、シエル、ルシア、そしてリリアナが息を呑んで後に続く。


 そこは、わずか十畳ほどの小さな岩室であった。

 だが、その空間の隅々にまで、たった一人の老職人が10年の歳月をかけて戦い抜いてきた凄絶な生の痕跡が、生々しく刻み込まれていた。


 部屋の隅には、使い古されて刃こぼれした何10本もの削岩タガネと、柄が擦り減って手の平の形に窪んだ大ハンマーが、整然と工具箱に収められている。

 簡易ベッドの上には、幾度も継ぎ当てされた毛布と、手作りの木製枕。

 そして何よりも圧倒的だったのは、四方の岩壁一面を埋め尽くすように、黒い木炭とチョークでびっしりと書き殴られた膨大な『計算式』と『配管応力解析図』であった。


「な、何なんだよこれ……!? 壁が数式で埋まってやがる……!」

 エドワードが壁に近づき、息を呑んで見上げる。


「始祖コアの熱膨張率、および支持トラスにかかる剪断応力の計算だ」

 アレクは震える白手袋の指先で、壁に刻まれた数式をそっとなぞった。

「師匠は10年前、たった一人でここまで潜り、地上に残された不完全なメモだけを頼りに、自らの肉体で熱を測り、耳で振動を聴き、岩壁に数式を刻みながら始祖コアの延命方法を探り続けていたのだ」


 壁の下部には、数万回に及ぶ計算の末に導き出されたと思われる、巨大な赤い矢印とともに、太い文字でこう記されていた。


 『始祖コアの傾き角:現在0.08度東へ偏向。このままでは地下100階主幹配管が破断する。必要な支柱トラスの高さ:最低500メートル。必要な油圧ジャッキ能力:最低10000万トン。――おいアレク、ここまで追いついてきたなら、この数字の重みが分かるはずだ。てめえのヘルメットを信じて、仕上げてみせろ』


「師匠……」

 アレクの碧眼が、熱い光を帯びて微かに揺れた。


 10年前、何の装備も兵站もなく、たった1本のハンマーと図面板だけを抱えて単身迷宮の底へ消えた老棟梁ガント。

 彼は決して無謀に突撃したのではなかった。

 この灼熱の岩室に籠もり、孤独と飢えと戦いながら、いつか自分の後を追ってやってくるであろう一番弟子――アレク・ユグレットのために、命を削って完璧な施工指針の道標を遺していたのだ。


「すげえ……すげえよ、ガントの親方……!」

 エドワードの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。

「たった一人で……10年もこんな地獄みてえな場所で、世界の心臓を支え続けてたのかよ……! オレたち勇者パーティは、そんなことも知らずに地上で偉そうに踏ん反り返って、魔王を倒せば世界が救われるなんて思い込んでやがった……! 本当に世界を救ってたのは、こんな暗がりで手を油と泥で真っ黒にしてた親方じゃねえか……!」


 元勇者がボロボロと涙を流し、擦り切れた作業台の前に崩れ落ちる。

 その後ろで、聖女リリアナもまた、胸の前で手を組み、静かに祈りを捧げていた。

「……神の奇跡などではなく、たった一人の人間の不屈の誇りが、この世界を繋ぎ止めていたのですね。……私、自分の小ささが恥ずかしいです」


「リリアナ様、恥じることはありません」

 シエルが優しく声をかけた。

「ガント親方は、誰かに感謝されたくてここにいたのではありません。『壊れたものを元通りに直して返す』――職人として当たり前の誇りを守るために、ここに立っていたんです」


 ルシアもまた、壁の数式を見つめ、静かに頷いた。

「魔界のどんな頑丈な戦士でも、この孤独と熱気に耐えることはできません。……ガント様は、真の英雄です」


「泣いている暇はない、エドワード」

 アレクは静かに振り返り、ヘルメットを深く被り直した。

 その瞳からは迷いが完全に消え去り、棟梁の誇りと不屈の闘志が宿っていた。


「師匠は、私たちにバトンを渡した。必要なトラスの高さは500メートル。同調ジャッキアップ能力は10000万トン。――師匠が10年かけて現場で計算した答えと、先ほど入手した古代竣工原図の設計値は、寸分の狂いもなく完全に一致している」


「一致……! ガント親方の手計算が、1000年前の超文明の図面とドンピシャだったってのか!?」

 エドワードが涙を拭い、驚愕して叫ぶ。


「そうだ。師匠の現場感覚は、1000年の時を超えて古代超文明の最高峰設計者と対等に渡り合っていたのだ。師匠が10年かけて整えてくれた下準備の上に、私たちは10万人の仲間と、100台の点検重機と、1200枚の原図を持って立っている。ならば、その弟子である私たちが、この工事を完遂できない理由がどこにある?」


「ねえよ……! あるわけがねえッ!」

 エドワードが力強く立ち上がり、鼻をすすってヘルメットの鍔を叩いた。

「オレが必ず、親方の計算通りの500メートルトラス足場を組み上げてやる! 1本のボルトの緩みも出さねえ! 天辺まで完璧に繋いでみせるぜ!」


 アレクは岩室の中央に立ち、メガホンを取った。


「全工区に通達! これより第2詰所周辺に冷却中継拠点を設営し、地下98階の高圧蒸気地帯の突破準備に入る! 師匠の遺した計算式に恥じぬ仕事をしろ! 安全第一、全工程ゼロ災で進軍開始!」


「「「うおおおおおおおおっ!!!!」」」


 10万人の合同隊の魂が、老棟梁の10年の足跡に触れて一つに燃え上がった。

 最深部・地下100階の決戦場まで、残る階層はあとわずか5層。

 東西合同原状回復隊の総力戦が、いよいよ最終局面へと突入していくのであった。

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