第110話:地下92階:失われた配管図面の発見
地下92階の分岐路。
荒削りの岩盤回廊の突き当たりに、周囲の無骨な景色とは不釣り合いな巨大な白銀の防護扉が聳え立っていた。
高さ8メートル、幅6メートル。表面には継ぎ目のないミスリルチタン装甲が張られ、古代共通語の刻印が青い蛍光塗料で浮かび上がっている。
――【CENTRAL ARCHIVE & BLUEPRINT VAULT】
――【RESTRICTED AREA: AUTHORIZED PERSONNEL ONLY】
「中央書架および図面保管庫……! 本当に実在したのか……!」
アレク・ユグレットは、隊長機の肩から身軽に飛び降り、白手袋の手のひらで扉の冷たい金属面に触れた。
その瞳には、かつてない学究的な情熱と、図面至上主義者としての強い光が宿っていた。
「おいアレク、頑丈そうな扉だが、鍵穴が見当たらねえぞ。どうやって開けるんだ?」
エドワードがバールを構えながら扉の隙間を覗き込む。
「無理にこじ開けようとするな。扉の周囲に展開されているのは、防塵・防湿・防炎の三重要素魔法障壁だ。物理的な破壊を試みれば、内部の貴重な紙面資料が防衛システムによって瞬時に焼却処分される」
「げっ……! 自爆機能付きかよ! 物騒な書庫だな!」
「隊長機、前へ」
アレクが振り返って指示を出すと、アブソリュート・ゴーレムの隊長機がズシンと歩み寄った。
隊長機は右腕のマニピュレータを繊細に変形させ、手のひらから1本の黄金色に輝く多軸魔導シリンダーキーを繰り出した。
それを扉中央の微小な凹部へ差し込み、カチリと時計回りに90度回転させる。
――ピロリロリロリン……!
古代の認証メロディが回廊に響いた。
『認証完了:第1種設備保全マスターキーを確認。保管庫の減圧を解除し、開放シークエンスを開始します』
プシュゥゥゥゥ……!
分厚い扉から1000年封じられていた窒素ガスが音を立てて抜け、重量数100トンの防護扉が左右へと静かにスライドした。
中から漏れ出してきたのは、古書特有の乾いたインクの香りと、完璧な空調設備によって保たれた摂氏18度、湿度50パーセントの清浄な空気であった。
「「「うわああああああああっ……!!!!」」」
後方から駆けつけたシエルが、部屋の中に足を踏み入れた瞬間、歓喜の悲鳴を上げた。
そこに広がっていたのは、見渡す限りの広大な円形図書館であった。
高さ20メートルを超える円筒状の壁面全体が、何千段もの金属製図面棚で埋め尽くされている。棚には1本1本、気密真鍮ケースに収められた青焼き図面ロールが整然と並び、各棚には分類番号が几帳面に刻まれていた。
「す、すごい……! 先輩、これ全部、古代超文明の設計図面ですよ! 紙の劣化も虫食いも一切ありません! 完全な保存状態です!」
シエルが飛び跳ねるように棚へ駆け寄り、手袋をはめた指先で真鍮ケースを取り出す。
「シエル、中央棚の第1セクションだ。そこに始祖ダンジョンの『竣工時オリジナル設計原図』があるはずだ」
「はいっ! ……あ、ありました! 【PROJECT PRIME: SHISO FACILITY ORIGINAL AS-BUILT DRAWINGS(全1200枚)】です!」
シエルが抱きかかえてきた特大の黒漆塗りの図面箱を、アレクは作業台の上に厳かに広げた。
箱を開けると、中から現れたのは、現代の羊皮紙とは比較にならない超極薄の魔導強化紙に、寸分の狂いもない烏口の精密な線と数式で描き込まれた、巨大な青焼き図面の束であった。
「……息を呑むほど美しい。完全な『竣工時原図』だ」
アレクの指先が、図面上の数値を愛おしそうに撫でる。
「地下1階から最深部地下100階に至る全配管網の流路径、流速、各バルブの許容耐圧、そして――始祖コアを支持する『主柱基部』のアンカーボルト仕様まで、すべての設計値がミリ単位で網羅されている」
「おいおい……それって、どれくらい凄いことなんだ?」
エドワードが首を傾げる。
「これまで我々が行ってきた工事を例えるなら、『完成写真だけを見て、壊れた時計の歯車を手探りで削り出していた』ようなものだ」
アレクは顔を上げ、エドワードと職人たちを見据えた。
「だが、この図面がある今、我々は『時計を作った設計者の頭脳そのもの』を手に入れた。どこのボルトを何ニュートンメートルで締めればいいのか、どのバイパスを開けば圧力が安定するのか、すべての正解がここに書かれている」
「せ、正解が全部……!?」
「そうだ。これにより、地下100階始祖コアの改修工事における不確定要素はゼロになる。手戻り工事のリスクは完全に消滅し、施工精度は100パーセントに跳ね上がる」
「がはははっ! 答えが書いてある教科書を手に入れたってわけか! そりゃ無敵だぜ!」
エドワードが膝を叩いて快哉を叫んだ。
「シエル、この1200枚の原図を即座に複写魔導機でスキャンしろ。各工区の棟梁たちに、該当セクションの配管図を即日配布する」
「了解しました、主任! 全速力で複写班を稼働させます!」
シエルが張り切って腕まくりをする。
「……待て、シエル。第980番の図面を開いてくれ」
アレクが鋭く呼び止めた。
「第980番……? ええと、これですね! 【PROJECT PRIME: DRAWING NO. 980 - FOUNDATION & CORE ANCHOR DETAIL】……『地下100階始祖コア基部・岩盤定着構造詳細図』です!」
幅2メートルの大判青焼き図面が作業台いっぱいに広げられた。
そこに描かれていたのは、現代の土木工学すら超越した驚愕の構造設計であった。
「……やはりそうか」
アレクは眼鏡のブリッジを押し上げ、図面に描かれた無数のハッチングと断面図を凝視した。
「始祖コアは、単に岩盤の上に据え置かれているのではない。地下100階の超硬質玄武岩層に対し、直径200ミリメートル、深さ50メートルの高張力ケミカルアンカーボルトが、360度全周にわたって計128本打ち込まれて基礎と一体化されていたのだ」
「深さ50メートルのボルトが128本……!?」
覗き込んだエドワードが冷汗を流す。
「おいおい、そんなバカげた基礎、どうやって固定したんだよ!?」
「古代の特殊接着剤――『自己修復型魔導エポキシ樹脂』の圧入だ」
アレクは図面右下の配合仕様書を指差した。
「だが、1000年の経年劣化と勇者たちの攻撃衝撃によって、この樹脂が炭化して粉砕され、128本のボルトの8割が破断している。これが、始祖コアがグラつき、世界各地で地震が頻発していた物理的根本原因だ。コア本体の魔力低下だけではなく、基礎の構造力学的破綻が主原因だったのだ」
「な、なるほど……! コアが揺れてるから、管がちぎれそうになってたのか!」
「そうだ。基礎を固め直さずにいくら魔力を充填しても、配管が再び引きちぎれるだけだった。この図面のおかげで、真の原状回復手順が完全に定まった」
アレクは手帳を取り出し、黒インクでサラサラと施工順序を書き留めた。
「工程1、16台の特大油圧ジャッキによるコアの1ミリメートル単位の水平保持(同調リフトアップ)。工程2、超音波探傷試験による亀裂特定と補修。工程3、削岩機による深さ50メートルの岩盤削孔と、128本の新型ケミカルアンカー打ち直し。――これで、始祖ダンジョンは今後1万年にわたって揺るがぬ完全なる耐震構造を取り戻す」
「す、すげえ……! アレク先輩、もう頭の中で完成までの手順が全部組み上がっているんですね!」
シエルが憧れと尊敬に目を潤ませて見つめる。
「図面を愛し、図面に敬意を払う者には、設計者の魂が応えてくれるものだ」
アレクは1200枚の図面箱を大切そうに抱え、静かに微笑んだ。
「すべての真実を手に入れた。これより地下95階へ進軍する。そこには――10年間たった一人でこの迷宮を支え続けた、師匠ガントの真の足跡が待っているはずだ」
1000年の暗闇に眠っていた失われた設計図面。
原状回復士アレク・ユグレットの手に渡ったその瞬間、始祖ダンジョン大改修計画は、手探りの決死行から、絶対の確信に満ちた『精密原状回復事業』へと完全に姿を変えたのであった。




