2_05 決戦前夜
ベロームがオルザムの部屋を出たあとも、拠点は昼のようにざわめいており、松明の明かりは消えることは無かった。
普段ならもったいないとドーンが飛んでくるだろうが、鉄火場の今となってはそんなことも言ってはいられない。
負傷者の手当ては続いているし、避難してきた者たちは大半はまだ外で半分呆けて、まだ荷をほどく場所すら決めきれていない。
治安維持のために見張りは増やされ、念のため倉庫の前にはドーンが差し向けた者たちが立っていた。象獣人のエ・ラージュが眠そうに眼をこすりながら周りを威圧的に見ているが、あまり象獣人を見慣れていないパルディオの部下達は興味深そうに見ている。
そして、一番大事な話だが、時間がなかった。
ヴァルガ側の使者は、直ぐに来るだろう。そして交渉が決裂したら血の雨が降る。
そのため、ベロームは異例として、夜のうちに主だった者たちを集めた。もちろん異を唱えるものは居なかった。
会議用の部屋には、普段より多くの者が詰めていた。ベローム、ドーン、マーヤ、ガルド、パルディオ。そして森側に残っている各部隊の代表者たちである。
オルザムはまだ高熱と貧血で意識がはっきりしない。草食王たる彼の知見が欲しいところだが、無いものねだりをしてもしょうがない。
だから、全員がベローム、まあ、少なくとも現状この場所のトップである彼を見ていた。
ベロームは、少しだけため息をついて、静かに口を開いた。
「さて、夜分にすみませんが時間がありません。朝まで待つ余裕もありません。今後の方針を決めます。皆さん意見をまず出し合いましょう」
最初に出た案は、籠城だった。
「拠点に残るべきです」
そう言ったのは、草食系の護衛隊長だった。
疲れた顔をしている。だが、声は落ち着いていた。恐怖で判断を誤っているわけではない。
「ここは地獄の魔獣の森でも生きていけるレベルでの防衛を前提に作られています。まあ、結果的にヤバいレベルの魔獣はほぼいなかったので無駄になったんですが。いずれにしても防御という点では圧倒的にこちらに分があります。それに今動くとしても動かせない負傷者をどうするかという問題もありますし、避難民も疲弊しきっています。混乱なしに誘導するのは困難かと」
何人かが小さく頷いた。
獣人側の拠点は、本来なら、そう簡単に落ちる場所ではない。
そこは魔獣の森の深い場所にある。
かつての魔獣の森は、いまのように妙に静かな場所ではなかった。夜になれば外から爪で木を削る音が聞こえ、朝になれば罠にかかった獣の骨だけが残っている。タチの悪いおとぎ話の最下層。そういう場所だった。
だからこそ、この拠点は、ただの前哨基地としては過剰なほど固められていた。
外周には二重の柵があり、その外側には浅い堀が掘られている。見張り台は森の影を見下ろす位置に立ち、夜間の火を絶やさないための薪場もある。魔獣の侵入を逸らすための溝や、音を鳴らす簡単な仕掛けも置かれていた。倉庫は半分地面に埋められ、いざという時に水を確保するための井戸も掘ってある。
本来なら、籠城は十分に現実的だった。
「それに、向こうも長くは続けられません」
別の者が言った。
「本国で何が起きたにせよ、あちらも混乱の直後です。こちらにかかりきりになれば、本国の守りも、南の戦線も、北の牽制も崩れます。兵を出し続けるには、食料も荷も要る。脅しをかけ、少し暴れて、こちらを従わせる。それが目的ではないでしょうか」
その意見にも、頷く者がいた。
草食系の者たちは、基本的には大きな衝突を望まない。
それは臆病だからではない。
戦いが長引けば、先に死ぬのは弱い者からだ。荷を運ぶ者、治療を待つ者、子ども、老人。そういう者たちが最初に削られる。特に肉食系獣人と比較すると身体的には弱い草食系獣人がそう考えるのは自然であった。
少し脅されても、堅い拠点に籠もって耐える。
相手の体力が削れてくれば、交渉の余地が出る。
こちらから攻める必要もない。
だが、ドーンが、手元の板から顔を上げ、苦々しい顔をしてつぶやく。
「早く決着をつけるつもりなら、その通りでしょう」
声は淡々としていた。
「兵を動かせば食料が要る。荷が要る。全く持ってその通りです。本国の混乱を押さえた直後に、こちらへ大軍を張りつけるのは得策ではありません。どちらかと言えば正気を疑うレベルです」
何人かが、ほっとしたように頷きかけた。
だが、ドーンは続けた。
「ですが、相手の目的が早期決着ではなかった場合は別です」
部屋の空気が、少しだけ止まる。
「この拠点をすぐ落とす必要はありません。本国からこちらへ向かう補給を壊す。耐えきれなくなって逃げた者を狩る。周囲に少数を置いて、道を塞ぐ。それだけで、こちらは時間とともに削れます。彼らが来る場所は我々の動脈です」
「少数で……そんなことが出来ますか?」
「ええ。こちらは人数が増えすぎています。負傷者も多い。食料と薬は増えません。ようは鈍重になってしまっています。動きが鈍った魔獣をしとめるのに、みんなで近寄ってタコ殴りにする奴らはいないでしょう。離れたところから弱るのを見ていればいい」
ドーンは、板に書かれた数字を指で押さえた。
「日干しにするだけなら、大軍を貼りつける必要はありません。むしろ少人数でローテーションを回した方が効果的です。こちらが外へ出ようとした時だけ叩けばいい。全員で突撃するわけがないですからね」
誰も、すぐには言い返さなかった。
ドーンは、そこで少しだけ声を落とした。
「相手の目的が分からない以上、最悪を考えるべきです。それに、少なくとも、あの使者たちの動きは、理性的な交渉相手のものには見えませんでした」
沈黙が落ちた。
しばらくして、マーヤが小さく言った。
「つまり、時間が、足りないのですね」
「はい」
ドーンは答えた。
「時間があれば、避難経路を整えられます。澪様のところを通り、人類側の領域へ逃げる選択肢も、検討だけならできたでしょう」
その言葉に、何人かが顔を上げた。
「人類側へ、ですか」
「少なくとも、現在は誤認防止の申し合わせがあります」
マーヤは慎重に言葉を選んだ。
「信用している、という意味ではありません。ですが、明らかにこちらを潰そうとしている相手よりは、まだ話が通じます。多分ですが」
誰も強く否定しなかった。
それは、それだけ状況が悪いということだった。
「人類側まで行かずとも」
別の者が言う。
「澪様の領域に入れば、少なくとも死にはしないのでは」
部屋の奥で、ガルドが首を横に振った。
「甘い」
唸るような声だった。
「あの方の近くで、妙な力が働くのは確かでしょう。だが、縄を打たれて外へ引きずり出されたら終わりです。澪様の家にみんながかくまってもらおうという話でもないでしょう。さすがに見た目以上の空間が中に広がっているようなことは無かったので」
「それは……」
ガルドの発言に困惑する声が上がる。
「澪様の生活圏を脅かす選択は最後の手段です」
ベロームのその一言で、また空気が沈んだ。
誰も、それを望んではいなかった。
澪の周辺は、例外の場所だ。そこを踏み荒らせば、何が起こるか分からない。そもそも、澪本人を巻き込むことになる。
澪は理性的で人当たりもいい。だが、砂と化した武器、時々遠くを見ているときに発する人ならざる気配を感じた者も少ないが居る。それらからの報告を聞いてベロームは澪自体に触れることはかなり危険だと思っていた。
昨日までなついていた動物がある日突然襲い掛かってくることなどよくある。それが超常の存在であればなおさら安心など出来ない。澪の気まぐれでこの地域が砂と化してもおかしくないとベロームは思っている。
ドーンが板へ視線を戻す。
「いずれにしても、拠点が必要です。負傷者を置く場所。避難民をまとめる場所。食料を管理する場所。見張りを立てる場所。澪様の領域に近すぎず、しかし離れすぎない場所に」
「この拠点は、防衛には強い」
護衛隊長が言った。
「ですが、戦える人数が少なすぎる。避難民と負傷者を抱えた状態で守るには、広すぎます」
「なら、できれば」
マーヤが言う。
「死傷者がいない、出ない場所で、籠城した方がいい。今いる負傷者を巻き込まずに済む場所で」
「だから話が戻るが、拠点を作るのに時間がかかると、先ほども述べていたではないか?」
別の者が、すぐに反論した。
「柵も、堀も、倉庫も、井戸も、一日二日でできるものではありません」
「ここで籠城して時間を稼ぎ、その間に後方へ拠点を作るべきでは」
「いったいどれだけの時間を稼げばいいと思っているんだ」
ドーンは考えながら呟く
「……結局はいずれにしても食料と薬の問題ですね。ここで籠城して作業を進めるなら、今いる人数を養い続ける必要があります。工事現場に重症者を寝かせるわけにもいきません」
そこで、誰かがつばを飲み込んだ。
流れが、ひとつの場所へ向かっていくのを、全員が感じていた。
言いたくない結論だった。
だが、避けて通ると、後からもっと悪い形で戻ってくる。
やがて、先ほどまで黙っていた一人が、低く言った。
「……減らすしかない、という考えもあります」
その声に、悪意はなかった。むしろ、言った本人が一番言いたくなさそうだった。
視線は机の上に落ち、拳は膝の上で固く握られている。誰かが口にしなければならない。そう思って、無理に言葉にしたのだと分かった。
「言い方を変えます。戦える者だけを残すなら、動けます。動けぬ負傷者、避難民、子ども、老人を別にすれば、後方への移動も、防衛線の構築も、ずっと楽になります」
別にする。
その言葉が、何を意味するか分からない者はいなかった。
負傷者を抱えなければ、足は速くなる。避難民を守らなければ、食料は減らない。子どもや老人を連れなければ、戦闘員の手も取られない。
生き残るためだけなら、それは正しい。
正しいからこそ、誰もすぐには否定できなかった。
ベロームは、少しだけ目を伏せた。
「それを選べば、確かに動きやすくはなるでしょう」
声は穏やかだった。
「ですが、今の我々は、すでに一枚岩とは言えません。草食王系の者、森側にいた者、パルディオ殿に従ってきた者、逃げてきた者、守られる側の者。寄り集まって、どうにか同じ方向を向いているだけです」
ベロームは、机の上に置かれた地図を見た。
「そこで、動けぬ者を切ると決めれば、次に切られるのは誰か、皆が考え始めます。戦える者同士でも、互いを疑う。荷を隠す者が出る。勝手に逃げる者が出る。守るべき列は崩れ、ただの烏合の衆になる」
誰も、口を挟まなかった。
「そうなれば、敵が力で押し潰すまでもありません。放っておけば骸の群れの出来上がりです。向こうが望む形に、こちらから崩れていくことになる」
ベロームは、少しだけ苦い顔をした。
「ですから……、その選択は取りません。甘いと言われれば、その通りでしょう。ですが、今ここで甘さを捨てたら、我々はたぶん、まとまったまま逃げることすらできなくなります」
発言した者は、目を閉じた。
反論はしなかった。
むしろ、どこかでほっとしたようにも見えた。
自分で言った案が採られないことを、最初から望んでいたのかもしれない。けれど、誰かがその案を机の上に置かなければ、全員が見ないふりをしたまま進んでしまう。
パルディオは、椅子の背に体を預けたまま、ほんの少しだけ苦笑した。
この場でベロームが現実だけを選ぶ男なら、パルディオ自身も、オルザムも、もっと早く切り捨てられていたかもしれない。理屈としては甘い。だが、その甘さがあるから、今ここにいる者たちはまだ同じ場所に座っていられる。
パルディオは何も言わなかった。
ガルドが、壁際から口を開いた。
「本隊が来るまでには少し時間があるはずです」
「なぜそう思う」
ベロームが聞く。
「三人組は返事を聞きに来ただけです。本隊を毎回連れ回せるなら話は別ですが、あれだけの人数をこの森で動かし続けるには、食料も荷も必要になる。兵站が持ちません」
ガルドは、机に置かれた地図を見た。
「戻って、本隊を呼び、こちらへ来る。早くても二日。普通なら三日。こちらが動くなら、その間です」
「向こうが猶予をくれた、と」
「そう見せているだけかもしれません。ですが、時間はあります」
ベロームは少しだけ考えた。
草食系の者たちの多くは、まだ拠点に残ることを望んでいる。
それは臆病だからではない。
争いを大きくしたくない。移動で負傷者を死なせたくない。子どもや老人を夜の森に出したくない。守れる場所があるのに、そこを捨てるのは危険だ。
どれも間違いではなかった。
心理的に。失敗する場合は、選んで失敗したほうが後悔が強くなる人間がいる。なので楽な、選ばないことを、無意識的に選ぶ心理は理解できる。
ただ、ここで選び間違えれば終わる。死んでから後悔なんてする余裕はない。
澪の領域近くまで下がったとしても、そこから引きずり出されれば同じだ。澪の家の近くにいるだけで全員が助かるなどという、都合のいい話ではない。
だからこそ、今ここで動かなければならない。
「では、結論をいいます。戦場を選び直しましょう」
ベロームが言った。
部屋の中が静かになった。
「今の拠点は捨てます。負傷者と避難民を先に動かす。澪様の生活域そのものには入らない。ですが、その近くまで下がります」
「澪様の近くへ」
マーヤが小さく繰り返す。
「ええ。あの方の周囲では、異常な力が働きにくい。見たことない方には理解できないかもしれませんが事実です」
パルディオもそれらの資料を読んでおり、小さくうなずく。
ベロームはそこで一度、言葉を切った。
「ただし、澪様の家を盾にするつもりはありません。そこだけは間違えないように。そうしてしまえば我々はおそらく生き残ることはできないでしょう」
おそらくそうなれば人類側が明らかに敵に回る。避難民がするのに二面作戦なんて選ぶ奴はただの自殺志願者だ。
そしてベロームは決定をする。とはいえ、最初から選べる手段などなかった。
誰にも見られないようにベロームは小さく安堵のため息を漏らした。
その日の午後、ヴァルガ側の使者三人は再び現れた。
返答を聞きに来たのだろう。
中央の男は、前回と同じ赤い目でベロームを見た。折れた大木の跡が、まだ近くに残っている。誰も片づけていない。
「返答は?」
男が言った。
ベロームは穏やかに答えた。
「お受けできません」
それだけだった。
長い説明はしなかった。
相手も、聞く気はなさそうだった。
使者の一人が、歯を見せた。
笑ったように見えた。
「愚か者め。後悔するぞ」
別の男が、同じ調子で続ける。
「ヴァルガ様の温情を理解できない無能が」
「狩られる者の愚かさよ」
会話ではなかった。
ただ、どこかで決まっている言葉を、順番に吐き出しているようだった。
「「「あの世で後悔するが良い」」」
三人はそれだけ言い残し、森へ戻っていった。
ベロームは、その背を見送ってから、短く言った。
「さて、我々も急ぎましょう」
方針を聞いた者たちは動きは速かった。負傷者を担架に乗せ、荷をまとめ、使えるものと捨てるものを分ける。子どもや老人は先に動かされ、戦える者は後ろに残った。
本来なら魔獣・人類側対策で重装備をしているところだが軽装、最低限の装備で速度を優先させる。
それはドーンが綿密に作った統計データによる安全な道と区域の資料があってこそであった。
ラージュは倒木を持ち上げ、荷車の邪魔になる枝をどけ、ついでに子どもたちに「そっちじゃない」と指示されていた。本人は子どもから怖がられていると思っていたが、実際には完全に便利な大きい人扱いだった。子供に怒られながら巨大な荷物を動かすラージュを見て少しだけ空気が柔らかくなる。
殿に回る隊列へ向かうガルドにベロームがその背を呼び止める。
「ガルド」
「はい」
「あなたは移動組では? それにまだ監視下の身ですよ」
「……分かっています」
「分かっていて、そちらへ行くのですか」
「父上……ヴァルガ側が来るなら、俺の顔で一瞬でも止まるかもしれません」
それは建前として十分だった。
ベロームは、少しだけガルドを見た。
「期待は薄そうですが」
「分が悪くても賭けないといけないときがあると思いませんか?」
ガルドはベロームを見て首をすくめる
「はぁ。……生きて戻ってきてくださいね。あなたに死なれると、こちらの手札が減ります」
「手札扱いですか」
「人質のほうが良かったですか?」
ガルドは短く笑った。
「後ろはお任せを」
ベロームは、それ以上止めなかった。
ガルドは武器を持ち直し、殿の列へ加わった。
その目は以前よりはっきりと前を向いていた。




