差し出せるもの
厳史朗さんとの約束から一時間が経過した頃、俺は佐々木家の前へ来ていた。
建物の大きさは三階建ての一軒家ぐらい。
庭も付いており、それなりに金持ちである事が伺える。
二回深呼吸してインターホンを鳴らす。
するとすぐに『はい、佐々木です』という返事があった。
「あの、俺、未来さんの……恋人の春日野って言います。未来さんは居ますか?」
一瞬、友達です、と言おうとしたが恋人と名乗る事にした。
その理由はそう名乗った方が相手も気軽に対応してくれると思ったからだ。
『お嬢様の恋人!?』
驚愕の声が聞こえたかと思ったら、直ぐ様玄関の扉が開き、そこから小太りの中年女性が出てきた。
彼女はこちらへ駆けて来ると、即座に門を開けた。
そして目を輝かせながら俺の全身を見て「あらあら!」「まあまあ!」と連呼する。
「あの……あなたは?」
「あらあらまあまあ……っ!これは失礼しました。わたくし、佐々木家のメイドをしております久保田まりえと言います。気軽にマリーとお呼び下さい」
そう言ってマリーさんはスカートの両端を摘まんで軽く頭を下げた。
「は、はあ……それで、未来さんは居ますか?」
「申し訳ございません。未来お嬢様は現在外出中でお宅には……」
――もしかしてあれからずっと帰っていないのか?もしそうなら一体どこに……
佐々木が泣きながら去っていった光景を思い出しながら行き先を考える。
しかし付き合いの短い俺に分かるわけもない。
なので意味深な言葉を付け加えつつマリーさんに訊ねる事にする。
「どこへ行ったかとかは分かりますか?離れる際、彼女が気になる事を行っていたので心配で来たのですが……」
「気になる事ですか?」
「はい、お父様が亡くなった……そんな事を言っていました」
俺がそう言うと、マリーさんは深刻な表情を浮かべた。
「そうですか……お嬢様がそんな事を……」
「もしかして本当に亡くなって――」
「いえ、それはありません。今は辛うじて、の話ではございますが」
――この言い方……まさか危険な状態という事だろうか?例えば危篤状態とか……もしそうなら仲直りどころの話じゃなくなるのだが……
「ここだけの話ですが、実は旦那様は今朝から意識不明の重体で、もしかしたら……という状態なのです。だからお嬢様は現在近くの大学病院へ行って――」
「ありがとうございます!!」
行き先が分かった瞬間、俺は駆け出す。
目的地は勿論近くの大学病院だ。
その途中、俺はとある事をする――
病院の受け付けに到着するや、俺は佐々木明史氏の病室がどこにあるかを訊ねた。
受け付け嬢は、最初怪訝そうな顔をしながら言おうか迷っていたが、俺が「明史氏の隠し子だ」と言ったらすぐに通してくれた。
俺が受け付け嬢の頭を心配したのは言うまでもない。
それからすぐに病室前に着いた。
だが俺はその扉を開ける事が出来ずに立ち尽くしていた。
それは扉に手を掛けようとしたら中から女性の悲鳴に似た泣き声が聞こえてきて、最悪な展開――佐々木明史の死を想像してしまったからだ。
――どうする?開けるか?いや、でももし佐々木明史が死んでしまっていたらどうするんだよ?俺、明らかに場違いだろ……
思考を巡らせていると、ガラッと扉が開き、佐々木未来が姿を現した。
彼女は俺に気付くと、驚いたようにギョッとしたが、すぐにこちらを睨み付ける。
「何しに来たんですか……?」
「話をしに来た。とても、とても大事な話だ。聞かないときっと後悔すると思う」
「…………」
考えるためか、ゆっくりと目を閉じる佐々木。
その数秒後に目を開けると「それはあたしだけですか?それともあたし達家族に対して?」と訊ねる。
詳しく言えば未来、お前と明史氏にだけだが他の人も聞いた方が個人的には助かる」
「そう……じゃあ入ってください」
身を翻してそう言うと、佐々木は病室の奥へ進んだ。
俺もその後に続き、明史氏と思われる男性が仰向けになっているベッドの傍らへ行くと、まずその奥さんらしき女性に会釈し、男性を見る。
――まだ生きてはいるようだな。でも……
男性の憔悴しきった顔を見て、もう長くはないと悟る。
「……君は……誰だい……?」
「僕は……春日野秋好と申します」
その短い自己紹介を聞いて機嫌を損ねたのか、男性の眉間に僅かに溝が出来た。
「そうか……君が……春日野君かい……わたしは……佐々木明史という……」
「知ってます……佐々木さん、大事な話がありま――」
そこまで言ったところで――
「帰れ……聞く耳は……持っていない……」
拒絶されてしまった。
それならと思い、俺はなるべく真剣な顔でこう言う事にする。
「あなたのご家族のこれからに関わる話がある、と言ってもですか?」
「……それはどういう……」
怪訝の眼差しでこちらを見る明史氏。
そんな彼に俺は簡潔にこう告げる。
「単刀直入に言います。僕の父……鳳凰院厳史朗から仲直りの申し出があります。もししてくれるのならという事で、彼から差し出せるのはあなたのご家族の今後の生活の保証です」
「そうか……」
明史さんは考えるように視線を巡らせた後、目を閉じた。
そしてそのままの状態で言う。
「未来……吉乃……二人っきりで話がしたいから……出て行ってくれ……」
「分かりました」
そう返して即座に行動に移そうとする未来だが……
「私は嫌よ!!」
もう片方の吉乃さんが拒否した。
「二人っきりにしたら一体何をされるか分かったもんじゃないわ!!殺されるかもしれないじゃない!!」
回りがシーンとなる程の形相と声量でそう言う吉乃さん。
「……っ」
ここで俺はとある違和感を覚える。
具体的には言えないが、原因が吉乃さんである事は確かだ。
――何だ?何がおかしい……?いや、今はそんな事どうでも良いか。とにかく否定しないと!!
「そんな事は――」
「吉乃、わたしの言う事が聞けないのか?」
否定しようと口を開いた瞬間、明史氏が死ぬ間際とは思えないはっきりとした口調でそう言った。
そして吉乃さんを睨んでこう続ける。
「これは命令だ」
「…………っ!」
命令を受けた瞬間、悔しそうに下唇を噛む吉乃さん。
それからすぐに病室を出ていった。
未来もそれに続く。
「すまないね……彼女はわたしの妹で……かなり難しい性格なのだ……」
「いいえ、仕方のない事なので気にはしていません」
「そうか……それで、わたしの家族の生活の保証とは……一体どういう事かね……?」
「詳細を書面にしましたのでご確認ください」
俺は上着の内ポケットに折り畳んで入れてある紙を取り出し、それを広げて明史氏へ差し出す。
「持てますか?」
「……すまんが……わたしの眼前まで持って来てくれ……」
「分かりました」
その通りにする。
眼前に紙が来ると、無言で内容を読み始める明史氏。
――俺が厳史朗さんから聞かされた差し出せるものは三つ。一つ目は先程俺が言った通り、明史氏の家族の生活保証。内容としては、毎月一定の額を家族の口座に振り込んだり、これから家族に掛かるお金の全てをこちらで支払ったりするというもの。二つ目は俺が口にしなかったものになるが、明史氏の会社の面倒を見るというもの。そして最後の三つ目は――
「……馬鹿だ……あの人は……なんて馬鹿なんだ……再びマブダチに戻る権利って……何を考えているんだよ……」
――そう、これは厳史朗さんから差し出せるものというより、厳史朗さんの心からの願いという事になるのだが、そんな馬鹿げた内容のものだ。
「確かにそうかもしれません。ですがそれが鳳凰院厳史朗という男です。それは明史さん、大学時代からの知り合いであるあなたならよーく分かっているのでは?」
「そうだ……わたしは……よく分かっている……だから……」
そこまで言うと明史氏は目に涙を溜めながら口を閉じた。
もしかしたらこれ以上涙が出ないよう気持ちを落ち着かせようとしているのかもしれない。
「……だからこそ……憎いんだ……」
そう言う明史氏だが、俺には彼が本気で厳史朗さんを憎んでいるようには見えなかった。
だってそうだろう。
明らかに口元が綻んでいるのだから……
「でも……それは今更だ……私はもう長くない……先程吉乃の泣き声を……聞いただろう……あれは……もう一日ももたないと……医者に言われたからだ……それにあの人は多忙の身……今日中にここへ来れるとは思えない……」
――この言い方……明史氏は厳史朗さんと仲直りしたいと思っているのか?もしそうなのだとしたら……いや、でも違うと困るから訊いてみよう。
「もし今日中に来れたら僕の父と仲直りしてくれますか……?」
俺が訊ねると明史氏は微笑んだ。
まるでその光景を想像し、嬉しくなったかのような笑みだ。
けれどそれは一瞬の事ですぐに険しい表情になる。
「……あの日から……ずっとあの人を憎んでいた……娘を差し向けて……君を利用しようとする程に……でも……それももう疲れた……憎む気力はとうに失せている……だから……それも良いかもしれない……が……やはり不可能だ……」
「多忙だから今日中に来れるわけがない……そう言いたいのですね?」
「あぁ……あの人は仕事人間だ……それは……付き合いが長かったからこそ……分かる……」
ここで廊下が慌ただしくなり、凄まじい勢いで足音が近付いてくる。
それを聞くや俺は笑みを浮かべる。
「果たしてそうでしょうか?」
「何が言いたい……?」
「いいえ、ただ、確かにあの人は仕事人間かもしれない。けれどそれ以上に他者を愛する事が出来る人間だ、と思っただけですよ」
途中から足音と共に「ぅぉぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!」という雄叫びのような声も聞こえ始めた。
明史氏の耳にもその声が届いたらしい。
驚いた様子で口を半開きにする。
「おおおおおおおおっ!!ここかぁー!!」
そして足音と声が最接近したかと思ったら勢い良く扉が開く。
振り返ると、そこにはぜぇー、ぜぇー、と喉を鳴らしながら息を荒くする厳史朗さんの姿があった。
「ほらね?」
笑みを浮かべながら俺は言う。
すると明史氏は僅かに口角を上げた。
「ちょっと!患者さんの迷惑になるのでお静かに!」
女性の注意する声が聞こえた。
厳史朗さんは、その声の主に軽く頭を下げて「すまない!」と言うと中へ入ってくる。
俺は気を遣い、彼らを二人っきりにさせる事にした。
病室を出て扉を閉め、その扉を背にしたまま直立する。
――厳史朗さん、俺に出来る事はこれぐらいしかありません。だから……頑張ってくださいね!
そう思ったところで未来が戻って来た。
彼女は俺の右隣へ来ると、無言で俺の右手を握り、聞き耳を立てる。
どうやら二人の邪魔をするつもりはないらしい。
そして厳史朗さん達は会話を始め、俺と未来はそれを静かに聞き続けるのであった――




