第9話:ステップ3 魔法の修行をはじめるぞ!
2026年6月
川崎ダンジョンから我が家へと帰宅した私は、リビングのソファに深く腰掛けた。
1万体という大きな節目を超えても、結局のところ、身体にも周囲の環境にも変化は一切起きなかった。
ファンファーレも神の声もアナウンスもなし。
正直に言えば、ほんの少しだけがっくりとしていた。
だが、いつまでも落ち込んでいても仕方がない。
期待した結果が出なかったのなら次の方針へ移行するだけだ。
当初の予定では、第二層への本格的な進出を『ステップアップ2』としていたが、順調に狩りが進行中である。
これからは『ステップアップ3』ーーすなわち、かねてより温めていた『魔法習得』に向けて、本格的に動き出すことにする。
個人的な見解だが、このダンジョンというシステムが存在する以上、絶対に『魔法」』はある!と思うのだ。
いくつかのラノベを読み漁った私の仮説だが、おそらく最下層、100層あたりまで潜れば、そこには『現代地球とは異なる異世界』が広がっているのではないか。
そんな男のロマンのような仮説を、私は大真面目に抱いていた。
ここで、現状の方針を整理する。
1.スライム狩りは通算1万体(正確には1万303体)を超えたため、周囲の目を考慮して当面は中止する。
2.当面の生活費および活動資金は、第二層の角うさぎとイノシシモドキを狩ることで得る。
3.並行して「ステップアップ3」として、魔法の修行を行う。
問題は、その魔法の修行方法だ。
手がかりは、私が読み漁ってきたラノベの知識しかない。
ラノベの情報から抜粋すると、魔法を使うために必要な要素は3つに集約される。
『魔力』、『魔力回路』、 そして、『イメージ』だ。
しかし、そもそも『魔力』とは何なのだろうか。その定義は現代科学には存在しない。
ラノベの設定では、『異世界の魔法使いは、自分のお腹の中に魔力を生成する器官(魔力炉)を持っている』などとよく書かれている。
だが、現代の地球人である私にそんな未知の臓器があるはずもない。
ならば、魔力はどこにあるのか。
ダンジョンの中か、魔獣の肉体か。あるいはーー。
「……やはり、魔石かな」
そう結論付けた私は、まずは魔力という存在を肌で知るためにどうするかを考えた。
結論から言えば、『魔石を食べてみよう』という考えに至った。
もちろん、闇雲に口に入れるほど私は無鉄砲ではない。
スマホを使い、ネットの検索エンジンや探索者専用のコミュニティで、『魔石 毒性』『魔石 食べる』『魔石 舐める』といった言葉で徹底的に検索をかけた。
だが、そんな奇行に及んだ者のデータは一切ヒットしなかった。当然だろう。普通は換金アイテムとして協会に売るものだ。
「データがないなら、実際に自分で確認してみるしかないな」
重金属などの毒性反応の報告がない以上、微量を摂取する分には致命的なリスクは低はずだ。
私は洗浄したスライムの魔石を一個つまみ、思い切って口の中に入れて舐めてみた。
「……っ」
その瞬間、何かねっとりとした冷たい質感のものが口の中に広がり、粘膜から直接脳へと染み渡るような奇妙な感覚に襲われた。
それを少しだけ飲み込んでみた途端、猛烈な拒絶反応に襲われ、胃の腑から気分が悪くなってきた。
私は慌てて洗面所へ駆け込み、魔石を吐き出した。
「うぷっ……食べると死ぬな、これは。 舐めるだけにしておこう」
洗面台の鏡に映る自分の青い顔を見ながら、私はふと思った。これ、絶対に過去に同じことをやった奴がいるはずだ。
探索者がこれだけいれば、私のように『魔力を得るために魔石を口にする』という発想に至る人間が一人もいないわけがない。
いや、『何か起こらないか』という興味本位でも……
ネットに情報が一切上がっていないのは、おそらくこれを試した連中が、口にした後の凄まじい不快感と恥ずかしさから、『他人も同じ目に遭えばいい』とあえて沈黙を守っているからではないか。
あるいは、ネットの住人特有の意地悪な隠蔽体質によるものだろう。
人間、自分が無様に失敗したくだらない経験ほど、進んで他人に共有したくはないものだ。
「やれやれ、ネットの評判ほどあてにならないものは無いな」
しかし、あの『ねっとりとしたもの』の正体こそが、おそらく魔力そのものなのだろうという直感があった。
身体が未知のエネルギーに拒絶反応を起こしたのだ。ならば、これはアレルギーの減感療法と同じだ。
少しずつ身体に馴染ませていけばいい。
これ以降、私は自宅のみならず、ダンジョンの中へ入る時も含めて、常にスライムの魔石を飴玉のように口に入れて過ごすことにした。
もちろん、一筋縄ではいかない。
口に含んでしばらく経つと、頭の芯が痺れるような強烈な不快感が込み上げてくる。
気分が悪くなりそうになったら、すぐに魔石を口から出し、用意しておいたハンカチに包んで胸ポケットに収める。
そして、吐き気や目眩が治まったら、再度魔石を口の中に放り込む。
この地道で奇妙な反復を、私は移動中も、休息中も、戦闘中すらも、ただひたすらに繰り返した。
最初は1分が限界だったが、翌日には3分、その次は5分と、だんだん身体がその異物感に慣れていくのが自分でもはっきりと分かった。
*
そうして常に魔石を舐めて魔力に身体を慣らしつつ、私は日中、第二層での狩りを続けていた。
第二層での獲物は、角うさぎとイノシシモドキだ。
角うさぎの角は長くてかさばり、カバンの中ですぐに容量を圧迫してしまう。
そのため、私は魔石だけで済んでかさばらないイノシシモドキをメイン・ターゲットとして狩ることにした。
しかし、ただ楽に稼ぐだけでは自身のステップアップにならない。
私はあえて、角うさぎを犬笛で眠らせず、1対1のガチンコで倒す戦闘練習を日課に組み込むことにした。
口の端で魔石を転がし、冷たい不快感に耐えながら、私はサバイバルナイフを構える。
この際、町工場で作ってもらった『さすまた君』は使わない。
左手にポリカーボネート製の頑丈な小型盾を構え、右手にはサバイバルナイフ。
角うさぎの突進を盾でいなし、すれ違いざまに刃を振るう。
ただ切りつけるだけでは毛皮に阻まれるため、狙うのは一点。
飛び込んでくる相手の勢いを利用し、正確に首を突く練習を繰り返した。
1対1に慣れてくると、今度は1対多の状況を想定した練習へと移行した。
複数体に同時に狙われると流石に肝が冷えるが、冷静に観察すると彼らの行動パターンが見えてくる。
角うさぎは確かにこちらに狙いを定めて直線的に飛び込んでくるが、こちらの動く先を予測して回り込んでくるわけではない。
「なるほど。1対多であっても、足を止めずに動き続ければいいわけか」
直径3〜5mほどの円を描くようにステップを踏ながら移動し続ける。
そうすることで、常に後方の敵の進路からそれつつ、前方の敵を視界に捉え、正面の角うさぎを一体ずつ処理できることに気づいた。
現役時代に状況を客観的に分析していた習慣は、そのままここでの強みになった。
どこにいても魔石を舐めて内なる感覚を研ぎ澄まし、ダンジョンでは肉体を躍動させて実戦の勘を養う。
そんなストイックな二重生活を、私は淡々と2週間ほど続けた。
その努力が、驚くべき形で実を結ぶ瞬間は、もうすぐそこまで迫っていた。
(つづく)




