第四十七話/宮永遥③
幼馴染の彼女と同じ大学への進学が決まり、国宝級イケメン高校生、爽哉の人生は順風満帆だった。卒業式を迎えたその日、第二ボタンはおろか、袖のボタンからネクタイに至るまで、全て取られるモテ男ぶりを如何なく発揮する。自らが築き上げた学園ハーレムの総括とでも言わんばかりに、爽哉の周辺は華やかさに満ちていた。
しかし、そんな彼を神は祝福しなかった……
彼女のストーカーに襲撃され命を落とした爽哉は、稀代のブサメンとして高校生活をやり直す現実を強いられる。学園の抱える問題、断ち切れない因縁、消化不良な想い……。ブサメンの自らと向き合う覚悟を決めた爽哉は、果たして絆を取り戻すことができるのか――
今、試練の扉が開かれる。
【登場人物】
中間爽哉 イケメン高校生→ブサメン高校生
藤川千絵 爽哉の幼馴染
木崎優子 第三十六代生徒会長。図書委員
小澤詩織 攻守両立のコミュニケーションお化け
本八幡香奈 大手健康器具メーカーの社長令嬢
宮永遥 陸上部。インターハイ優勝候補
皆川結衣 第三十七代生徒会長
本条鈴音 第三十五代生徒会長。爽哉の姉的存在
中間涼香 爽哉の妹
内藤亮介 爽哉の親友
大里拓馬 ブサメン高校生→イケメン高校生
あれから一ヶ月が経った。
期末考査は終わり、夏休みは目前に迫っている。スポーツ科学コースの遥とは授業が被らない。俺はもどかしさを抱いたまま、鬱々と毎日を過ごしていた。校内で遠目に見かける遥は、既に普通に歩いていた。怪我は良くなったようだ。
ここ一ヶ月、生徒会室から放課後のグラウンドを眺めている。遥が陸上部の練習に戻ってきた様子はない。何度も話しかけようと思った。しかし、俺は遥に掛ける言葉を持ってはいなかった。いや、正直に言うと、話しかけるのが怖かった。それによってまた、未来を変えてしまうんじゃないかと思った。ただただ、遥の覚悟を踏みにじることが怖かった。
相変わらず、猿田彦神社への参拝は続けている。雨の日も、風の日も。しかし、俺の隣に遥の姿は無い。俺に信心が足りないのか、それとも願掛けなんて眉唾なのか。はたまた、その両方なのか……。
夏休みの初日は嵐に見舞われた。記録的な数値を並べ立てた台風が接近している。俺は迷った。常識的に考えて、ランニングになんて出るべきではないだろう。命あっての健康だ。健康のために命を危険にさらす行為は、本末転倒でしかない。
だが、俺の脳裏を遥の顔が掠めた。次の瞬間には、暗闇に染まるランニングコースを駆ける俺がいた。フードを目深に被り、それでもなお隙間から侵入した雨風が身体を濡らしている。早朝を行く数少ない自動車も、今日は恐る恐る減速しながら進んでいた。ヘッドライトに映し出される俺はどんな風に見られているだろう。客観的に見ても、狂人に違いなかった。
一二三四段の石段は、既に階段の体をなしておらず、もはや滝だった。周囲の土砂を巻き込んで、黄土色の激流が滔々と流れている。俺は一段一段、慎重に上った。
石段を上りきると、体育祭の日とは真逆の絶景が広がっていた。風は地上よりも暴力的に吹き、木々を大きく揺らしている。大木の軋みが不気味に鳴いていた。天は厚い雲で覆われ、今にも大地を飲み込むように鈍く蠢いている。
俺はゆっくりと猿田彦のご神殿へ向かった。風と寒さで、予想以上に体力を奪われている。ぬかるむ地面に足を取られつつ歩を進めた。何をやってるんだ、俺は……。ふと我に返り、客観的に自分を仰ぎ見ると猛烈な愚かしさが襲いかかる。静まり返った神殿の前で、俺は一心に祈った。遥の事、そして、救えない自分の事……。それは懺悔だった。
参拝を終え踵を返した俺の目に、見知った姿が映る。
俺は幻を見ているようだった。ワインレッドのノースリーブシャツに、ベージュのハーフパンツ。嵐の山中には似つかわしくない、今から街へ出ていくような装いだった。ずぶ濡れで、麻のパンプスは泥にまみれている。開口一番、遥は叫んだ。
「ばーっかじゃないのっ!」
その眼は本気の怒りで滾っていた。
「こんな日に、お詣りに来るなんて! おかしいよ!」
なおも汚れ続ける靴を気にする素振りもなく、遥は俺の眼前まで歩み寄った。
「それは、お互い様だろ……。しかも、そんな恰好。風邪ひくぞ」
俺は脱ぎ去った上着で遥を覆った。一瞬動きを止めた遥だったが、上着を掠め取るようにそっぽを向くと、強い口調で続けた。
「私はね! お母さんに車で連れてきてもらったの! まさか、本当に来てるなんて……」
「お百度参りは一度でもサボると、一日目からやり直しなんだぞ」
「そんな事、どうだっていいの! バカ!」
「あぁ、バカさ。バカな俺にはこれしかできない……。お前のために祈る事しか、できないんだ!」
言い返した俺の拳は、無意識に固く握り込まれていた。
「私……」
そこで初めて、遥は口を噤んだ。
「朝、お前の顔が浮かんだんだ! そしたら、いてもたってもいられなくて、駆け出してた。俺は、バカだ……」
目を伏せた俺の袖を遥が微かに引っ張った。
「私、甘えてたんだと思う、爽哉に……。褒められるのが嬉しくて、もっと褒められたくて。でも、それができなくなった時に、怖くなって。当たり散らして。恥ずかしい……」
「そんな事、ない……。俺の方こそ、お節介ばっかりして、遥の気持ちを、覚悟を、踏みにじった。本当に恥ずかしいのは俺の方だ……」
顔を上げた俺の目の前には遥の顔があった。頬を伝う雨水が、涙の如く輝いている。
「私の事、許してくれる……?」
「俺は怒っちゃいねぇよ。ただ、どうしていいか分からなかった。どう支えていいか分からなかったんだ」
「……また、支えてくれる?」
「走るのが好きなんだろ? 俺も好きだ。ただ、それだけさ」
遥は笑った。やっと笑ってくれた。
暴風雨の吹き荒れる重苦しい空の下で、俺の心には一筋の光明が差し込んでいた。
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