2_02 軒先を貸したら村になりそうな件について
少しだけ、時は戻る。
そのころ澪は、畑の端でしゃがみ込み、芽の出たばかりの葉を眺めていた。
季節はよくわからないが、まだまだ暖かい。朝日に照らされて、朝露を反射する芽は、ここが異世界であることを忘れさせてくれた。
まあ、土や強い緑の香りは異世界っていうか、東南アジアを思い出すのだが。
ぐーっと背を伸ばして、ログハウスの周りを見渡す。いやぁ、広くなったなあ、と独り言が出る。
最初は、マズ・・・、いや味もそっけもない野菜に嫌気がさして、自分用に家の前に少しだけ家庭菜園をやるつもりだった。
それが、種が取れたからもう少し、別の土でも試してみたいからもう少し、日当たりの違いを見たいからもう少し、と続いていった結果、ログハウスの周りには畝がいくつも並ぶようになっていた。まあ、異様に成長が早いのが悪い。私のせいではない。
結局今の畑は、なんとなく三つに分かれている。
家に近い側は、自分で使う範囲。ゴチャゴチャで雑多な感じだ。
そこから少し離れたあたりが、試験場農場。名前だけ聞くと立派だが、実態は、澪と人類側の兵の一人、オッサンと呼んでいるが、があれこれ試している、よく分からない畑だった。
まあ、オッサンは年齢的に本当におじさんなのかはよく分からない。オッサンは新しい物好きで、試してみて、失敗して、少し変えてもう一度試すのが好きだった。もともと農家の末っ子だったらしい。いわゆる口減らしみたいな感じで兵士になったそうだ。色々と苦労はしていたようだが、本人は非常に前向きなのであまり気にしてい無さそうだった。
で、そのオッサンも最初は水はけを少し直すだけだったはずが、土の混ぜ方を変える場所になり、日当たりの強弱を見る場所になり、隣に別のものを植えたら早くなるんじゃないというマイ〇ラの知識を入れたりして、気づいたらそんな感じのカオスな実験場が出来上がっていた。小屋までできている。
さらにその外側では、人類側の何人かが手伝ってくれているなぞの共同畑?みたいなのがいつの間にかできていた。
澪も、正直住んではいるが別に税金も払ってないし、端っこも使ってないし、見栄えのない景色よりは誰かしらがワイワイしてるのを眺めながらお茶でもしてるほうがいいんじゃない、あと万が一魔物が出たら助けてくれそうだし、という暇つぶしと打算の兼ね合いで好きにさせている。一応許可しているテイにはなってはいるが。
このところは、川から水を引けないかとか、道具を雨ざらしにしないためにマジな小屋が要るのではないかとか、そんな話まで出ているらしい。澪が直接細かく相談に入っているわけではないが、耳に入る単語がだんだん本格的になってきた。
「なんか、どんどん村っぽくなってきたなぁ」
澪は苦笑した。
ただ、不思議と嫌ではなかった。
澪の視界の邪魔にならないように、端の方でやっているし、必要な時はちゃんと確認してくる。
その距離感が、澪にはありがたかった。
なお、この件が後にレナートへ報告された時、彼は若干固まっていた。
ただ、笑っているような、頭痛をこらえているような、見たこともない不可思議な顔をして、机の上に置かれた地図の、澪の谷のあたりを指先で軽く押さえた。
「……なるほど。畑ですか」
こめかみをトントンと指でたたきながら目をつむり考え込む。
しばらくしてから、レナートは穏やかな声で付け加えた。
「失礼をしていないか、きちんと確認するのですよ? 何かをする前には絶対に許可を取るように」
側近は神妙な顔で頷き、静かに部屋を出ていった。
その夜、仕事を終えたレナートは、ひとり執務室に残っていた。
机の上には、処理し終えた書類が重ねられている。灯りは小さく、窓の外には暗い森の影が沈んでいた。
レナートはしばらく、その森を見つめていた。
図らずも森に進出してしまった事実をどう処理するか悩んでいた。
なお、澪は、もちろんレナートの荒れ狂う心内については気づいておらず、畑の次は田んぼかなとか、カレー食べたいなとか、畜産とかやった方がいいけれど無理だろうなとかそんなことを考えていた。
「まあ、まずは畑が安定してから、かな~」
自給自足に関していえば、ありがたいことに味を気にしなければ最初から完結している。ティッシュを丸めたような野菜をかじっていればいいだけだから。
とは言え、隣で飢えている人がいる中でマズイ野菜をかじり続ける人生というのも、二重の意味で味気ない気がしていた。
二つの勢力のちょうど中間であり、火種はあるが、逆に言うとそれをコントロールできればここは多分森の外よりも安全な地域になるだろうな、とは思うが、ただの一般人にそんなことができるかと言われるとまあ、無理だ。
ログハウス自体はどうやらめちゃくちゃ頑丈なようで(1回転んだ兵士の槍が窓にあたったが、傷一つなかった)、最悪引きこもればなんとでもなるだろうな、と楽観的には考えていた。突然抑えつけられたら無理だが。まあその時は別勢力が助けに来てくれることを信じよう。
澪は楽観的と悲観的が混じったような考え方をしていた。二度目の生だからかなと本人は思っていたが、実際は違うことを本人は知らない。
その日、先に来たのは獣人側だった。
足音で、なんとなく分かるようになってきた。まあ、人類側はガチャガチャ鎧の音がするからだが。獣人側は皮装備が多いので比較的静かだ。
澪が顔を上げると、そこにはマーヤと、荷を持った獣人が二人いた。澪は立ち上がって、手についた土を払った。
「こんにちは。今日もいい天気ですね」
「こんにちは、そう……ですね」
マーヤはいつも通り丁寧に頭を下げた。
ただ、今日は少しだけトーンが低かった。
いつもなら荷の中身を説明しながら少しずつ調子を戻すのに、今日は最初の一言から、どこか探り探りに聞こえる。
澪はそこで、ふと気づいた。
「あれ、今日はガルドさんいないんですね」
マーヤの耳がぴくりと動いた。
「そうなんですよね。ちょっと私用で遠くに行ってるみたいです」
「そうなんですか」
澪はそれ以上聞かなかった。
まあ、彼も忙しい日もあるだろう。偉い人なのか、現場の人なのか、いまだにそのあたりはよく分からないが、なんとなく上の立場っぽい気がする。まあ、マーヤもそうっぽいが。
澪は受け取った袋をのぞいた。
「ありがとうございます。最近、本当に助かってます。まだ香辛料を作るのがうまくいってなくて。土との相性なのかなぁ……。あ、これ、前にもらった香辛料と少し違います? ローズマリーっぽいな」
「はい。こちらは、肉にも野菜にも合うものだと聞いています」
「おお。いいですね。ポテトサラダにあいそうだなー」
澪が素直に目を輝かせ、指折り数えて聞いたことのない料理名をつぶやいているのを見て、マーヤの表情が少しだけ和らいだ。
その時、向こうの畑から声が飛んできた。
「澪さーん、そこの鍬、ちょっと貸してもらっていいか?」
ラントだった。
さらにその後ろで、ティッシの声もする。
「お願いしまーす。こっちの鍬ショボインす! 重いし! 使いにくいし!」
澪は思わず笑いそうになった。
「使って大丈夫ですよ。使い終わったら戻しておいてくださいねー」
「了解」
「あざす!」
「お前は持つな。振り回すから」
「振り回さないっす!」
ティッシが不満そうに言い、ラントが無言で鍬を遠ざける。澪はその光景を見て、やっぱり少し笑った。
人間側は最近、獣人側とかぶっても、あまり気にしていなさそうだった。もちろん、仲良しというほどではない。けれど、畑の端で顔を合わせても、殺し合いをするような空気には全くなっていない。
マーヤは、そのやり取りを見ていた。
最初は、ただ顔を向けただけだった。けれど、人類側の一人がこちらに気づいて軽く手を挙げると、マーヤの指が荷紐の上で止まった。
彼女は一瞬、返事をしそこねた。
それから、遅れて小さく頭を下げる。
礼儀正しい、いつもの動作だった。けれど、ほんの少しだけ硬い。
人類側の者は、それに気づかず、満足したのか、すぐに畑へ視線を戻した。
まるで、同じ畑にいる別の作業者に挨拶しただけのようだった。
マーヤの耳が、わずかに伏せる。
その視線は、畑の端へ移った。
そこに敵の陣はない。平和な景色だった。
マーヤは何かを言いかけて、やめた。
澪が首を傾げる。
「どうかしました?」
「いえ」
マーヤは小さく首を振って、すぐに笑みを作った。いつもの、丁寧で少し控えめな笑みだ。
「ずいぶん、本格的になってきたのですね」
「そうなんですよ。なんか、気づいたら畑っぽくなってきて」
澪は少し照れたように笑った。
「私ひとりだと全然手が足りないので、助かってます」
「そう、ですか」
マーヤはもう一度、人類側の畑を見た。
そこではティッシが、またラントに何か注意されている。ラントは呆れた顔をしているが、声は荒くない。ほかの人間たちはそれぞれの作業に戻っていて、時々こちらへ視線を向けるものの、敵を見る目ではなかった。
「なんだか村みたいですね」
「本当ですよね。この調子だと100年後には城でも立ってそうですよね」
澪の軽口に、マーヤは笑顔で相槌を打つ。ただ、マーヤの脳内では、それは本気でありうる未来だという結論が出て冷や汗が出た。
受け渡しが終わると、獣人側はいつものように頭を下げて帰っていった。
澪はその背中を見送りながら、少しだけ首を傾げる。
ガルドさんは忙しいのかな。それとも、何かあったのかな。
まあ、あの様子を見る限り何かはあったのだろう。ただ最悪な話ではなさそうだが……。
そう思ったところで、ラントが声を落として近づいてきた。
「澪様」
「はい?」
ラントが様付でしゃべってくるときは、何かオフィシャルな時だけだ。
「ここだけの話だが、向こうで、何か内輪揉めがあったらしい」
ラントは周囲を一度見てから続けた。
「クーデター、みたいな話も聞く。いや、本当かは分からない。俺も現場の噂の噂で聞いただけだ」
「クーデター……?」
澪は聞き慣れたようで聞き慣れない単語に、少しだけ目を丸くした。
「その影響で、ガルドが出てこないのかもしれない」
「ガルドさんは何か関係があるんですか? トップ、というわけでもないですよね」
「推定だが……、おそらく種族レベルでの断絶があった可能性がある。ガルドは肉食系だし、本来はあんまり草食系と一緒には動かない側、とは聞いてる」
「へえ……」
澪は、そこで初めて獣人をもう少し細かい単位で考えた。
草食系、肉食系。
そう言われてみれば、たしかに食べるものが違う。雰囲気も少し違う。身体つきも、動き方も、声の出し方も、なんとなく差がある。今までは「獣人は獣人」とひとまとめにしていたが、そこにもいろいろあるらしい。たしかにガルドさん以外は全員、まあ、地球レベルでいう草食系か、まあ、雑食の動物だ。
確かに食べるものが違うなら、住む場所や、一緒に動く相手まで違ってきても不思議ではない。
日本でも、宗教や文化で住む地域を分けている人たちがいた気がする。たぶん、それに近いのかもしれない。いや、たぶん雑な理解なのだろうけれど、今の澪にはそのくらいしか引き出しがなかった。なにせ宗教感の薄い現代人なもので。
ちなみに、あとあと聞くと草食系と肉食系は、まったく別のものしか食べられないわけではないらしい。消化しようと思えば、お互いの食事を一応は取れる。ただ、どうしても変換効率が落ちるし、たまにお腹を下したり便秘になったりするらしい。要するに「食べられるけれど、あまり嬉しくない食事である」。
その積み重ねが、生活の形の差になるのかもしれなかった。
澪はラントを見た。
「ガルドさん、大丈夫ですかね」
「だといいな」
ラントは即答した。
「まあ、ただ、あいつがそう簡単に死ぬ感じはしないな。無駄に元気そうだし」
「それはそうですね」
澪は頷いた。
そこは、妙に納得できる。
ガルドは、なんとなく丈夫そうだ。肉体的にも、精神的にも。いや、精神的なことはよく分からないが、少なくとも簡単に折れる印象はない。
「無事ならいいですね」
澪が言うと、ラントは少しだけ目を細めた。
「……ああ、そうだな」
それだけ返して、鍬を肩に担ぎ直す。
ティッシが「なんか秘密の話してたっすか」と寄ってきて、ラントが「畑の話だ」と雑に返す。ティッシは「まさか新しい果物でも……!?」と驚愕する。
澪はつい笑ってしまった。
ガルドはいないが人類側は特に変わらず平穏だ。
けれど、いない人を心配しすぎても仕方ない。来たらまた香辛料の話でも聞けばいい。最近のカレースープもどきの評判も、少しだけ伝えたい。
澪はそう思って、お茶でもするかと、ログハウスに戻った。
そのころガルドは、虜囚というほど惨めでもなく、自由人というほど気楽でもない場所にいた。
まあ、名目上は牢ではあるが、いわゆる牢屋という感じでもない。
寝床はまともで、食事も出る。暑さ寒さもしのげるし、医者めいた者が様子を見に来ることすらある。怪我人扱いというのが近いのかもしれない。あるいは、少し丁寧な軟禁だ。最低限のプライバシーは保たれている。トイレとか。
不満があるとすれば、やや狭いためのびのびとした運動ができないことくらいだった。
体を動かせないと、頭だけが無駄に回る。頭が回れば、余計なことを考える。そうなると結局、気になるのは同じことだった。
マーヤは元気にしているか。部下どもは、余計な真似をせず仕事をしているか。ドーンはまた、一人で全部を抱え込んでいないか。
会える相手はかなり限られていた。基本的にはヒ・ベロームの部下だけ。
それでも、完全に誰とも話せないわけではない。見張り付きで、短い時間だけ、ドーンが通されることがあった。
ヒ・ベロームの判断だろう、とガルドは思っている。
あの男は、ガルドに叛意がないことくらいは知っている。ほんの少しだけ憐れんでいるのかもしれないが、それを口にするほど甘い男でもない。良くも悪くも為政者に連なる人間だなと思って、苦笑する。
その日も、ドーンは見張りの前で、いつも通りの顔をして座った。
いつも通りすぎて、逆に何かあるのが分かる。
「代り映えのない顔をしているが、面白い話とかはあるか?」
ガルドが先に聞くと、ドーンは少しだけ間を置いた。
「いつもの顔ですみませんね。まあ、確かなものは、ほとんどありません」
「噂はあるんだな」
「補給が、途絶えるかもしれないとか」
ガルドは眉を動かさなかった。
「詳しく」
「分かりません。止まる、ではなく、止まりそうだ、という段階です。ただ、じんわりと遅れは出ています。まあ、ぜいたく品は見なくなりましたね。味もそっけもない食品と、レンガに使えそうなパンばかりです。ついでに家の補修でもしようかという人も出てきましたね」
「ベローム様は」
「当然、把握されています」
「だろうな」
監視がリアクションがないことからおそらくそうだろうなと思っていた。
その上でドーンがここに来たということは、ただの報告ではない。
ガルドは椅子に背を預けた。
「それで、俺に何を聞きたい」
ドーンは一度だけ見張りを見た。見張りは表情を変えない。小さくうなずいている。さらさら止める気はないらしい。
「澪様のところで、どう動くべきかを」
ガルドは目を細めた。
「俺に聞く話かよ。お前らのほうが会ってるだろ」
「人類側が、あちらで農作物を作り始めています。畑というには、少し広い。澪様の許可はあるようですが、こちらから見れば、あの場所に人類側の手が入っていることに変わりはありません。マーヤはこのままでは村が出来上がる、いや、半分もうできているのではないかと思っているとのことでした」
「急な話だな」
「農作業が好きな人類の暴走みたいで、向こうも頭を抱えているとのうわさは」
「いい耳があるようだな」
ガルドは天井を見た。
農業自体のことは分からない。肉食の自分に、畝だの種だの水の引き方だのを聞かれても困る。分かるのは、相手の縄張りへ不用意に踏み込めば面倒になる、ということくらいだ。つまり聞きたいことなど何もなく、シンプルに背中を押してほしいんだろう。
「好きにやれ。責任はとる。取れたらな」
「雑ですね」
「農業は知らん。知ってるだろ」
ガルドは視線を戻した。
「ただ、澪様は多少のことでは怒らねえ。たぶん」
「たぶん」
「たぶんだ。親しみと無作法をはき違えるな。」
ドーンは黙って頷く。
「そして人類側の領分を犯すな。あの地域でのあらゆるもめ事を可能な限り抑えるんだ」
「では、こちらは何もしない方がよいのでは?」
「それでは先がない」
ガルドは短く切った。
「こっちも農地を借りろ。そして畑をするなら、人類側と張り合うんじゃねえ。澪様と仲良くするためだけでもねえ。人類側とも仲良くするための形にしろ」
ドーンの目が少しだけ動く。
ガルドは言葉を選ぶのが面倒になって、少し荒く続けた。
「向こうに無さそうな種を持っていけ。食料が無くても種くらいは余ってるだろ。こっちに無いものは向こうからもらえ。澪様のところを通して、物々交換を増やせ。畑を取り合うんじゃなくて、足りないものを補い合ってることにしろ」
「なるほど。乗っかるわけですね」
「聞こえの悪いことを言うんじゃねえよ。あとは好きにしろ。俺は農業は知らん」
「しかし、方針としては十分です」
ドーンはそう言って、少しだけ息を吐いた。
それは安堵にも見えたし、次の面倒を数え始めた顔にも見えた。
「マーヤに伝えます」
「お前も行けよ」
「手がいっぱいなもので」
「俺のカンだがあそこは最優先事項だ。仕事はどこでもできるだろ。ログハウスでやれ」
「機密情報を人類側のそばでやるのは気が引けますが……、まあ、あなたのカンはよく当たりますからね。明日は気分を変えてピクニックしながら書類仕事をすることとします」
ドーンは苦笑しながらうなずく
「ドーン」
「はい」
「……あいつの生死は?」
「まだ、噂ですが……、ご健在だそうですよ」
「そうか。最悪じゃないといいが」
ガルドはそれ以上聞かなかった。
ドーンも、それ以上は言わなかった。
見張りが扉を開ける。ドーンが出ていく。扉が閉まる。
また静けさが戻った。
けれど、さっきまでの静けさとは少し違っていた。
ガルドは寝台に腰を下ろし、壁を見た。
親父が他の王を殺して、一王制みたいになった。そんな噂がある。
常識で考えれば、あり得ない。
あり得ないはずだ。
だが否定する材料が、どこにもない。
ガルドは深く息を吐いた。
しばらくのあいだ、ガルドはそうして、何も分からないまま過ごすことになった。




