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2_06 朝焼けは不穏な色

 晴れた空を見て、澪は伸びをする。今日は天気もよさそうだ。


 澪のログハウスから見える景色は、今のところ大きな変化はない。


 いつも通りの畑があり、いつも通りかわからないが鬱蒼とした森があり、少し離れたところでいつもより少し多い人数の人類側の兵士が何かを運んでいる。風が吹けば葉が揺れ、滝の音はいつも通り遠くから聞こえる。


 けれど、その見えない向こう側で、はるか遠くで、いやな気配がしていた。


 獣人側の人たちは、澪の生活域そのものには入ってこなかった。


 ログハウスの近くでもない。畑を横切るわけでもない。澪が普段歩く場所からも外れている。以前にグラーフさんが、あのあたりなら人類側の畑とも離れているし、変な受粉も起きにくいだろうと言っていた、さらにその先の森の方だ。


 そこへ、負傷者や避難してきた人たちが運ばれているらしい。


 らしい、というのは、私の場所からは見えないし、実際の話を獣人側から聞いているわけでもないからだ。天災みたいな事故と言っていたが、多分違うのだろう。


 作ったばかりの獣人側の畑には、最低限の手入れに来る人がいた。水の様子を見たり、土を乾かしすぎないようにしたり、倒れた支柱を直したりするだけなので、前みたいに長居はしない。


 その人たちの顔が、明らかに疲れていた。


「大丈夫ですか?」


 私がそう聞くと、マーヤさんは少しだけ困ったように笑った。


「大丈夫、と言いたいところですが、正直に言えば、少し慌ただしいです」


「やっぱり、かなり大変なんですね」


「はい。ただ、澪様のところへご迷惑をかけないようにはします。こちらの畑も、最低限の手入れだけで済ませますので」


「畑のことは、今は無理しなくていいと思いますけど……」


 そう言うと、マーヤさんは小さく首を振った。


「いえ。それに気晴らしにはなりますから」


 そういって小さく笑った。


「私にできることがあったら、言ってくださいね」


「ありがとうございます」


 マーヤさんはそう言って、深く頭を下げた。


 それから、少し迷ったように付け加えた。


「……ドーンが、あとで少し相談に来るかもしれません」


「ドーンさんが?」


「はい。物資のことで。あの人が自分から頼ることは少ないので、もし来たら、少しだけ話を聞いていただけると助かります」


「もちろんです」


 私は頷いた。


 遠くで、木を打つ音がした。


 誰かが何かを作っている音。


 でも、それは私の目の前で起きていることではなかった。森の向こうで、見えない場所で、少しずつ何かが変わっている。


 戦争という言葉は知っている。


 けれど、私が知っている戦争は、教科書やニュースの中のものだった。


 この不穏な気配も、まだ、画面越しの感覚でしかなかった。




 人類側はある程度情報はつかんでいるし、内紛が始まることもなんとなくは知っていた。そして武器や医薬品が明らかに足りていないのも。


 ただ、人類側は、獣人側へ武器を貸さなかった。まあ、それは当然なのだが。


 不戦の約束をしたところで、しょせん約束でしかない。破ったところで勝ってしまえばそんなものはなかったと言い張ることもできる。その程度の信用度だ。結局のところ人類側と獣人側が仲良しこよしかといわれるとはなはだ遠い。武器を渡せば、明日にはその武器が自分たちへ向くかもしれない。その程度の信頼度だ。


 というのが実際の話ではあるが……。


 ラントは、森の向こうへ続く道を見ていた。


 そこから時々、獣人側の者が通る。布を運ぶ者。木材を運ぶ者。傷を負った仲間を支える者。武器らしい武器を持たず、長い棒や石を抱えている者もいた。


 顔に出すなと言われれば、出さない訓練はしてきたつもりだった。


 だが、今は少し失敗していたらしい。


「お前は少しは腹芸を覚えろ。顔に出すぎだ」


 ラントは、グラーフにわき腹を肘で打たれて、姿勢を正した。


「すんません……」


「まぁ、俺もここに来るようになってから、まあ、気持ちは分かるがな。だが身内が俺らの武器でやられたなんて報告は聞きたくないぞ」


 ラントは答えなかった。


 しばらく黙ってから、小さく頷き、息を吐く。


「……戦争なんてクソっすね」


「1足す1が2ですねみたいな感想を言うんじゃねえよ。まあ、クソの回収が俺らの仕事だ。あきらめろ」


 グラーフはそう言って、森の方へ目を向けた。


 けれど、ラントはそれ以上何も言わなかった。


 そういう話なのだ。


 分かっている。


 分かっているから、余計に後味が悪かった。



 澪も基本的には現地の人たちに過剰な介入はやめようと思っていた。


 実際本気でいろいろやれば産業が破綻するようなものがチラホラある。


 だが、様子見をするほど割り切れていなかったらしい。


 というのも、二日ほど経つと、ドーンさんの顔色は明らかに悪くなっていた。


 もともと表情が豊かな人ではない。というより、何を考えているのか分かりにくい人だ。けれど、その日はさすがに分かった。


 子供が生まれたばかりの夫婦か、30連勤明けの社畜みたいな顔をしている。


 紙を抱え、誰かに指示を出し、別の紙を受け取り、また何かを書き込む。その動きに無駄はないのに、時たま目の焦点があって無さそうだった。


「あのぉ、ドーンさん。大丈夫ですか? あ、これ目の覚めるお茶です」


 私が声をかけると、ドーンさんは一度だけ目を瞬かせた。


「ああ、いえ、ありがとうございます。あ、いや……」


 そこで、言葉が止まった。


 それから、いつもの顔に戻ろうとする。


「あ、いえ。お気遣いありがとうございます」


「ええと、ドーンさん」


「はい?」


「いままでいろいろとお世話になったので、多少ですがお返しはできると思うんです」


「ぐほっ」


 思いがけない発言だったのか、お茶が気管に入ったのか軽くむせる。


「大丈夫ですか??」


「ごほごほっ、いえ、大丈夫です。すみません」


 ドーンさんは、しばらく私を見た。


 それから、深く息を吐いた。


「……はぁ」


 いつものドーンさんなら、ここで遠慮したと思う。


 あるいは、必要なものだけをきれいに整理して、過不足なく要求したと思う。


 たぶん、余裕が本当になかったのだ。


「必要なものがあれば言ってくださいね」


「いえ……」


 ドーンさんは、いったん言いかけて止めた。


「……いや、お恥ずかしい話ですが、何もかもが足りていません。ただ、今回に限ってはお返しするものもないので……」


「お礼と言いましたよ。気になるのであれば、いつか返していただければいいです」


 ドーンさんは、何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。


「……」


「消毒用のアルコールとか、布とかでよければ、ありますよ」


「……大変助かりますが……量が……」


「いえ、いっぱいあるので大丈夫です」


 ドーンさんの目が、少しだけ細くなった。


「……いっぱい、ですか」


「はい。一人では使い切れない位の量が」


「……そうですか」


 ドーンさんは、それ以上聞かなかった。


 顎をさすりながら眉間にシワを寄せてうんうん唸る。


「では申し訳ないのですが、いつかお返ししますので、一旦お借りできれば」


「わかりました。何人か手伝っていただけますか?」


「もちろんです」


 私はログハウスの中から、清潔な布、消毒に使えそうなアルコール、塩、保存しやすい食べ物(スカスカ味の根菜類)を出した。


 どうも保存庫の一部はほかの人からは認識阻害なのか、どこにあるのかもわからないようであった。なので、バケツリレーみたいな感じで、保存庫からものをだして、ドーンの部下に渡すみたいな感じを続けていた。


 実際ドーンは、最初はそんなに出して大丈夫か?と心配していたが、荷車4台分になったあたりから数えるのというか、理解をするのをやめた。普段より遠くを見てる目だが、さらに遠くなっていた。


 小一時間くらい取り出し続けると、ドーンさんからストップがかかった。


 「ええと、とりあえず十分です。いえ、本当に。思った以上と言いますか、いえ、ありがとうございます。あの、本当に大丈夫ですか?」


 ドーンとしての大丈夫か?は最初は備蓄の量の意味だったが、途中から超常的な力としての残量が心配になっていた。


 見えないところで腕でもちぎってこねくり回して作ってるのではないかと一瞬わけのわからない想像がでたが、疲れのせいでロクな思考になってないと思って首を振る。

 

 「ええ、流石に毎日となるとちょっと」


 そう答えると、ドーンさんは珍しく少しだけ笑った。


 けれど、その笑みはすぐに消えた。


「本当に助かります」


「他にはありますか?」


 私が聞くと、ドーンさんは迷った。


 かなり迷った。


 そして、小さく言った。


「武器など……はさすがにお持ちではないですよね?」


 その声は、いつもの事務的な声ではなかった。


「武器……」


 私はうーん、と考える。


 見渡す限り日用品しかない。武器として使えそうなものは出刃包丁くらいだが、石でも投げたほうがマシだろう。


 魔法の武器なんて、もちろん持っていない。


「あっ」


「えっ! あるのですか!?」


「あ、いえ、武器は無いんですけど、あの、武器になるかは分からないんですけど」


「といいますと?」


「倉庫に、鍬とか鋤とか、鎌とか、そういう農具があります。長い柄のものもあります。武器じゃないので、役に立つかは分からないんですけど……。三又のものとかなんか槍っぽくないですか?」


 ドーンさんは、ゆっくりと顔を上げた。


「……お借りしても?」


「もちろんです」


 農具は、すぐに運び出された。


 鍬。鋤。鎌。長い柄のついた道具。使ったことのない、何に使うのかよく分からない金具のついた農具もあった。


 まあ、鉄だろうから最悪鋳溶かしてどうにかしてくれたらいいだろうと、澪は楽観的に考えていた。


 相変わらずロッカーから明らかに体積的におかしい量が運び出されるのを見て、獣人達はお互いにアイコンタクトをするが、ドーンに睨まれて口をつぐんでいた。




 ガルドが戻ってきたのは、その日の夕方だった。


 約束の日数は守った。


 それが、戻ってきた者たちの姿を見る前に分かった。


 全員、疲れ切っていた。


 鎧は泥と血で汚れ、何人かは肩を借りて歩いている。ガルド自身も無傷ではない。腕に布が巻かれ、頬には浅い切り傷があった。


 それでも、ガルドは立っていた。


 戻ってきた。


 時間を稼いだ。


 ベロームは、出迎えた場所で一度だけ目を閉じ、それから言った。


「よく戻りました」


「戻ると言いましたので。ご安心を、誰も欠けていません。部分的には欠けてるやつもいますがね」


 ガルドの声は掠れていたが、首をすくめておどけたようにいう。


 ボロボロの部下たちも違いないと、笑っていた。




 すぐに報告が始まった。



 ヴァルガ側は、やはり普通ではなかった。

 矢が刺さっても止まらない。

 爪が剥がれても気にせず城壁を登ってくる。

 刃も謎の黒い鎧に弾かれてまともに通らない。

 大木を折り、堀へ投げ込もうとした。


 ガルドは淡々と話した。


「ラージュのバカ力で堀までぶん投げてどうにか時間を稼いだって感じですね」


 淡々としているからこそ、聞いている者たちの顔が強張っていった。


「不死身の相手にどうやって勝てというのだ?」


 誰かが言った。


「時間さえ稼げればさすがに餓死するだろう。こちらは澪様のおかげで食料には余裕がある。まあ、ちょっと味が悲惨ではあるが……毒はないとのことだった」


 ドーンが、農具を並べた場所へ目を向ける。


「澪様の倉庫からお借りしたものです。こちらで刃を研ぎ、柄を補強しました」


 ガルドは、その中の一本を手に取った。


 長柄の鍬だった。


 武器ではない。


 少なくとも、見た目は。


 ガルドは刃の部分を指で軽く撫でた。


 妙に、手になじんだ。


「数は十分に。思ったよりもかなり頑丈でした」


 マーヤが帳面を見ながら続けた。


 ベロームは、並んだ者たちを見た。


 草食系が多い。


 戦いに向いた者ばかりではない。


 それでも、ここを抜かれれば、後ろにいる負傷者や避難民は逃げられない。


「ここを抜かれれば、後ろにいる者たちは終わります」


 ベロームは言った。


「どの程度澪様の領域の力が働くかがわかりません。最悪向こうの力だけ貫通する可能性もあります」


 それを聞いても誰一人反論を述べなかった。


「ここが我々の地。野蛮な侵略者にこれ以上我々から何も奪わせたりはしない」


 派手な声は上がらなかった。


 誰も雄叫びを上げなかった。


 ただ、一人ずつ、農具だったものを手に取った。


 ラージュは壁においてあるひときわ大きな鋤を持ち上げた。


「これ……なんかデカいんですけど、ひょっとして僕用ですか」


「たぶん」


 ラージュは少しだけ複雑な顔をした。


 それでも、手にはしっかりと持った。


 その様子を見て、ほんの少しだけ空気が柔らかくなった。


 長くは続かなかったが、それでも必要な一瞬だった。





 人類側も、何もしていなかったわけではない。


 獣人側に武器は貸さない。


 それは変わらない。


 けれど、澪を危険にさらすつもりもなかった。


 グラーフは、直属の部下を数人集めていた。ラントもそこにいたが、主に聞く側だった。ティッシはいない。獣人絡みのこの件に、前衛が出来ない彼女を澪の近くへ置くのは危ういと判断された。


「澪殿には知らせるな。怖がらせるだけだ」


 グラーフは低い声で言った。


「だが、抜かれた時に何も決めていないのは論外だ。人類側へ退ける道を確認しろ。荷は最小限。馬は目立たない位置に置け」


「澪さんが嫌がった場合は?」


 ラントが聞いた。


「その時は説得する」


「説得できなければ」


「俺が怒られる」


 ラントは少しだけ顔をしかめた。


「それで済みますかね」


「済まんだろうな」


 グラーフはあっさり言った。


「だが、何もせずに死なせるよりはましだ」


 ラントは黙った。


 それから、小さく頷いた。


 二人は澪の普段を振る舞いを見て、その肉体の強さは人類とほぼ変わらないと思っていた。





 私は、その計画を知らなかった。


 ただ、何かが近づいていることだけは、何となく分かった。


 森の奥に作られた防衛拠点は、私のログハウスからは見えない。木々に隠れているし、わざわざ近づかないようにもしていた。


 負傷者がいるとは聞いている。


 ガルドさんたちが戻ってきたことも聞いた。


 でも、戦っている場所は目に見えない。音も、たまに遠くで何かが響く程度だ。


 だから、現実感はまだ薄かった。


 私にできたのは、布を渡すこと。消毒に使えそうなお酒を渡すこと。食べ物と塩を渡すこと。そして、農具を渡すこと。


 それだけだった。


 それだけなのに、みんなは何度も頭を下げた。


 申し訳なくなるくらいに。


 戦争は儲かると言っていた人がそういえば居たな、と思い出した。


 良くも悪くも物事が加速する。


 願わくばこのログハウスの周りでだけは平和であってほしいと思うのは多分独善的な考え方なのだろう、と、澪はため息をつく。


 私は神ではないし、そんな才能もない。みんなが平和に暮らせる世界なんて作れないし、作り方も思いつかない。


「またのんびりとバーベキューしたいなぁ」


 澪の独り言は、闇夜に吸い込まれて消えていった。




 森の奥で、鳥が飛んだ。


 見張り台の上で、短い笛が鳴る。


 防壁の前に、兵たちが並んだ。


 手にしているのは、剣だけではない。


 鍬。

 鋤。

 鎌。

 長い柄の農具。


 普通なら、笑うところだった。


 だが、誰も笑わなかった。


 ガルドも、鋤を叩いて三又の槍に変えたものをもって、地平線を睥睨していた。


 朝焼けの霧の合間から、木々の間から、赤く濁った目が見えた。


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