第8話:スライムおじさん? 廃業?
2026年6月
いつものように、おじさんは『鶴見ダンジョン』の上にある協会の支部へと向かった。
上はウィンドブレーカーで、下はカーゴパンツ、リュックサックには、ブレーカーパンツなどの防護服、カモフラージュ用の折りたたみ傘。
そして厳重に包んだ大量の魔石が入っている。
協会のロビーを、周囲の若い探索者たちに混ざって歩いていると、背後から声が掛かった。
「あの、すみません」
知り合いなどいない身だ。
自分に向けられた言葉だとは思わず、おじさんはそのまま歩き続けた。
「ちょっと、そこのウィンドブレーカーのおじさま! すみません!」
再度、今度は明確に特徴を指定して呼び止められた。
周囲の視線を感じ、おじさんは自分ではないと思いつつも、ゆっくりと振り返った。
そこに立っていたのは、20代半ばとおぼしき女性だった。
ぱっちりとした大きな目が印象的な、とても綺麗な女性だ。
露出度の高いタイトな探索者風の服を着ているが、装備は新品のようで泥臭さが一切ない。
彼女はおじさんの顔を見るなり、ホッとしたように胸をなでおろした。
「あ、やっぱり! 失礼ですけど……『スライムおじさん』ですよね?」
(スライムおじさん?)
あまりに聞き覚えのない単語に、おじさんは言葉を詰まらせた。何かの勧誘だろうか。
長年、組織で生きてきた経験から、この手の不審なアプローチには警戒心が働く。
「……何かの勧誘ですか? おじさんは急ぎますので」
怪訝そうな顔をする彼女を置いて、おじさんはすぐに窓口へと向かった。
「えっ、待ってください! 違います! いつも沢山スライムの魔石を協会に持ってきてるおじさんですよね!?」
その言葉に、おじさんはどきっとした。
(あれ? なぜバレているんだ? バレないように工作したのに……)
おじさんは完璧に隠蔽工作を行っていたはずだった。
鶴見、川崎、横浜第三と、曜日ごとにダンジョンも協会支部も変え、時間帯もずらしていた。
個人の特定など不可能なはずだ。
「良くわからないんですけど、急ぎますので、それでは」
おじさんは動揺を表に出さないよう、そのまま窓口へと急いだ。
窓口のトレイに、本日分のスライムの魔石を置する。対応してくれたのは、顔なじみの女性職員だ。
彼女はおじさんの後ろをチラリと見て、クスクスとからかうように笑った。
「スライムおじさん、モテモテですね」
「その、『スライムおじさん』って何ですか?」
思わず聞き返すと、窓口の女性は意外そうな顔をした。
「早坂さまの通り名ですよ。スライム狩りなんて、効率が悪くて誰も持続してやらないのに、日に何百個も持ってきていらっしゃるので、凄く目立つんですよ。
ダンジョンや時間帯を変えて納品されていても、職員や探索者の間で『また例のおじさんが出た』って噂になってますよ」
完全に目立っていた。
効率が悪いから誰もやらない。だからこそ、大量納品する人間がおじさん一人しかおらず、どんなに場所を変えてもすぐにおじさんだと繋がってしまっていたのだ。
買い取りの手続きを終えて帰ろうとすると、先ほどの女性がまた近づいてきた。
「お願いです、スライムの取り方を教えてください!」
周囲の視線が一斉におじさんたちに集まる。
冴えない60歳間近のおじさんと、綺麗な女性の組み合わせだ。
これ以上ここで目立つわけにはいかない。
「……分かりました。あそこの喫茶スペースで話を聞きますから」
おじさんはため息をつき、彼女を促した。
席に着くと、まわりの探索者たちも聞き耳を立てている様子だった。
まあ、この組み合わせは気になるだろう。
「私、佐藤遥って言います」
名刺を出されたが、思った通り25歳、現役のグラビアアイドルらしい。
よく少年雑誌の表紙などで水着姿を見ていた記憶がある。
だが、お年のせいで最近は仕事が少なく、元手が不要な探索者で食べていこうと思っている模様だった。
無理でしょう、と内心で思う。
彼女の話を聞くと、スライムは儲からないので最初はスキップしたらしい。
しかし、角うさぎやイノシシモドキが怖くて全く狩れず、それでスライムを沢山狩れる方法を教えてほしいとのことだった。
じゃあ、探索者を辞めればいいのでは、と思ったが、彼女は泣きそうな顔になった。
「ネットで調べたら、『ひたすら核を狙え』『初心者はおとなしく数をこなせ』って書いてあったよ。
なので、地面を探して、スライムを見つけたらダッシュ! で、トンカチで叩く!
これをひたすら繰り返す! 他に簡単な方法があればおじさんも知りたいですう〜」
本当に泣き出しそうな顔だった。泣いても知らんがな、と思いつつも、おじさんは言った。
「スライムの酸でお顔とか、お肌とか怪我したら大変ですから、探索者はやめた方が良いですよ」
それだけアドバイスをして、おじさんは席を立ち、彼女と別れた。
協会を出て、駅への道を歩きながら、おじさんは深く息を吐き出した。
何か、もうバレバレなんで、そろそろスライム狩りも終わりか。
静かに隠居生活の足しにするはずが、これ以上目立つのはリスクでしかない。
おじさんはスマホを取り出し、日々の収支と討伐数を管理している表計算のファイルを開いた。
確かそろそろ、討伐数が10,000個くらいだったかな、とデータを確認する。
【通算スライム討伐数:9,997】
あと3体で、ちょうど10,000体だ。
キリが良いので、そこまではやるとしよう。
まさかその『10,000万』という数字が、この後におじさんの探索者人生を大きく変えることになるとは、この時のおじさんはまだ知る由もなかった。
(つづく)




