第55話:探索者協会の窓口で(前編)
2027年2月
1週間におよぶ第四層および第五層への遠征を終えたおじさんは、横浜市鶴見区の自宅マンションへ戻っていた。
2、3日の間、泥のように眠って心身を完全に休養させていた。
適宜休憩を取ってはいたが、還暦の身体には、さすがに知性を持つ亜人種との初めての戦闘はきつかったらしく、それなりの疲労をもたらしていた。
十分な睡眠から覚め、手足に軽さを取り戻した。
おじさんは今回の遠征で得た最大の成果物を換金するために行動を開始した。
大量の『魔石』を換金するためである。
今回の成果は、事前にインベントリーの目録機能で算出したデータによると、以下の通りである。
*ジャイアントトードの魔石:4,500円 × 50個 = 225,000円
*ゴブリンソルジャーの魔石:7,500円 × 45個 = 337,500円
*ゴブリンアーチャーの魔石:6,000円 × 30個 = 180,000円
*ホブゴブリンの魔石:9,500円 × 15個 = 142,500円
総額:885,000円(手取りベースでも約71万円)
この莫大な量の魔石を一気に一つの窓口へ出せば、確実に周囲の目を引いて騒ぎになる。おじさんは、カモフラージュしながら小出しに換金することに決めていた。
この総量を3等分し、横浜第一、第二、第三ダンジョンの各支部に振り分けるつもりだ。
まずは、自宅から最もアクセスが良い、近所の『横浜第三ダンジョン』の探索者協会支部へと向かった。
いつものように散歩がてらの私服で重厚な協会の建物に入ると、ロビーの奥にある窓口群を見渡した。
案の定、特定の窓口だけが完全に空いている。
いや、誰一人として並んでいない。
そこは、常に氷のような冷徹さを崩さない、クール・ビューティー系の若い女性職員が座る窓口だった。
彼女のあまりの不愛想さに、一攫千金を夢見る若い探索者たちからは不人気極まりない場所なのだ。
しかし、協会の人間に余計なプライベートに踏み込まれたくないおじさんにとっては好都合だった。
ただ事務的なやり取りだけを好むおじさんにとっては、これ以上ないほど居心地の良い優良な窓口である。そのため、いつもここを愛用していた。
おじさんは足早にその不人気窓口へ進み、いつも通り淡々と声をかけた。
「失礼します。魔石の換金をお願いします」
すると、女性職員は老眼鏡をかけたおじさんをじっと見つめ、感情の読めない声で答えた。
「少々お待ちください」
彼女は手際よく窓口の前に『準備中』の札を立てた。
平日の昼前にしては妙な対応である。
おじさんが、そう思っていると、彼女は席を立ち、わざわざ窓口の防犯ガラスの向こう側からこちらへと回り込んできた。
(おや、なんだ。いつもと流れが違うな)
そして、流れるような所作でロビーの奥を指差した。
「早坂さま、こちらへどうぞ」
その丁寧すぎる案内に、おじさんの脳内で警戒警報が鳴り響いた。
長年、組織の力学を見てきた経験がある。
こうした変則的な手順の先にはろくなことがないと知っていた。
おじさんは足を止め、はっきりと拒絶の意志を伝えた。
「あの、また、どこぞのなんたら支部長のような権力者が奥で待ち構えていて、私に無理難題をふっかける。そんな取引でしたら、私は静かに帰りますよ」
おじさんの言葉に、女性職員は表情を一切変えず、静かに首を振った。
「ご安心ください。わたくし以外は対応いたしません。お話しするのも、わたくし一人です」
「……」
彼女の真摯な眼差しに圧され、おじさんは仕方なく、促されるままについて行くことにした。
通されたのは、一般の探索者には開放されていない、防音性の高そうな個室の専用窓口室だった。
彼女は重いドアを閉めると、おじさんに向き直って深く一礼した。
「早坂さま。まずは無事のご帰還、何よりでございます。長期にわたるダンジョン探索、本当にお疲れ様でした」
大人のポーカーフェイスを崩さないよう、おじさんは眉一つ動かさずに聞き返した。
「何のことでしょうか?
私はただの初心者探索者ですが」
とぼけるおじさんに対し、彼女は机の上の端末を軽く操作しながら、冷徹な事実を提示してきた。
「1週間近い、遠征のことでございます。
早坂さま、現代の管理システムにおいて、登録された探索者がどこのダンジョンへ何時に入行し、何時に出行したか。
そして、どこの窓口や外部の買い取り業者で、何の魔石をいくつ換金したかというデータは、すべて中央のデータベースで一元管理されています」
彼女の淡々とした説明は、ぐうの音も出ないほどシステム的に正確だった。
「早坂さまのように、第一層の1万個を超えるスライムの魔石を換金されたり、第二層の数千個を超える角うさぎの『角』だけを各支部に分散して持ち込んだり。さらにはランクに全く不相応な第四層のGトードの魔石を数十個も一度に換金されれば、中央のシステム側で異常値として検知され、非常に目立ちます」
彼女はそこで言葉を区切り、ほんの少しだけ困ったような視線をおじさんに向けた。
「また、データだけでなく、現場の探索者や職員の間でも、早坂さまは『スライムおじさん』、『うさぎおじさん』あるいは『ダンジョン居住者』などの異名で噂が回っており、すでに隠蔽しきれないほど有名になられています。
何より、つい先日川崎ダンジョンに入行されてから、1週間以上も出行の記録がつかないため、最悪の事故を想定して関係者はみな深く心配していた状況だったのです」
「……」
もはや、これ以上表情を維持するのは不可能だった。システムを構築する側の意図を完全に失念していた。
表面的なカモフラージュだけで満足していた自分の甘さに、おじさんは内心で恥ずかしさが止まらなかった。
(元技術屋の私が、データーの一元管理という基本中の基本を失念していたとは。これは大失態だな)
「ご心配をかけて、本当にすみませんでした。ちょっと、第五層の巨大空洞まで遠征していました」
おじさんは、すごすごと白旗を上げ、全面降伏の体で事実を話した。
「はい、おそらくはそのようなことではないかと推測しておりました。
ですので、第五層の亜人種の魔石を、大勢の若い探索者が見ている一般の窓口でじゃらじゃらとトレイに出されるのは防犯上いかがなものかと思い、事前にこちらの個室へお通しした次第です」
「重ね重ね、臨機応変なご対応、ありがとうございます」
気がつけば、おじさんは平謝りしていた。
別にダンジョンの規約に違反するような悪いことをしているわけではない。
しかし、監査に引っかかった管理職のような気分である。システムで完全に捕捉されていては小出しにする意味もない。
おじさんは観念し、リュックサックから出すフリをしながら、インベントリーから取り出した今回の遠征のすべての成果をトレイの上へ置いて行った。
ジャラジャラと、高品質な結晶特有の高い金属音が、室内に響き渡る。
女性職員は、トレイの上に山盛りになった青や緑、黄色の輝きを前にしても、ピクリとも眉を動かさなかった。
極めて事務的に、しかし驚異的な速度で自動計数機に投入して査定を完了させた。
「確認いたしました。ジャイアントトードの魔石が50個、ゴブリンソルジャーの魔石が45個、ゴブリンアーチャーの魔石が30個、ホブゴブリンの魔石が15個。
以上、間違いありませんね。
しめて、885,000円になります。
ここから源泉徴収税の20%を差し引いた、差引支給額は708,000円です。
いつものように、ご登録の口座への銀行振り込みでよろしいでしょうか?」
「はい、銀行振り込みでお願いします」
これでようやく解放される。
おじさんは席を立ちかけながら、今回の想定外の事態に内心でニヤニヤするのだった。
(つづく)




