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第5話:ステップ2 第二層草原エリア あんなの無理

2026年6月


「利益が出る出ないの前に、まず安全確保。これが鉄則だったな。元企業人として情けない……」


自宅のリビングで、おじさんは新調した『耐酸性タクティカルグローブ』をはめながら、深く反省していた。


初日に手の甲に負ったやけどが、安全管理の甘さを物語っていた。


おじさんはすぐにホームセンターやスポーツ用品店を回り、最低限必要な装備を揃えた。


視野を広く確保できるポリカーボネート製の大きめのゴーグル。


スライムの飛沫が頭髪に付着するのを防ぐ撥水性のある目出し帽。


頭部を守る自転車用の軽量ヘルメット。上はシャツにウィンドブレーカー(ポリエステル製)、下はブレーカーパンツ(ポリエステル製)。


そして足元は踏み抜き防止材の入った作業用安全ブーツだ。


機能性を最優先した結果、そのまま街を歩くには少し奇妙な格好になってしまった。


(こんな装備、協会の更衣室で着替えたら『スライム相手にそこまでやるか』と笑われるか、余計な注目を浴びるな……)


そう判断したおじさんは、自宅からは普通のポロシャツとチノパンという、ごく一般的な『散歩へ出かけるおじさん』の私服でダンジョンへ向かうことにした。


防護装備は大きめのリュックに詰めておき、誰もいない第一層の薄暗い通路に入ったとこで、手早く着替えることにした。


こうしてさらに1ヶ月、徹底的な安全管理のもとでスライムを狩り続けた。


トラブルもなく毎日数百個の魔石を淡々と納品し、通帳の数字が増えていくと、どこか『次の段階へ進みたい』という向上心が芽生え始める。


(スライムの処理手順は完全に安定した。そろそろ、次の階層を考えてみるか)


ターゲットは第二層だ。


おじさんは自宅のパソコンを開き、ネットの探索者掲示板を徹底的に調べた。


【第二層:草原エリア】

*環境: 何時に進入しても常に快晴。曇りも雨もなく、常に心地よい春の気候。


*第二層草原エリアは果てがない?

 ・10時間歩いても端にたどり着けない。

 ・ループして、戻ってくることもない。

 ・北に1時間進んで、南に1時間進めば戻れるが、適当に進んで地平線の彼方に進むと帰ってこれなくなる。

 ・コンパスと時計が必須(機械式のみ、電子製品は使えない)

 ・どういうわけか、南側はあまり人気がなく、探索者はみな北側に集中しているみたいだ?


* 出現魔獣: 『角うさぎ』と『イノシシモドキ』の二種類。


環境は快適そうだが、魔獣のデータを見ておじさんは顔をしかめた。


イノシシモドキは体長50cmほどの小型の猪だが、その突進の威力は大の大人でも骨折しかねず、噛みつかれれば手足がもげる危険がある。


もう一方の角うさぎは、体長30cmほどだが、額にユニコーンのような15cmもの鋭い角が生えている。


(……刺されたら死ぬ場合がある、か。手足でも最悪、切断を迫られる……。スライムとは危険度が段違いだな)


掲示板によれば、角うさぎはジャンプして角を突き立ててくるが、タイミングを合わせれば避けるのは比較的簡単らしい。


ただし、それは「1対1」の場合だ。

囲まれたり、背後から刺されたらおしまいである。


基本は、透明なポリカーボネート製の盾などで突進をいなし、体勢を崩したところをハンマーの一撃で仕留めるのが定石とされていた。


(いろいろと準備をしないとダメそうだな。

まずは、手頃そうな角うさぎに的を絞って対策を練るか)


「その前に、コンパスと腕時計の購入だな」


翌日、私おじさんは横浜駅前の時計店へと足を運んだ。


電子式の時計が動かない以上、ゼンマイで動く純粋な機械式の腕時計が必要だ。


店頭のショーケースを眺め、国産の頑丈な防水自動巻きスポーツモデルで、なるべく軽量なものを選択した。


次に、スポーツ用品店で登山用のコンパスを購入した。


     *


ある日のスライム狩りの帰り際、下見のために第二層へと続く階段を降りてみた。


目の前に広がっていたのは、ダンジョンの地下とは思えない、どこまでも続く美しい緑の草原だった。


天井からは太陽のような光が降り注ぎ、確かにポカポカとした春の陽気だ。


少し歩くと、前方の草むらで若い探索者が角うさぎと交戦しているのが見えた。


「ハッ!」


若い探索者は、猛スピードで空中を迫る角うさぎの突進を、紙一重のステップで華麗にかわした。


すれ違いざま、手にしたナイフが一閃し、角うさぎを鮮やかに仕留める。

それを見たおじさんは、無言で踵を返した。


(無理だ。あんな動体視力とステップ、59歳のおじさんにあるわけないだろ。

あんな風によけられなかったら、今俺のお腹には穴が空いてるぞ……。撤退、撤退!)


ラノベの主人公のような天才的な身のこなしなど、現実には起こらない。


おじさんはすごすごと現代社会へ帰還し、自宅のリビングで深刻な顔をして頭を抱えた。


(あのスピードに対抗するには、こちらの俊敏性を上げるんじゃない。相手を眠らせるか、動きを極端に遅くしないと厳しい)


まず思いついたのは、睡眠薬を混ぜた『だんご』をばら撒く作戦だ。


だが、調べると角うさぎは純粋な草食であり、加工した餌には見向きもしないことが分かり即座に却下。


次に思いついたのは、音で動物をコントロールする作戦だった。特定の音ーー周波数を流して、動きを鈍らせたり、眠くさせたりできないか?


しかし、ダンジョンじゃ電子機器は動かない。

電動水鉄砲の失敗が頭をよぎる。電気に頼る方法は不可能だ。


(電気を使わずに、アナログで、かつ広範囲の周波数を可変できる音響器具なんてものが……あるか?)


おじさんはパソコンを開き、様々なキーワードを打ち込んでいく。


長年培った、原因調査や問題の改善は得意分野だ。そしてペット用品と害獣対策のページに行き当たった。


「……これだ」


画面に映っていたのは、金属製の小さな『犬笛』だった。


犬笛は、筒の長さをネジで調整することで、人間に聞こえる可聴領域から、人間には全く聞こえない高周波まで、アナログかつ無段階に音の周波数を変化させることができる道具だ。


(これなら純粋な空気の振動だから、電子機器不可のダンジョンでも確実に鳴る!特定の周波数で強烈な拒絶反応を起こしたり、逆にリラックスして眠くなったりするかを調べるには十分なはずだ)


おじさんの頭脳が、再び攻略の糸口を掴んだ。

さらに、もし『大量に集まってくる周波数』を見つけることができれば、1箇所におびき寄せて確実に処理することも可能になる。


「よし、さっそく実験だ」


おじさんはすぐさまネットで犬笛を注文した。


電子の利器が封じられた世界で、おじさんはアナログな笛を手に、第二層の草原で安全に稼ぐための準備を始めるのだった。

(つづく)

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