第104話:配電盤の復旧と安全通路の確保
摂氏350度を超える初期消火用過熱プラズマスプリンクラーが、天井のノズルから放射状に降り注ぐ地下85階防火回廊。
エドワードが構える耐熱ミスリルシールドの表面が、熱波を浴びてじりじりと赤熱し、防護服の繊維から焦げた匂いが立ち込めていた。
「ぐっ……! 熱いなんてもんじゃねえぞ! アレク、早くしろ! オレの盾の耐熱限界まで、あと3分持たねえ!」
二本線ヘルメットの下で玉の汗を噴き出しながら、元勇者が歯を食いしばって怒鳴る。
「動くな。衝撃で手元が狂えば、制御盤内部の高圧コンデンサが短絡する」
アレク・ユグレットの返答は、極限状況においても氷点下のように冷徹であった。
アレクは白手袋の指先でハッチの隙間を撫で、6本の耐熱六角ボルトの締め付けトルクを瞬時に見抜く。
「固着トルク120ニュートンメートル。腐食による焼き付きは軽微だ。――インパクト、回転方向『左』」
カチリと切り替えレバーを弾き、手にした魔導インパクトドライバーのビットをボルトヘッドへ噛み合わせる。
ダダダッ! ダダダッ! ダダダッ!
甲高い打撃音が六度連続して響き渡ると同時に、1000年一度も開かれたことのなかった白銀の金属ハッチが、プシューッという古代のエア圧排気音とともに手前に開いた。
ハッチの奥に現れたのは、高さ2メートル、幅1.5メートルの巨大な『中央防災系統分電盤』であった。
盤内には、現代の魔法工学ですら失われた超高純度のアダマンタイト基板と、数1000本に及ぶ魔力光ファイバーケーブルが幾何学模様のように整然と張り巡らされている。
「うわっ……! 何だこの中身!? 線がぐちゃぐちゃに詰まってて、どこをどう触ればいいのかサッパリ分からねえぞ!」
盾の隙間から覗き込んだエドワードが目を回す。
「シエル、テスターの端子を渡せ」
「はい、主任! 高圧耐性型魔力電圧測定プローブです!」
後方で耐熱結界を展開していたシエルが、赤と黒の2本の測定針を素早く差し出す。
アレクは迷いなく、基板中央の太い幹線端子にプローブを押し当てた。
テスターの水晶メーターが激しく明滅し、数値が踊る。
「電圧測定値、定格3300ボルトに対して実測値ゼロボルト。相間ショートによる過電流トリップではない。――クロ、異常発熱の発生源はどこだ?」
「へい主任! 下段の第4端子台の裏だ! 配線被覆が黒焦げになって、変なススがこびりついてるぜ!」
天井のダクトから急降下してきたカラスのクロが、鋭い嘴で分電盤の最下層を指し示す。
アレクがペンライトの光を底面に当てると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。
「……なるほど。原因はこれか」
「な、何なんだよアレク!?」
エドワードが身を乗り出して覗き込む。
端子台の隙間に転がっていたのは、黒く炭化した小さな骨の残骸であった。
「古代の魔導ネズミ――『サンダーラット』の化石だ。1000年ほど前に配管の隙間から侵入し、主幹アース線の絶縁被覆を餌と間違えてかじったのだろう。その結果、被覆が破れて銅線が露出し、地絡短絡事故を起こしてネズミは感電死。同時に火災検知回路のフェイルセーフが誤作動した」
「ネ、ネズミがかじったせいで……!? このフロア全体が火事だと勘違いして、オレたちを焼き殺そうとしてたってのか!?」
エドワードが呆然と口をあんぐりと開けた。
「1000年、誰も点検に入らなかったプラントの典型的な末路だ。――ポチ、端子台底面の炭化残渣を完全吸引。導電性カーボンススを分子レベルで清掃しろ」
「ピキュッ!」
ポチがアレクの肩から飛び降り、スライムの体面を細いノズル状に変形させて端子台の奥へ潜り込んだ。
ジュルルルッ!と瞬時に黒いススとネズミの骨を吸着し、端子台周辺をピカピカの鏡面に磨き上げる。
「次は配線の補修だ。――シエル、自己融着性絶縁テープと耐熱ガラスウールスリーブを出せ」
「はい! 耐熱摂氏500度仕様の特殊絶縁テープです!」
アレクは炭化して千切れかかったケーブルの被覆を電工ナイフで綺麗に剥き出し、芯線をスリーブで圧着。その上から、特殊な自己融着性絶縁テープを半幅重ねで寸分の隙間もなく巻き上げていく。
手元の動きには一切の無駄がなく、流れるような芸術的スピードで3本の幹線ケーブルが完全な絶縁状態へと復旧された。
「ケーブル絶縁抵抗値測定。……よし、100メグオーム以上。絶縁状態は完全に正常値へ復帰した」
アレクはテスターの数値を指差し呼称で確認すると、分電盤の最上段にある真っ赤な大型レバーに右手をかけた。
「おいアレク! そのデカいレバーは何だ!?」
「主幹遮断器だ。過電流と漏電を検知してトリップしたまま固定されている。――これを手動で押し下げ、強制リセットをかける」
「だ、大丈夫なんだろうな!? 爆発したりしねえだろうな!?」
「問題ない。回路の完全性はすでに証明された。――ブレーカーリセット、投入!」
ガチャンッ!!
アレクが渾身の力で赤いレバーを垂直に押し下げた。
――カチ、カチ、カチ……スゥゥゥゥ……。
その瞬間、耳を劈いていた警報ブザーのけたたましい絶叫がピタリと止まった。
天井のスプリンクラーから吹き荒れていた摂氏350度のプラズマ熱風が、プツンと光を失って霧散する。
赤く発光していた燐光管は、穏やかで澄んだ青白い通常照明へと切り替わり、空間を満たしていた重苦しい殺気が嘘のように消え去った。
ゴゴゴゴゴ……!
さらに、部隊を分断していた厚さ500ミリメートルのアダマンタイト防護隔壁が、油圧シリンダーの滑らかな駆動音とともに天井へと格納されていく。
分断されていた前方と後方の回廊が完全に繋がり、10万人の作業員たちが姿を現した。
「「「おおおおおおおおっ……!?」」」
床に伏せていた10万人が、恐る恐る顔を上げ、天井と開いた通路を見渡す。
「た、助かった……!?」
「プラズマが消えたぞ! シャッターが開いた!」
「すげえ……! あの兄ちゃん、剣も魔法も使わずに、壁の箱をいじっただけで古代のトラップを止めたぞ!」
歓声とどよめきが、地下85階の銀色回廊を満たした。
アレクは分電盤の蓋をバタンと閉じ、六角ボルトを元の規定トルクで確実に締め直すと、作業着の埃を払って立ち上がった。
「設備を力任せに破壊するなと、あれほど言ったはずだ」
アレクはエドワードと騎士たちを一瞥し、平然と言い放った。
「ネズミがかじった配線を直し、落ちたブレーカーを上げただけだ。理屈が分かれば、どんな古代兵器もただの機械に過ぎない。もしもお前たちが力任せに壁や天井を壊していたら、主幹魔力導管が破裂してこの階層全体が吹き飛んでいたぞ」
「がはははっ! さすがはオレの相棒だ!」
エドワードが熱くなった盾を地面に置き、アレクの肩をバンバンと叩いた。
「おい見ろよ騎士団の旦那方! これが原状回復士の戦い方だ! ぶっ壊すより、直す方が百倍強えんだよ!」
「……うむ。我らの無知を恥じるばかりだ……」
重装騎士団長が兜を脱ぎ、深々とアレクに頭を下げた。
「もし貴殿がいなければ、我らは己の無謀な攻撃によって全滅していた。原状回復士の技術、心より敬服いたす」
「感心している暇があったら、安全通路の白線テープ引きを手伝え」
アレクは現場用チョークラインを騎士団長に手渡した。
「このエリアのセンサーは誤作動を起こしやすい。安全に歩行できる『荷重許容ルート』を路面に黄色と黒のトラ縞テープで明示する。10万人の作業員が迷わず通過できるよう、一列で整然と誘導しろ」
「ハッ! 直ちに作業に取り掛かります!」
かつて高慢だった騎士団が、今や喜んで誘導テープ張りの下働きに励んでいる。
「主任、お見事でした!」
シエルが駆け寄り、手帳を開いて記録を書き留めた。
「『地下85階防災区画、地絡短絡による誤作動回路の絶縁復旧およびメインブレーカー再投入完了。復旧所要時間:14分22秒』。これで資材運搬トロッコの運行ダイヤへの影響は最小限に抑えられます!」
「ああ。だが、この先の地下90階には、さらに大規模な古代の自動化プラントが存在するはずだ。油断は禁物だぞ」
「はい!」
アレクは手元のバインダーに点検済みの赤チェックを刻み、鋭いホイッスルを口にくわえた。
「無駄口を叩いている暇はない。通路の安全は確保された。全工区に通達、これより地下90階への資材搬入を再開する! 足元確認、進行方向ヨシ!」
「「「進行方向ヨシ!!!」」」
10万人の力強い唱和とともに、合同原状回復隊の重厚な足音が、白銀の回廊を揺らしながら再び深淵へと進撃を開始した。




