第19話:魔法発動編5 確認、そして一つの仮説
2026年9月
近くのスーパーでの買い出しを終え、マンションの我が家へと戻ってきた。
一時は、会社を辞めて収入が途絶えたことで、電気代を気にしてエアコンを消したり、食費を切り詰めたりと陰気な生活を送っていたものだ。
しかし、ダンジョンで稼ぎを得てからは、そうした細かい節約を気にする必要もなくなった。
リビングを適温に冷やし、さっそく晩ご飯の準備に取りかかる。
おじさんは食事に対して、それほど強いこだわりは持っていない。
不味いものや口に合わないものは勘弁だが、そうでなければ、例えば半年間ずっと同じ鍋料理が続いたとしても全く苦にならない性質だ。
ただし、魚や貝類などのシーフード系だけは昔から苦手で、自分から進んで食べることはない。
今夜のメニューは、手軽に作れる肉と野菜の炒め物だ。肉は多めにする。
フライパンで豚肉とキャベツを淡々と炒め、中華風の調味料で味を調える。
炊きたての玄米と一緒にリビングのテーブルへ運び、テレビは適当なチャンネルを流して、1人飯を開始した。
朝からの猛烈な空腹も手伝って、大雑把な炒め物がやけに美味く感じられた。
しっかりと胃袋に燃料を補給し、人心地がついたところで、いよいよ昨日の確認を開始する。
おじさんはリュックサックの中から、昨日第二層の岩陰で作り出した、あの土団子を取り出して机の上に置いた。
「……やはり、どう見ても異常だな」
蛍光灯の明かりの下で、おじさんは机の上の土団子をじっと見つめた。
引き出しからノギスと工業用の精密ルーペを取り出す。
ルーペを右目に固定し、レンズ越しに拡大観察してみたが、肉眼の延長では全く分からない。
昔の職場にあったEPMA(電子プローブマイクロアナライザー)による定性分析や、TEM(透過型電子顕微鏡)による微細構造の観察をしてみたいところだ。
さらにXRD(X線回折装置)による結晶構造の解析や、結合状態の同定ならXPS(X線光電子分光分析)も外せない。
在職中なら、装置が空いている時に、少しこれを使わせてくれと自分で分析したかもしれない。
しかし、個人で分析機関に依頼するとなると、金がいくらあっても足りないのでお預けだ。
(……やれやれ、仕方が無いな)
それに、万が一分析結果が現代科学が網羅していない未知の物質であった場合、協会を巻き込んだ大騒ぎになる。
隠居の身としては藪蛇でしかない。
ルーペでは埒が明かなかったが、測定した土団子の大きさは、直径4.0cmであった。
手ですくった黒土の重量から、土の粒子間の隙間が完全にゼロになった場合の体積を割り出す。
そこから球体の直径の理論値をざっくりと計算してみる。
その結果、理論値の数値は5.4cmであった。
「計算が合わない。理論値の75%近くに圧縮されている……」
これは、ただ物理的に圧縮されただけではない。
一部の結合状態や、元素そのものの組成すらも変わっている可能性があった。
これは、ただ地面の土を動かして集めたというレベルの現象ではない。
物質の結合や原子の配列に、目に見えないエネルギーが直接干渉し、強制的に結合を組み替えて固定したとしか考えられなかった。
(……待てよ。これ、本当に土魔法なのか?)
ラノベの知識を脳内でひっくり返す。
一般的な定義における土魔法とは、いわゆる4大元素の召喚魔法に近い。
世界のどこか、あるいは別の領域から土そのものを呼び出して操る技術だ。
火魔法ならともかく、水魔法や土魔法なら、その場にあるものを使う場合もあるだろうか。
だが、おじさんが昨日体験したのは全く異なる手順であった。
おじさんは地面の土をすくい、魔力が触れた瞬間に、その土の正確な成分、水分量、結合の構成データをダイレクトに脳内へ流し込まれた。
物理的に土を呼び出したのではない。
最初からそこにあった土に含まれる無機物の分子や有機物の粒子に、魔力を介して直接干渉していたのだ。
対象の物質を理解し、分解し、任意の形へ再構築する。
それはおじさんが第1希望として掲げていた、あの能力の定義そのものであった。
「土魔法を発動したつもりになっていたが……実はこれ、最初から錬金術を発動していたんじゃないか?」
突拍子もない仮説だったが、観察結果と計算値が、その結論を肯定していた。
(……ふむ、気づくのが大分先にならなくて良かったな)
そう考えると、あの凄まじい燃費の悪さにも合点がいく。
たかだか200gの土を丸めただけで、私の魔力総量のほぼ全てが消し飛んだ理由が分かった。
分子間の結合エネルギーや物質の組成そのものに直接干渉するという、とてつもなく高度な内容だったからだ。
(……なるほど、面白い。実に面白いじゃないか)
おじさんは机の上の美しい真球を見つめながら、ニヤニヤが止まらなかった。
もしこの仮説が正しいのなら、この魔法の可能性は、単に土の壁を作る程度のものでは終わらない。
原子と分子の構造さえ鮮明にイメージできれば、この世のあらゆる物質を文字通り作り変えることができるはずだ。
しかし、そのためには圧倒的に魔力量が足りないし、出力の調整もまだまだだ。
おじさんはまだ、魔法という新しい世界の扉をようやく開いたに過ぎない。
「よし……明日からの特訓のメニューが決まったな」
おじさんは残った野菜ジュースを飲み干し、次なる実験計画をノートに書き留めるのであった。
(つづく)




