第106話:エラーコードE-042:1000年の油切れ
地下90階『古代中央整備回廊』。
天井高100メートルに及ぶ巨大な人工ドーム空間に、重厚な金属の悲鳴が木霊していた。
キィィィィィィィン……! ガガガガッ! ギギギギギッ!
全高5メートルの鋼鉄巨兵『アブソリュート・ゴーレム』100体が、その巨体を不規則に痙攣させながら歩を進めていた。
分厚いアダマンタイト装甲の隙間、主脚の膝関節や股関節の油圧シリンダーからは、潤滑油が完全に干からびた金属同士が直接削り合わされる凄まじい摩擦熱が発生し、白い摩擦煙と焦げた鉄粉の臭いがドームいっぱいに立ち込めている。
胸部装甲に埋め込まれた古代魔導液晶パネルには、血のように赤い文字で警告メッセージが高速点滅していた。
――【CRITICAL WARNING: ERROR CODE E-042】
――【HYDRAULIC PRESSURE LOSS: 99.8% / BEARING TEMPERATURE: EXCEEDED CRITICAL LIMIT】
「くそっ、見ろよアレク! 胸のランプがチカチカ点滅して、今にも大爆発しそうな顔してやがるぞ!」
エドワードがミスリル製の遮光防塵ネットを両手に抱え、冷汗を拭いながら叫んだ。
「しかも100体揃いも揃って、同じ不気味な赤い目を光らせてジリジリ近づいてきやがる! あんな巨体に踏み潰されたら、ミンチどころか分子レベルで消し炭だぞ!」
「爆発ではない。あれは1000年叫び続けた救援要請の点滅だ」
アレク・ユグレットは、手元の工具ベルトから特大コンビネーションレンチとメガボルトテスターを抜き放ち、静かにゴーレムの隊長機を見据えた。
「エラーコードE-042。現代の魔導機械保全規格で言えば『作動油全量枯渇および回転主軸ベアリングの焼き付き限界到達』だ。全身の可動部に注がれるべき高圧潤滑油が、1000年の経年劣化によって蒸発・炭化し、油圧回路の内部圧力が99.8パーセント低下している。彼らは歩くたびに、全身の関節がヤスリで削られるような激痛を感じているのだ」
「全身の関節が削られる激痛……!?」
後方で結界を展開していた騎士たちや魔道士たちが息を呑む。
「かつて師匠のガントが、私に最初に叩き込んだ機械保全の初歩がある」
アレクは静かに過去を回想するように目を細めた。
「『機械は嘘をつかねえ。油を抜けば泣き叫び、ボルトを緩めれば骨を折る。だが、手入れを怠らなきゃあ、1000年の時を超えて人を助ける相棒になる』とな。……見ろ。このゴーレムたちの装甲表面には、かつてガント師匠が点検した際の打音検査チョークの跡すら薄っすらと残っている」
「な、なんだって……!? ガントの親方がここにも手を入れてたのか!?」
エドワードが驚愕して叫ぶ。
「ああ。師匠は10年前、単身でここまで潜り、油が足りない中で応急的なグリスアップだけを施してさらに下層へと進んだのだ。だが、それから10年。残されたわずかな油脂すら完全に干からび、今まさに限界を迎えている」
アレクの声音には、一切の冷淡さはなかった。機械工学に命を捧げる技術者としての、深い敬意と胸を突くような哀悼が込められていた。
「もし人間なら、とっくに激痛で失神しているレベルの致命的過負荷だ。それでもなお、古代文明から入力された『中央整備回廊の巡回・点検プログラム』を忠実に守り、骨が軋む痛みに耐えながら1000年も歩き続けてきたのだ」
アレクは手元の工具を構え、力強く告げた。
「この健気な点検重機たちを、暴走した殺人兵器などと呼んで破壊することなど、原状回復士として断じて許されない。――これより、全機体の緊急救命注油を実施する!」
「お、おう! そうと決まれば話は早いぜ! オレが目隠しを作ればいいんだな!?」
エドワードが不敵に笑い、二本線ヘルメットをグッと深く被り直した。
「そうだ。隊長機の頭頂部に設置された複眼カメラユニットが、熱源を敵対者と誤認してプラズマ溶接機を振り回している。視界を遮光すれば、安全装置が働いて1時的に腕の駆動が停止する」
「よっしゃあ! チタン足場鳶の真髄、とくと見せてやるぜ! 第3足場班、チタン単管パイプと自在クランプ、前へ投げ渡せッ!」
エドワードの号令一下、後方のドワーフ職人たちが軽量チタンパイプを次々と放り投げる。
元勇者エドワードは、虚空を飛来するパイプを両手で受け止めるや否や、目にも留まらぬ速さでラチェットレンチを回転させた。
カチャチャチャッ! カンッ! カンッ!
「『神速・四段鳥かご足場組』――ッ!!」
エドワードはまるで重力を無視するかのように隊長機の巨大な膝の上を蹴り上がり、肩口へと跳躍。
巨兵が「ヴギギギッ……!」と軋む右腕を振り上げるよりも早く、首回りに4本のチタンパイプを立体的に組み上げ、黒い防塵遮光ネットをバサリと被せつけた!
――【OPTICAL SENSOR BLOCKED: SAFETY MODE ACTIVATED】
隊長機の頭頂部が真っ暗闇に包まれた瞬間、左腕のプラズマ溶接機から噴き出していた青白い火花がプツンと消灯し、腕の油圧シリンダーがプシューッと脱力して垂れ下がった。
「やったぞアレク! 腕が止まった! 今のうちだッ!」
エドワードが巨兵の肩の上から親指を突き立てて叫ぶ。
「見事だ、エドワード。だが、首を振ってネットを振り落とそう配下の2番機と3番機が迫っている! 油断するな!」
アレクの声が飛ぶ。
左右から迫る巨兵たちもまた、脚部シリンダーから火花を散らしながら、隊長機を守ろうと巨躯を傾けていた。
「シエル、作動油の粘度調整はどうなっている!」
「はい、主任! 魔界産耐熱パラフィン系基油と、神聖鉱物由来の極圧添加剤(EP添加剤)を8対2の割合で調合完了しました! 動粘度グレードはISO VG 68、耐熱摂氏400度、耐圧150メガパスカルの超高粘度指数仕様です!」
シエルが背中の携帯調合ドラム缶から、黄金色に輝く最高純度の魔導潤滑油を小型耐圧タンクへと手際よく注ぎ込む。
「1000年の高温摩擦で焼き付いたベアリングにも、瞬時に極圧被膜を形成して金属接触を遮断できます!」
「よし、完璧な調合だ。――クロ、上空から隊長機の熱源シリンダーの位置をマーキングしろ!」
「任せな! 隊長機の右股関節のオイルシールが一番溶けてやがるぜ! 温度は摂氏320度、あと1分で主軸が完全固着する!」
クロが黒い翼で上空を旋回し、レーザーのような魔力ポインタで注油箇所の装甲ハッチを指し示した。
「リリアナ、作業員たちを後方20メートルへ退避させ、安全圏を確保しろ!」
「承知いたしました、アレク様♡ ……皆様、前を見たいからと前に出てはいけませんよ? 油の跳ねた飛沫を浴びて綺麗な鎧を汚したくありませんよね〜?」
聖女の涼やかな微笑みに、10万人の兵士たちがピタリと足を止めて息を呑んだ。
「ポチ、私と共に突入するぞ。お前の高圧ノズルで、注油口の固着した錆を一気に吹き飛ばせ!」
「ピキュッ!」
ポチがアレクの右腕に巻き付き、高圧グリスガンのような頑丈なノズル形状へと硬化した。
すべての役割分担が電光石火で噛み合う。
アレク・ユグレットは白手袋を握り締め、超高圧魔導スピンドルオイルの金属缶を抱えて、隊長機の巨体の懐へと低空スライディングで滑り込んだ。
1000年の油切れによって発狂寸前だった鋼鉄の巨兵と、卓越した技術を持つ原状回復士たちの、命がけの緊急メンテナンスがここに幕を開けたのであった。




