第33話:水源確保作戦
2026年11月
薄暗い下り階段を降りきると、そこは剥き出しの不気味な岩肌が続く第三層の洞窟エリアだった。
掲示板の情報通り、空気の質が明らかに変わっている。
ここからは第一層や第二層の穏やかな環境とは異なる。
大コウモリや毒蜘蛛、ジャイアントラットといった、『素早く』『毒』などの状態異常を仕掛けてくる小動物系の魔獣が主戦力となるエリアだ。
通路の奥からは、無数の羽ばたき音や、硬い節足が岩を擦る不快な音が微かにエコーしてくる。
下手に立ち止まれば、暗闇から一斉に群れで襲いかかられる危険性があった。
しかし、おじさんは右手に携えたエアーライフルを構えることはしなかった。
「1匹ずつ狙撃していては、弾丸の在庫がいくらあっても足りん。……ここは、予定通りの『犬笛による不快音作戦』で行くか」
おじさんは左手にポリカーボネート製の盾を保持したまま、口元に犬笛をくわえた。
地球の野生動物や害虫が特定の高周波を嫌うように、このダンジョンの魔獣たちにも、固有の『不快と感じる波長』があるはずだ。
おじさんは歩みを止めず、犬笛のネジをカチカチと細かく回して波長を調整しながら、静かに、しかし断続的に空気を吹き込んでいった。
ネジ位置、3回転半。
周波数は高い。
人間には完全な無音だ。
『ピーーー……』
その瞬間、前方の暗闇で劇的な変化が起きた。
天井にびっしりと張り付いていた大コウモリたちが、まるで強烈な超音波でも浴びたかのように激しく身悶えした。
そして、方向感覚を失って壁に激突しながら一斉に奥へと逃げ惑い始めたのだ。
通路の隙間から這い出ようとしていた毒蜘蛛たちも、一様に足を縮めて岩の亀裂へと逃げ戻っていく。
「ビンゴだ。音響工学の基本だな。音による害獣駆除がこれほど綺麗にハマるとは」
おじさんは内心でニヤニヤとしながら、一定の周期で犬笛を吹き鳴らし、悠然と通路を進んで行った。
魔獣たちはおじさんの姿を見るや否や、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
結局、一度も引き金を引くことなく、汗ひとつかかずに最短ルートで第三層を走破。
おじさんはそのまま、第四層へと続く冷たい階段を駆け降りた。
*
第四層鍾乳洞エリア。
階段を降りきった瞬間、ウィンドブレーカーの表面にひんやりとした湿気がまとわりついた。
天井からは冷たい水滴が絶え間なく滴り、足元は濡れた粘土質の土と水溜まりで非常に滑りやすくなっている。
壁面に群生する光り苔も、水分を含んでどこか妖しく青白い光を放っていた。
目標は、体表から清水を滲み出させるという『Wスライム』の生け捕りだ。
周囲の環境音に耳を澄ませながら、安全ブーツの踏み出しに細心の注意を払い、おじさんは奥へと進む。
しばらく行くと、前方に幅広の地下河川のような、巨大な水溜まりが行く手を阻んだ。
その向こう岸、およそ20m先の岩場に、のっそりと佇む巨大な影が見えた。
体長1mを超える巨大な蛙ーー『ジャイアントトード』だ。
今後は長いので『Gトード』と略す。
不用意に近づけば、あの強靭な舌で絡め取られ、丸呑みにされる危険がある。
ここがエアーライフルの有効射程の限界線だ。
16g、5.6MPa炭酸ガスカートリッジを取り付け、2.5cm弾を薬室に装填した。
おじさんは物陰に身を隠し、静かにエアーライフルを構えた。
スコープの保護キャップを外し、レンズの十字線を巨大な蛙へと合わせる。
「距離20m。鍾乳洞特有の高湿度による空気抵抗と、弾丸の自重による落下量を計算して……よし、照準補正、3目盛り上だ」
ふぅ、と細く息を吐き出し、十字線の中心を敵の眉間へと完全に固定した。
手元から魔力を流し、仕切りのアルミ板を一瞬で昇華させる。
『パスン、ドン』
硬く静かな破裂音と共に、2.5cmの球体が、目にも留らぬ速度で湿った空気を切り裂いた。
弾丸は寸分の狂いもなく放物線の終着点を捉え、Gトードの脳天を正確に弾いた。
『ピギャッ……!』
短い悲鳴を上げ、巨大な蛙の身体が激しく痙攣する。
直後、魔獣は光の粒子となって霧散し、濡れた岩の上には一回り大きな、青く輝く魔石だけがポツンと残された。
「スコープの補正はデータ通りだ」
「だけど、仕切りのアルミ板を一瞬で昇華させる、相転移トリガーがしっくりこないな。改良したいところだ」
おじさんは胸の内で深い快感を噛み締めながら、安全を確認して水溜まりを回り込み、その魔石を拾い上げて胸ポケットへと収めた。
第一層のスライムとは明らかに違う、第四層の高品質な魔石だ。
そこからさらに、水の流れる音を頼りに鍾乳洞の奥へと潜行した。
薄暗い水辺の淀みに、目的の存在はいた。
体長40cmほど。
半透明の美しい淡青色をした球体。
それが、周囲に飛沫を撒き散らす一般種とは異なり、体表から常に清らかな水をじわじわと滲み出させている『Wスライム』だった。
酸を出さないからこそ、純粋な水源として利用できる。
まさに我が地下工房の水道局にふさわしい。
「さて、こいつをどうやって安全に、生きたまま持ち帰るかだが……」
(……よく考えたら、用意してきた現代地球のプラスチック容器では、スライムに分解されて逃げ出してしまう可能性があるな。
そこで私は、足元の湿った粘土質の土に目をつけた)
地面に両手を突き、おじさんは体内の魔力を指先から送り込む。
錬金術ーー発動。
脳内で、Wスライムがすっぽりと収まるサイズの、蓋付きの頑丈な『壺』の形をイメージする。
土の粒子を大雑把に移動させて形を作り、さらに内面と蓋の噛み合わせ部分だけを、隙間なく密着させる『レベル3』の強固な岩石状態へと結晶化させた。
ダンジョン由来の物質で出来たこの特製壺なら、Wスライムが分解して逃げ出すこともできないだろう。
おじさんは素早く壺を水辺に沈め、Wスライムを周囲の清水ごと、その中へそっと滑り込ませた。
すかさず結晶化された重い蓋を閉め、完全に密閉する。
「よし、まずは1匹確保だ。重量と帰路の体力を考えれば、欲張らずにこれだけで撤退するのが正解だな」
おじさんは本来背負っていたリュックサックをあえて身体の前に回し、チェストストラップをきつく締めて前側に抱えるように固定した。
Wスライムの入った重い壺は、持ってきた頑丈なロープを使い、背中にくくりつける。
(……こうして前後の重量バランスを均等に保つことで、足場の悪い鍾乳洞でも体幹がブレず、転倒のリスクを最小限に抑えられるのだ)
「撤収だ。安全第一で戻るとしよう」
復路も第三層の通路で犬笛を一定周期で鳴らし、魔獣たちを遠ざけながら、おじさんは確実な足取りで上層へと登っていった。
背中の壺からは、ちゃぷちゃぷと心地よい清水の揺れる音が、静かに響いていた。
(つづく)




