第100話:地下80階到達:中間前線基地の設営
地下75階でルシアの特製スタミナ煮込みうどんを腹一杯に平らげ、きっちり6時間の泥のような睡眠をとった10万人の東西合同原状回復隊は、翌朝午前6時00分、驚異的な回復力をもって地底の最深部へと進軍を再開していた。
工期10日目の正午。
部隊の先頭が到達したのは、地下80階に広がる空前絶後のメガドーム――『地底中央広場』であった。
「……す、すげえ広さだ。王都の中央市街地が丸ごと三つ入るぞ」
二本線ヘルメットのエドワードが、黄色いヘッドライトを上に向けて息を呑んだ。
天井高はおよそ100メートル、直径2キロメートルに達する真球状の玄武岩ドーム空間。
1000年前の古代文明において、地下100階の始祖コアへの資材搬入と技術者たちの滞在のために設計された、巨大な中間ハブステーションである。
ここから先、地下81階から地下100階までは、いよいよ古代防衛セキュリティが蠢く最深防衛ラインとなる。
「全工区、集結完了」
現場総監督アレク・ユグレットは、ドームの中央に三脚を立て、レーザー水準器を構えた。
「これより、地下80階全域における『第1前線兵站基地』の急速設営に着工する。設営目標時間は――本日17時00分の定時退社までの、残り4時間だ」
「よっしゃあ! 設営なら俺たち職人の独壇場だぜ!」
10万人の職人たちが腕まくりをして叫んだ。
アレクの的確なゾーニング(区画整理)指示が、ドーム全体に響き渡る。
「シエル、資材搬入動線と中央管理本部の設営を指揮しろ。第1工区から第4工区までの仮設通路を幅10メートルで区画割れ。歩行帯と重機走行帯の完全分離を徹底しろ」
「了解です、主任! レーザー墨出し班、通路白線引きおよび安全トラ柵の設置、完了しました!」
「エドワード総棟梁。ドーム外周に、高所監視および資材昇降用の『3段式ローリングタワー足場』を全周にわたって架設しろ。アウトリガー(転倒防止控え脚)の張り出しを忘れるな」
「おうよ! 足場鳶大隊、単管パイプと足場板を担げ! 4時間でピッカピカの立体仮設基地を組み上げてやるぜ! 控え脚の接地圧もバッチリ確認する!」
「バルガン親方。鍛冶工作所および重機整備工場の設営だ。インクラインから降ろした工作機械を据え付け、動力ラインを引け」
「がっはっは! ドワーフの旋盤と油圧プレスを据え付けるぜ! どんなボルトの折れ込みもここで打ち直してやる!」
「ルシア、10万人分の巨大野戦炊事プラントと衛生給水ラインを立ち上げろ」
「お任せください、アレク主任! 大型魔導給水タンク20基、接続完了です! 温かいご飯と麦茶の補給拠点を完成させます! 排水の中和処理ラインもバッチリです!」
「リリアナ、ドーム北側の無菌空洞に、集中救護所および仮設野戦病院を設営しろ」
「はい、アレク主任♡ 冷感湿布と包帯、そして魔力点滴ポーションの準備は万全です。……あ、エドワード様には消毒液用のバケツ運びをお願いしますね♡」
「オレは棟梁だぞ! バケツ運びの雑用係じゃねえ!」
賑やかな怒号と笑い声が交錯する中、10万人のプロフェッショナルたちによる神速の建設作業が繰り広げられた。
ドワーフたちの溶接トーチが青白い火花を散らし、鳶職人たちのチタンラチェットが甲高い金属音を幾重にも反響させる。
何もない冷徹な玄武岩のドームに、わずか数時間のうちに、整然とした近代都市のようなインフラが次々と立ち上がっていく。
通信センター、気象観測塔、重機修理ドック、物資集積場、救護テント、そして10万人分の仮設ベッドが並ぶ宿舎区画。
さらに、衛生環境の徹底も抜かりなかった。
大規模現場で最も恐ろしいのは、感染症や衛生悪化による集団離脱である。
「シエル、仮設トイレの設置数は適正か?」
「はい! 労働安全衛生基準に基づき、男性用、女性用、および魔族専用の特大サイズを合計500棟配置しました! ポチのバイオ分解スライム槽と直結させ、悪臭ゼロ・完全自己浄化システムを稼働させています!」
「ピキュッ!」
ポチが胸を張り、バイオ浄化槽のバルブの上で誇らしげに跳ねた。
そして――着工から3時間半後の午後16時30分。
中央管理本部の水晶通信モニターが、ポチの光中継ジェルを介してピピピピ……と澄んだ音を鳴らした。
『――こちら地上・冒険者ギルド総本部、財務最高責任者エレノアよ。アレク、聞こえるかしら?』
画面に映し出されたのは、優雅に黒毛皮のコートを羽織り、真紅の煙管をくゆらせるエレノア・ブラッドフィールド副ギルドマスターの麗しい姿であった。
「エレノア様。地下80階前線基地、設営進捗率98パーセント。予定通りです」
アレクが受話器を取ると、エレノアは艶然と微笑んだ。
『素晴らしい手際ね、アレクちゃん。……貴方たちの進軍に合わせて、地上からも特大の補給物資を送り込んだわよ。王都の全鉄工所と魔王領の兵站部からかき集めた、超高張力ミスリルトラス材10万トン、大型ケミカルアンカー樹脂カプセル5000本、そして10万人分のビタミン強化食料……計20万トンの補給物資が、いまインクライン鉄道で地下80階へ向けて降下中よ』
「20万トン……! 莫大な物資調達だな。手配費用はどうしたのですか?」
『ふふふ……心配いらないわ。人間諸国の王立金庫と魔王領中央銀行に「世界の心臓の事前修繕預託敷金枠」として、全額即日口座天引きで請求書を回しておいたわ。文句を言う貴族には「貴方の首と世界の存続、どちらが大切ですの?」と優しく微笑んで差し上げたら、全員泣いて印鑑を押したわよ♡』
「完璧な財務管理です。感謝します」
『ええ、思う存分やりなさい。ただし、アレク。……どんなに急ぎの工事でも、貴方のモットーである「完全定時退社」だけは絶対に破ってはダメよ。疲れて死なれたら、せっかくむしり取った敷金の使い道がなくなってしまうもの』
「承知しています。当現場において、不当な残業は一切存在しません」
アレクは通信を終え、懐中時計を取り出した。
針は、16時59分45秒を指していた。
50秒……55秒……。
ドーム全体を見渡すと、エドワードの組んだローリングタワー足場も、バルガンの重機工場も、ルシアの炊事場も、すべての道具が完璧に片付けられ、養生シートが美しく被せられていた。
カチリ。
長針が12を指した。
「17時00分」
アレクは胸ポケットからタイムカードを取り出し、携帯打刻スタンプをガチャンと押した。
そして、拡声メガホンを手に取った。
「全工区に通達。現在時刻17時00分。地下80階・前線兵站基地の設営完了を確認した。これをもって、本日の全作業を終了し、完全定時退社とする!」
「「「お疲れ様でしたーっ!!!!」」」
10万人の清々しい唱和が、完成したばかりの巨大ドームに誇らしく響き渡った。
工期10日目にして、地下80階までの全インフラを無事故・無災害で完全開通させた東西合同原状回復隊。
温かい風呂と飯、そして清潔なベッドが彼らの英気を養う。
しかし――明日彼らが足を踏み入れる地下85階の暗黒には、有毒な爆発性ガス層と、1000年誰の侵入も許さなかった古代の防衛セキュリティが、冷徹な殺気を孕んで待ち構えていた。
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