第108話:10万人による百台一斉定期車検大会
地下90階『古代中央整備回廊』は、空前絶後の光景に包まれていた。
都市を滅ぼすと言われた古代の神話級巨兵アブソリュート・ゴーレム100体が、広大なドーム空間にきっちり十列十行の格子状に整列し、巨大な膝をついて鎮座している。
その巨躯の周囲を、ヘルメットを被った10万人の職人たちがアリの群れのように取り囲み、手にした工具を鳴り響かせていた。
カンカンカンッ! キュルルルルッ! ダダダダッ!
「おい第3鍛冶班! 14番機の左膝シリンダー、六角ボルトの増し締めトルクをトルクレンチで確認しろ! 規定値は450ニュートンメートルだ、勘で締め付けるんじゃねえぞ!」
「おうよ棟梁! カチッと音が鳴るまでしっかり締め込んでるぜ!」
「第8工兵小隊、37番機のオイルフィルター清掃完了! 古い劣化物を取り除いて、新品の魔導メッシュに交換した!」
「第12補給班、作動油ドラム缶を急ぎ前線へ回せ! 50番機から60番機が給油待ちだ!」
ドワーフのベテラン鍛冶師、王国軍の重装工兵、魔王領の屈強なオークたち、さらにはエルフの精密技師までが、種族や陣営の垣根を完全に忘れ去って、ゴーレムたちの『定期車検』に没頭していた。
朝礼台の上に立った現場総監督アレク・ユグレットは、手元の図面バインダーをめくりながら、拡声魔導具を通じて的確な整備手順を飛ばし続ける。
「全工区、工程表の順序を厳守しろ。ステップ1、外面清掃および固着した赤錆のワイヤーブラシ除去。ステップ2、可動部への魔導浸透潤滑スプレー塗布。ステップ3、油圧タンク内への超高圧スピンドルオイル充填。ステップ4、ベアリング部の打音検査およびガタつき測定だ。手抜きは一切許さん!」
「「「アイアイサーッ!!」」」
職人たちの元気な返事がドーム内にこだまする。
整備班の各区画では、普段なら決して交わることのない者たちが、油まみれになって肩を並べていた。
「おい、エルフの兄ちゃん! その細腕で油圧バルブのレバーが引けるのかよ?」
オークの剛力戦士がニヤニヤと笑いかけると、金髪のエルフ魔導技師が眉を吊り上げて細い指先を動かした。
「ふん、腕力だけで機械を動かす時代は1000年前に終わっていますよ。この古代アダマンタイト弁は、微細な魔力共鳴でロックを解除してから回すのです。……ほら、私の魔力調律なら、指1本で回るでしょう?」
「うおっ、すげえ! スルスル回りやがった! エルフの旦那、やるじゃねえか!」
「当たり前です。ですが、内部に溜まったヘドロ化したグリスの掻き出しは、あなたのその太い腕にお願いしなければなりません」
「任せときな! ドロドロの油カスなんざ、ワシのスコップで一発で掻き出してやるぜ!」
種族の特性を完璧に補い合い、100台の整備ラインは驚異的なスピードで進んでいく。
一方、隊長機の頭上では、エドワードが率いる足場鳶班が目にも留まらぬ手際で作業を進めていた。
「へいへい! 首回りの足場解体、急げ急げ! 油が回ったからって油断すんなよ! 最後に頭頂部の光学レンズを、アルコールウエスでピッカピカに磨き上げてやんだよ!」
エドワード自らウエスを手に、巨兵の単眼ガラスをキュッキュッと磨き上げる。
エメラルドグリーンのレンズが鏡のように反射し、巨兵は心地よさそうにプシューッと鼻息のような温風を漏らした。
「がはは! くすぐってえのか? よしよし、いい子だ。男前になったぜ!」
かつて世界を救う勇者だった男が、今や巨大重機と心を通わせる名棟梁の顔をして笑っている。
そこへ、シエルとルシアがワゴンを押してやってきた。
「皆様、お疲れ様です! 整備完了機用の『法定点検済証書』と『車検合格ステッカー』を持ってきました!」
シエルの手には、アレクが手書きで認可印を押した特製の金属プレートが山積みにされている。
「ルシアさん特製の魔力回復冷茶も届いていますよ! 汗を流した後は水分補給を欠かさないでくださいね!」
割烹着姿のルシアが、冷えた茶を職人たちに手渡していく。
「ふはぁ〜っ! うめえ! 巨大ゴーレムのボルト締めなんて重労働、ルシアちゃんの茶がなきゃやってられねえぜ!」
オークの職人が一気に飲み干して歓声を上げた。
そこへ、聖女リリアナが巡回してきた。
「あらあら、皆様とても熱心ですね。……もしボルトの締め忘れなどで後から事故を起こしたら、その方のヘルメットを私が聖なるハンマーで直接叩き潰しますからね♡」
「「「ヒィィィッ! 規定トルクの二度確認、ヨシッ!!」」」
聖女の爽やかな笑顔の脅迫に、職人たちのレンチを握る手に凄まじい気迫が宿った。
後方の通信モニターからは、地上の副ギルドマスター・エレノアの呆れたような、しかし誇らしげな声が響いていた。
『……全く、アレク。地下90階の古代防衛システムと交戦したという急報を聞いて肝を冷やしたけれど、まさか神話の巨兵百体を相手に「一斉車検」を始めるなんてね。王国議会も魔王城も、報告書を二度見して顎を外していたわよ』
「当然の措置です、エレノア様」
アレクは通信機に向かって至極真面目に答えた。
「防衛兵器を破壊すれば莫大な原状回復費用が発生しますが、定期点検を行って正常動作させれば、彼らは定格積載量50トンの最高峰の重機として機能します。敷金の保全と工期短縮、双方においてこれ以上の選択肢はありません」
『ふふ、相変わらずね。全機体の車検費用および油脂類の代金は、ダンジョン改修基金から全額精算承認しておいたわ。定時退社を守って、安全に進みなさい』
「了解です」
そして、作業開始からわずか2時間後――。
午後15時30分。
――ピピーッ!!
アレクの鋭いホイッスルが鳴り響いた。
「全工区、作業停止! 点検工具の員数点検を実施しろ! 機体内部への工具置き忘れゼロを確認!」
「「「工具員数点検、異常なし、ヨシ!」」」
100体のアブソリュート・ゴーレムの頭部には、鮮やかなグリーンの『点検済・次回車検3年後』と大書されたリボンが誇らしげに結ばれ、胸部には『定期点検合格之証』の真鍮プレートがリベットで留められていた。
ゴゴゴゴゴ……!
合図とともに、100体の巨兵が一斉に立ち上がった。
1000年ドームを揺るがしていた金切り声のような金属摩擦音は完全に消え去り、あるのは滑らかに調律された最高峰のタービン回転音と、力強い油圧の鼓動だけであった。
100体のエメラルドグリーンの単眼が、一斉にアレク・ユグレットへと向けられる。
ズシンッ!
100体の巨兵が、寸分の狂いもない完全な同調で右腕を胸に当て、一斉に最敬礼を捧げた。
全身の関節から激痛が消え去り、完璧な活力を取り戻した古代の機械たちが、自分たちを救ってくれた原状回復士たちに心からの感謝を示したのだ。
「全機体、整備完了。作動油圧・ベアリング回転速度、すべて設計基準値の上限で安定している」
アレクは満足げに頷き、懐中時計を一瞥した。
「現在の時刻は午後15時45分。定時退社まで残り1時間15分だ。――これより、この頼もしい点検重機100台を我らの兵站部隊へと正式編入する!」
「「「うおおおおおおおおっ!!!!」」」
10万人の歓声が、古代のファクトリーを揺るがした。
かつて迷宮侵入者を阻む最強の防衛障壁であった巨兵群が、今や10万人の仲間となり、前人未到の『最強の重量物輸送部隊』へと生まれ変わった瞬間であった。
「へっ、100台の巨兵を従えた原状回復隊か……! これならどんな難所だろうと、一気に突破できるぜ!」
エドワードがヘルメットを叩いて誇らしげに笑う。
「そうだ。だが本日の作業時間は残り1時間を切っている。無理な進軍は禁物だ。重機の初稼働テストを兼ねて、資材の整理整頓と軌道の清掃を実施し、17時ちょうどに本日の作業を終了とする」
アレクの徹底した定時退社精神に、職人たちは笑顔で応え、軽やかな足取りで片付けに取り掛かるのであった。




