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『ダンジョン原状回復士の事件簿』〜勇者がぶっ壊した迷宮、敷金全額没収の上で元通りに直して帰ります〜  作者: 六井求真


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第010話:崇拝の始まりと若草の誓い

夕方の「金の杯亭」は、今日も酔客で湧いていた。


木のジョッキがぶつかる音、焼いた肉の香ばしい匂い、誰かの下手な歌。壁の燭台が琥珀色の光を投げ、店の奥では吟遊詩人がリュートをかき鳴らしている。


そのカウンターの端に、いつもの席があった。


アレクは、そこに腰を下ろしていた。ツナギの上着を腰に巻き、ヘルメットを膝に置き、泡の立ったエールをちびりと舐める。隣のスツールには、ピンクのツナギ姿のシエルが、行儀よく背筋を伸ばして座っていた。手には、果実水の入ったグラス。


そして、カウンターの上には、黄色いゼリーが一匹、ちょこんと座っていた。頭には、小さな金属カップ。ポチは、塩茹での豆を一粒ずつ、体に取り込んでは、嬉しそうにぷるぷると震えている。


「主任、ポチは、豆も消化できるのですね」


「何でも分解する。味は、分からないはずだが」


「でも、喜んでいます」


「雰囲気かもしれん」


そんな話をしていると、店の入口の扉が、勢いよく開いた。


「いらっしゃいま——うわっ」


看板娘の声が、途中で裏返った。


入口に、三人の若者が立っていた。


黄色いヘルメットを、全員が、頭にきっちりと被っている。レオは、胸を張って、まっすぐに前を向いていた。ミュウは、おさげ髪をヘルメットの下から垂らして、少し恥ずかしそうに。ノアは、体が大きすぎて、入口の枠に肩がつっかえている。


そして、三人は、揃って、店の中をぐるりと見回した。


目が、カウンターの端で止まる。


「あっ!」


レオが、叫んだ。


「いた! いらっしゃいました!」


アレクは、エールを吹き出しそうになった。


三人は、店内の客を押しのけて、一直線にカウンターへ駆けてきた。ヘルメットがごんごんとジョッキにぶつかり、ノアが、通路の椅子を二脚ひっくり返す。


「アレクさん! アレク主任!」


レオが、アレクの前で、がばっと頭を下げた。


「昨日は、いえ、今日は、本当にありがとうございました!」


「…………ああ」


「俺たち、あの後、地上に出て、ギルドに報告して、受付で、皆さんに話したんです!」


「何を」


「すべてです!」


嫌な予感が、背筋を這い上がった。


「あの……何を、話した」


アレクの問いに、レオは、目を輝かせて、胸を張った。


「俺たちを救ってくれたのは、ツナギを着た、迷宮の守護神様だって!」


カウンターの周りが、静まり返った。


ジョッキを持った冒険者が、ぴたりと動きを止める。吟遊詩人のリュートが、じゃらん、と不協和音を鳴らして止まった。


「……守護神」


「はい!」


「俺が」


「はい!」


「いや、ただの、原状回復士で」


「ご謙遜を!」


ミュウが、前のめりになって声を上げた。


「あの、壁の亀裂が、非常扉だと一瞬で見抜いたのは、もう、神の目としか! 私、あの壁を、30分も調べたのに、全然、気づかなくて!」


「俺、感動しました」


ノアが、鼻をすすりながら言った。


「あの、ヘルメットをくれたとき、本当に、お父さんみたいで」


「誰がお父さんだ」


「アレクさんは、あの暗闇の中で、俺たちの前に現れたとき、後ろから光が差してて」


「それは、ヘルメットのライトだ」


「後光でした」


「ライトだ」


アレクの声が、段々と小さくなっていく。


周りの冒険者たちが、ざわざわと、こちらを見ていた。


「……守護神?」


「あのツナギの人が?」


「そういえば、この前、勇者の口座から500万ゴールドを……」


「あの人が、あの?」


ざわめきが、波のように広がっていく。


ポチが、豆を食べるのをやめて、きょろきょろと周りを見回した。


シエルが、果実水を飲みながら、隣で小さく、ふふっと笑った。


「主任、有名人ですね」


「笑うな」


「いえ、あの、ふふっ」


「…………」


アレクは、エールをぐびりとあおった。



カウンターの反対側の端では、また別の騒ぎが起きていた。


「だから、頼むと言っている!」


声の主は、金色の鎧を着た、見覚えのある男だった。


勇者エドワードは、カウンターに身を乗り出して、看板娘に食い下がっていた。鎧は昨夜よりもくすんで見える。顔色も悪く、目の下に薄い隈が浮かんでいた。


「今日の飯代は、ツケにしておいてくれ! 明日には、必ず払う!」


「申し訳ありません、勇者様」


看板娘は、にこやかな笑顔で、きっぱりと首を振った。


「当店は、口座に残高のないお客様には、お水のみのご提供となっております」


「なにっ!? オレは勇者だぞ!」


「勇者様でも、同じです」


「報奨金が、もうすぐ入るんだ!」


「それは、いつ頃でしょうか」


「…………来月」


「では、来月、お越しください」


エドワードは、がくりと肩を落とした。


看板娘は、笑顔のまま、ジョッキに冷たい水を注いで、そっとエドワードの前に置いた。


氷が、からん、と涼しい音を立てた。


「…………水」


「はい。冷たいですよ」


その様子を、少し離れたテーブルから、取り巻きの魔法使いたちが、居心地悪そうに見ていた。昨夜の高級酒は、もう影も形もない。彼らの前にも、水のグラスが一つずつ置かれている。


アレクは、エールを口に運びながら、横目でその光景を眺めた。


ふと、エドワードの視線が、こちらに向いた。


目が合う。


金色の鎧の勇者は、一瞬、歯を食いしばった。


その視線が、アレクの隣の、ピンク色のツナギのエルフに移る。そして、カウンターに座るスライムに。そして、その周りに集まった、ヘルメットの新人三人組に。


「…………」


エドワードは、何かを言いかけた。


口を開き、閉じ、また開いて。


結局、何も言わずに、水のジョッキを両手で抱えて、そっぽを向いた。



新人三人組の熱は、冷める気配がなかった。


「それで、アレクさん!」


レオが、ジョッキを置いて、真剣な顔で切り出した。


「俺たちから、お願いがあります!」


「聞くだけなら」


「弟子にしてください!」


「却下」


「早い!」


レオは、がくりと肩を落とした。


しかし、すぐに顔を上げた。


「で、では、せめて、お手伝いをさせてください! 資材運びでも、荷物持ちでも、何でも!」


「俺の仕事は、危険だ」


「構いません!」


「冒険者の仕事のほうが、稼げる」


「俺たち、まだ、稼げるほど強くありません!」


レオの声は、真っ直ぐだった。


「あの時、俺たちは、本当に死ぬかと思いました。剣を握ってるのに、足がすくんで、何もできなくて。でも、アレクさんは、剣も持たずに、あっという間に、全部解決してしまった」


「解決してない。逃げただけだ」


「いえ、解決です!」


ミュウが、杖を握りしめて、静かに言った。


「アレクさんは、私たちに、壁の見方を教えてくれました。魔法や剣じゃない、別の強さがあるんだって、教えてくれました」


「……」


「私、もっと、知りたいです。迷宮のこと、壁のこと、仕組みのこと」


「俺も」


ノアが、大きな手で拳を握った。


「盾で、みんなを守りたい。でも、ただ硬いだけじゃ、守れないって、分かった。構造を、知りたい」


三人の目が、アレクを見つめていた。


揺るぎのない、まっすぐな視線だった。


アレクは、エールのジョッキを見つめたまま、しばらく黙っていた。


カウンターの上で、ポチが、ぷるぷると震えていた。


隣で、シエルが、小さく微笑んでいた。


「…………休みの日だけだ」


「え?」


「毎日は無理だ。週に一日。それも、俺の巡回の同行だけだ」


「…………!」


レオの顔が、ぱあっと明るくなった。


「あ、ありがとうございます!」


「条件がある。ひとつ、ヘルメットは必ず被る。ふたつ、俺の指示は、絶対に守る。みっつ」


アレクは、指を3本立てた。


「定時には、必ず帰る。残業は、禁止だ」


「ざ、残業?」


「現場では、疲れると事故が起きる。無理をして怪我をするくらいなら、翌日に回せ」


「は、はいっ!」


三人は、声を揃えて答えた。


レオは、ヘルメットをぎゅっと握りしめた。


「俺、あの日、アレクさんから貰ったこの手袋、家宝にします!」


「ヘルメットの話をしてたんじゃないのか」


「いえ、手袋です! あの、帰り際に、レオにって、くれたやつ!」


「あれは、予備の作業手袋だ。洗えば、また使えるぞ」


「洗いません!」


「洗え。汚れたまま使うと、皮膚が荒れる」


「それでも、家宝です!」


アレクは、ため息をついた。


ミュウが、鞄から、小さな羊皮紙を取り出した。


「あの、アレクさん、実は、もう一つ報告が」


「まだあるのか」


「あの、私たち、ギルドの掲示板に、貼らせてもらいました」


「何を」


ミュウは、羊皮紙を広げた。


丸い、可愛らしい字で、大きく書かれている。


『ヘルメット着用運動 会員募集中! 代表 アレク様ファンクラブ会長 レオ』


アレクは、エールを盛大に吹き出した。


「げほっ! げほげほっ!」


「主任、大丈夫ですか!」


シエルが、背中をさする。


「ちょ、待て、そんなもの、いつ作った!」


「今日の昼です! もう、会員が、十二人集まりました!」


「十二人!?」


「会員番号一番は、俺です!」


「二番は私です」


「三番は、俺です」


「やめろ!」


アレクの叫びが、酒場に響き渡った。


周りの客たちが、どっと笑った。


「いいぞ、アレク!」


「ヘルメットの神様だ!」


「乾杯だ! ヘルメットの守護神に!」


ジョッキが、いくつも高々と掲げられた。


アレクは、頭を抱えた。


ポチが、カウンターの上で、嬉しそうに、ぴょんぴょんと跳ねた。


シエルは、笑いを堪えきれずに、肩を震わせていた。


「主任。人気者ですね」


「…………残業より、疲れる」


彼は、ジョッキの底に残ったエールを、一気に飲み干した。



店を出たのは、夜の8時を回った頃だった。


王都の夜風は、少し冷たかった。酒場の灯りが石畳に長い影を引き、遠くの鐘楼が、時を告げている。シエルは、先に宿舎へ帰り、ポチも、彼女の肩に乗って、手を振るように跳ねながら帰っていった。


アレクは、一人、夜道を歩いた。


ヘルメットを小脇に抱え、ポケットに手を突っ込む。


指先に、紙が触れた。


昨夜、鳩が運んできた、あの手紙だ。


彼は、少し迷ってから、街灯の下で、紙を広げた。


口紅の跡の下に、もう一行、別の文字が書き足されていることに、今になって気づいた。


『追伸 明日の午後3時、ギルド最上階にて。逃げたら、請求書を倍にしますわよ♡』


アレクは、その文字を、じっと見つめた。


夜空を見上げる。


星が、いくつか瞬いていた。


「……請求書を倍にされるのは、俺じゃなくて、勇者のはずなんだがな」


呟きは、夜風にさらわれて消えた。


彼は、紙をポケットに押し込み、ヘルメットを被り直して、歩き出した。


明日は、きっと、長い一日になる。

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