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『ダンジョン原状回復士の事件簿』〜勇者がぶっ壊した迷宮、敷金全額没収の上で元通りに直して帰ります〜  作者: 六井求真


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102/121

第102話:休養日(サンデー・オフ):10万人の安全休養

地下82階の死のガス室を無傷で突破し、地下85階の巨大前哨ゲート前に宿営地を構えた東西合同原状回復隊。

 工期12日目の朝、午前6時50分。


 いつもならば、現場総監督アレク・ユグレットの鋭いホイッスルとともに、10万人の指さし呼称と「朝のラジオ体操、第一」が始まる時刻であった。

 だが、この日の朝礼台に登壇したアレクは、作業着のポケットからホイッスルではなく、1本の赤ペンを取り出した。


 そして、メガホンを口元に寄せると、ドーム全体に響き渡る声で、前代未聞の号令を下した。


「全工区に通達。――本日を『現場一斉休養日(サンデー・オフ)』に指定する。全作業員、作業服を脱いでベッドに戻れ。本日の工事は全工程において完全休止とする」


「「「……は……!?」」」

 10万人の作業員たちが、一斉に目を白黒させて固まった。


「ち、ちょっと待てアレク! 何言ってんだ!?」

 最初に朝礼台に駆け上がってきたのは、二本線ヘルメットのエドワードであった。

「世界の心臓の寿命は、残り18日しかねえんだぞ!? 1分1秒を争う突貫工事の真っ最中に、丸一日現場を止めて全員で寝ろってのか!? 気でも狂ったのかよ!」


「正気だ」

 アレクは手元のバインダーの健康管理グラフをエドワードの目の前に突きつけた。

「見ろ。過去3日の作業員のヒヤリ・ハット報告件数だ。初日は0件だったものが、昨日は48件、今朝の点呼時には道具の落下や足場の踏み外し未遂が112件に急増している。作業員の血中疲労物質濃度は危険閾値を超え、反射神経テストの平均反応速度は平常時の半分以下に落ち込んでいる」


「うっ……そ、それは……」

 エドワードが言葉に詰まる。


「人間も魔族も、機械ではない。鉄骨ですら金属疲労を起こせば破断するように、生物の肉体と精神も、休息なき過密労働が続けば確実に破綻する」

 アレクの眼光は、平熱のまま厳しく光っていた。

「集中力を欠いた10万人をこの先の危険エリアに送り込めば、本日の予想労働災害発生件数は最低でも重傷15件、死亡3件に達する。現場で死亡事故が発生すれば、事故原因調査と再発防止対策のために最低3日の現場作業停止命令が下る。――どちらが工期の短縮に資するか、小学生でも分かる算数だ」


「ぐ、ぐぬぬ……!」

 エドワードは反論できずに唸った。


 そこへ、地上からの緊急通信がモニターに割り込んできた。

 王国の宰相と魔王軍の軍団長が、画面の向こうで真っ赤になって怒鳴り散らしていた。

『アレク現場総監督! 正気か! 我が国の威信と世界の存亡がかかっておるのだぞ! 一日の遅れが世界滅亡に繋がるかもしれんというのに、職人を休ませるなど言語道断! 今すぐ全員を現場へ追い立てろ!』


「却下だ」

 アレクは冷徹に一蹴した。

「全大陸安全衛生法第15条第3項に基づき、現場における作業停止および休養の決定権は、現場総監督に専属する。机の上で書類に判子を押すだけの者たちに、現場の職人の命を消耗品として使い潰す権利はない」

『な、何だと貴様……!』

「文句があるなら、貴方方がヘルメットを被って地下85階へ潜り、単管パイプを担いでボルトを締めに来るがいい。代行できるなら喜んで席を譲る」


『ヒィッ……! わ、儂らにそんな土木工事ができるわけがなかろう……!』

「ならば口を出すな。指示に従え」

 プチッ。

 アレクは最高権力者たちの通信を無造作に切断した。


「がっはっは! 痛快だぜ、アレク!」

 現場の片隅でドワーフの棟梁たちが腹を抱えて笑った。

「上の奴らは『根性』で何とかなると思ってやがるが、現場を動かすのは根性じゃねえ、『飯と睡眠』だ。休む勇気を持てねえ奴は、真の棟梁の器じゃねえよ!」


「……分かりました、主任」

 シエルが微笑み、メガホンを取った。

「全作業員に通達! 本日はアレク主任の命令により、完全休養日です! 宿舎の簡易大浴場が開放されています! 泥と汗を洗い流し、清潔な平服に着替えてリフレッシュしてください! また、医療班によるバイタル測定とアロマケアも受付を開始します!」


「「「うおおおおおおおおっ!!!!」」」

 10万人の現場男たちから、天地を揺るがす歓声が沸き起こった!


 その日の地下80階前線基地は、まるで巨大な温泉街の祝祭のような活気に包まれた。

 ドワーフたちが掘削した岩盤から湧き出る天然の鉱物温泉を利用した仮設大浴場では、騎士とオーク、ドワーフとエルフが仲良く肩を並べて湯船に浸かっていた。

「ふあぁぁぁ……! 腰の痛みが溶けていく……!」

「おいオークの旦那、背中流してやろうか?」

「おお、すまねえな重装騎士の兄ちゃん。お返しにワシの剛腕で肩を揉んでやるぜ!」

 かつて地上で血で血を洗う戦いを繰り広げていた者たちが、熱い湯気の中で笑い合い、お互いの筋肉の張りをほぐし合っている。現場の過酷な泥炭と汗を流した肌には、職人としての連帯感だけが残されていた。


 宿舎前の広場では、ルシアが率いる炊事班が、疲労回復に特化した特別メニューを湯気を立てて振る舞っていた。

「本日の特別スタミナ定食は『魔界黒豚のビタミンたっぷり生姜焼き丼』と『高原野菜の特製具だくさん豚汁』、そして『生搾り完熟ベリーの抗酸化スカッシュ』です! おかわりは自由ですから、遠慮なく食べて体力を戻してくださいね!」


「エドワード棟梁、ジュースのおかわりをどうぞ!」

 平服の爽やかなエプロン姿のルシアが、満面の笑顔でキンキンに冷えたグラスを差し出す。

「おう、ありがとなルシアちゃん! ……ぐびっ、ぐびっ……ぷはぁっ! 全身の筋肉痛と乾いた喉に、甘酸っぱさが染み渡るぜ……! アレクの野郎、本当に現場の限界を分かってやがるな」

 エドワードが縁側に腰掛けてグラスを干し、ふうと息をついた。


 そこへ、聖女リリアナが救護テントから歩み寄ってきた。白衣風の薄着をまとった彼女の手には、湿布と薬瓶が握られている。

「あら、エドワード様。今日は筋肉痛で情けない悲鳴を上げていらっしゃらないのですか?」

「へっ! オレは大陸一の足場棟梁だぞ! この程度の筋肉痛、温泉に入ってルシアちゃんの飯を食やあ一発で全快だ!」

「ふふ、口だけは達者ですね。ですが、筋肉の繊維が悲鳴を上げているのは隠せませんよ。……はい、うつ伏せになってください。私特製の『筋肉疲労回復アロマ冷感湿布』を貼って差し上げます」

「えっ……リ、リリアナがオレに直接湿布を……!? お、おう、頼む……!」

 耳まで赤くした元勇者が慌てて背中を向けると、リリアナは冷たい手のひらで筋肉の張りを確かめ、ペタリと湿布を貼り、優しく手のひらで馴染ませた。

「ひゃっ、冷てえ! ……けど、じわじわ効いてくるな……」

「無理をして怪我をされたら、現場が止まりますからね。……感謝なさい、元勇者様♡」

 悪戯っぽく微笑む聖女に、エドワードは顔から火が出そうになりながら小さく頷いた。


 一方、宿舎の一角にある機材整備ヤードでは、非番の職人たちが自主的に道具の手入れを行っていた。

 ボルトクリッパーの刃こぼれを砥石で丁寧に研ぎ、インパクトレンチのギア部分にオイルを差し、安全帯のフックやロープの摩耗を念入りに点検する。

「明日の地下85階からは、古代の防衛機構が密集してるって噂だ」

「道具の不具合ひとつが命取りになるからな。今日のうちに完璧に油を差しておかねえと」

 休養日とはいえ、職人たちのプロ意識は少しも鈍っていなかった。むしろ、10分な休息と美味い食事によって頭が冴え渡り、細かな機材の異音や歪みに気づく余裕が生まれていたのだ。


 管理本部の木陰のベンチ。

 アレク・ユグレットは、作業着の上着を脱いで椅子にかけ、ポチを膝の上に乗せて静かに野草茶を口に含んでいた。

「ピキュ〜……ふにゃぁ……」

 ポチはアレクの太ももの上で、平たいスライム座布団のようにぺたんと丸まり、幸せそうに規則正しい微振動を繰り返している。地下82階で有毒ガスを限界まで吸着して浄化した疲労を、アレクの膝の上で癒やしているのだ。


「先輩、珍しく本当にペンを置いて休まれていますね」

 シエルが温かい湯気の立つマグカップを持って、アレクの隣に腰掛けた。

「宿舎も大浴場も大盛況です。全員がしっかり休んで、疲労困憊だった顔に血色が戻ってきていますよ。明日の作業効率、間違いなく過去最高を記録するはずです」

「ああ」

 アレクは穏やかな瞳で、広場で笑い合い、腕相撲に興じる10万人の職人たちを見つめた。

「休養は、サボりではない。明日確実に生き残り、完璧な仕事を完遂するための『積極的工法』だ。人間が集中力を維持できる時間には生理的な限界がある。無理を美談にする現場は必ず崩壊する。休むべき時に徹底的に休み、動くべき時に寸分の狂いもなく動く――それが、安全第一の鉄則だ」


「ふふ、アレク先輩らしいです。……でも、先輩ご自身も少しは目を閉じて休んでくださいね? 先輩が倒れたら、この10万人は一歩も動けなくなってしまうんですから」

「私は大丈夫だ。すでに必要な睡眠とカロリーは計算通り摂取している」

「もう、そういう理屈っぽさも含めて、お休みモードになってくださいって言ってるんです」

 シエルが小さく笑いながら、アレクの肩にそっと自分の肩を寄せた。

 地下深くでありながら、そこには穏やかで温かな微風が流れていた。


 丸一日、泥のように眠り、温泉に浸かり、美味い飯を腹一杯に食った10万人。

 肉体から疲労の毒素が完全に抜け、瞳にはギラギラとした鋭い気迫と集中力が蘇っていた。


 休養明けの翌朝――工期13日目。

 地下85階の防衛セキュリティゲートの前に立った10万人の東西合同原状回復隊は、初日を遥かに凌駕する最強のコンディションで、古代の未知なる領域へと挑むのであった。


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