03。そらのどこに
ぼくは深く悔いている。
桃川の「好き」がどのような種類の「好き」なのかという点について、はっきりさせればよかった。
ちゃんと確かめるべきだった。
ぼくも異性と交際した経験がまったくないわけじゃないし、いざ付き合うなったら決して不純じゃない異性交遊を楽しむことについてはやぶさかでない。
そのあたりはまったく問題ない。
と思う。
おそらく。
ただ、ぼくは身近な異性と交際したことがない。
この場合、身近というのはようするに、クラスで仲のいいグループの一員、部活動の仲間、といったような相手のことを指す。
身近な異性に、面識のない異性を紹介されて、とくに異存があるわけでもなし、じゃあそれでは、と付き合ってみたことはある。
そのときは、お互いのことをまるで知らなかったことが仇となり、すぐに破綻してしまったので、どうということはなかった。
たとえば、ぼくが桃川と交際することになったら、みんなはどんな反応を示すだろう。
なんとなく、夜も眠れない気分になり、ぼくは本当にあまり眠れない。
翌日、クラスの中で一番仲のいい可賀池ノボルに相談を持ちかけてみる。
「じつは、桃川に、好きだ、と言われた」
「それはそれは。よかったじゃないすか」
「よかったのでしょうか」
「よくなかったんですか」
「よかったことはよかったのですが」
「何が不満なんすか」
「好き、とはどういう意味だろう」
「おまえのことが好きだっていう意味なんじゃねーの」
「そうはいっても、程度や質の問題もあるじゃないですか」
「じゃあ、なんか誘ってみたりしたら。そんで、どういう感じか探ってみたらどうよ」
「そうしてみます」
持つべきものは友だ。
ぼくはその夜、桃川と音声通話をする。
まずは昨夜、楽しく会話してくれたことについて礼を述べると、桃川は笑う。
『ユラキくんって、変』
「そうかな。ぼくはそんなふうに思っていないんだけど」
『そういうとこが、あたしは、好き、なのかな?』
「そうなんですか」
『そうですよ?』
面と向かって、いや、スマホ越しだから面と向かってはいないのだが、そのようなことを言われると、やはり照れくさい。
でも、スマホ越しだけに、ぼくが照れているかどうかなんて、桃川にはわからないだろう。
スマホ越しだし、思いきることができそうだ。
「それで、用件ですが」
『はい』
「どこかに遊びに行きませんか」
『いいですよ?』
「承諾してくれて、とても嬉しいです」
ぼくは土曜日に桃川と二人きりで瓦町の映画館に行き、あたりまえのことだが映画を観る。
週末だから映画館は混んでいる。
そのあと昼食をとることになったのだが、どこもかしこも混みあっている。
ぼくはあまり並んだり待ったりすることを苦痛に感じない。
何か目的があって並んだり待ったりするのであれば、かなり耐えられる。
桃川はどうだろう。
見たところ、あまり気にしている様子はないので、ぼくは少しだけ安心する。
ランチセットを平らげたあともコーヒーや紅茶を飲みながら話していたら、いつの間にか午後四時近くになっている。
ぼくらは食事処を出て、瓦町の繁華街をぶらぶらする。
ぶらぶらすることは、ぼくにとってわりと苦痛だったりするのだが、今日は桃川とぶらぶらして親睦を深めるという目的があるので、つらくもなかったし退屈でもない。
桃川もそうだといいのだが、ぼくはそれなりに楽しくすごすことができて、気がつくともう午後七時を回っている。
「時間は大丈夫なのかな」
「うん。あたしは、大丈夫」
「そう。それはよかった」
「これから、どうするのかな?」
「桃川はおなかがすいている?」
「うーん。ちょっと?」
「でしたら、夕食でも」
「いいよー。そうしよー」
「桃川は何か食べたいものはある?」
「何でもいい、かな?」
「じゃあ、ぼくが決めよう」
「あ、ユラキくん」
「何でしょうか」
「桃川で、いいの?」
今さらだが、私服姿の桃川はとてもすてきだ。
何と言ったいいのだろう。
さながらお姫さまのような恰好で、桃川以外であれば、いささか現代人っぽくないというか、どこの世界の何時代の人なのか、ちょっとよくわからないし、はっきり言ってやや珍妙に見えたりもするかもしれないが、彼女にはとてもよく似合っている。
少なくとも、ぼくにはそう感じられる。
カーラーか何かで癖をつけたのだろうと思われるが、髪の毛もふわふわしていて、桃川は肌が白く、瞳や体毛の色も明るいため、どこか西洋人形的な、やはりお姫さまチックな、それでいてメルヘンチックとまではいかない、絶妙なバランス感覚でもって愛らしさと美とを体現しているのが今日の桃川だ。
ぼく個人としては、そう感じる。
「みう」
「はい」
「夕ご飯を食べに行きましょう」
「はい」
ぼくはもう有頂天になっている。
おかげで夕食も、瓦町の中ではもっとも高級な雰囲気のあるデパートの最上階で、その中でも高級なイタリアンのレストランを選び、一人一万五千円のディナーコースを頼んでしまう。
ぼくの家は、働き者というかほとんどワーカホリックに近い両親のおかげで、客観的に見ても経済的に裕福なほうだと思うが、ふだんからこのような金銭の使い方をしているわけじゃない。
外食をすることはめったにないし、店屋物もあまり頼まないようにしている。
上天丼やピザとなると、ちょっと贅沢だな、というのがぼくの認識だ。
それにもかかわらず、今夜は奮発してしまう。
多少値が張っても、みうにはおいしいものを食べさせてあげたい。
それが好意と誠意の示し方として正しいのかどうか、そのあたりについては議論が分かれるところかもしれないが、ぼくはそうしたい。
だから、そうする。
ぼくは間違っているのだろうか。
そんなことはないはずだ。
夕食が終わると午後十時近い。
妹から何通もメッセージが届いていて、電話もかかってきていたことに、ぼくは気づいていたものの、スマホはとっくにサイレントモードにしてある。
ぼくの家には基本的にぼくと妹しかいないので、こんなときは面倒が少なくて都合がいい。
とはいえ、高校生の女の子をこんなに夜遅くまで引っぱりまわして問題ないのかという不安に満ちた疑問が、食事中も何度となくぼくの頭をよぎった。
一階に向けて降下するデパートのエレベーター内で、ぼくはみうに訊いてみる。
「もうこんな時間だけど、平気なのかな」
「何が?」
「家の人とか」
「平気だよ?」
「そう。それはよかった」
「これから、どうするのかな?」
二人きりのエレベーターは、当然のことながら密室だ。
ぼくは思わずみうの唇を見てしまう。
薄いピンク色の口紅とグロスが塗られたみうの唇は、食欲すらそそるほどにぷるぷるしている。
「どうしよう」
エレベーターは密室だったが、一階まではすぐだ。
ぼくらはエレベーターから出て、デパートからも出る。
外は夜だ。
あたりまえじゃないか。
時刻はもう午後十時なのだ。
ぼくらは瓦町で一番大きな交差点を渡る。
渡っている最中に、歩車分離式の信号機が点滅しだす。
みうが小走りになる。
ぼくはみうの手をとって走る。
渡りきったあとも、ぼくらは手をつないだまま歩く。
みうの手は小さくて熱い。
こうしていつまでも歩いていたい。
ぼくはそう思う。
強く思う。
不意にみうが立ち止まって、何かを乞うような眼差しでぼくに向ける。
これからどうするのか、という問いに対する答えを求めているんじゃないかと、ぼくは推測する。
この推測が外れているとは思えない。
しかしながら、どのような答えを出すべきなのか、ぼくにはわからない。
わからない、こともないのだが、それはどうも違うような気がする。
高校生のぼくらには、しかも、これが初めての逢瀬であるぼくらには、そんなことはふさわしくない。
もちろんだ。
みうにしても、そんなことが念頭にあるわけでは決してないだろう。
であるとするならば、みうは何を求めているのか。
この問いの解は、広い宇宙のどのあたりに存在するのだろうか。
そのとき、みうがぼくの手を引っぱる。
ぼくはよろめきかける。
みうの瞳は潤んでいる。
「えっち、しないの?」
「はい?」
ぼくの目は点になったかもしれない。
みうは表情を変えない。
「えっち」
「え」
「だって、あたしは、ユラキくんのことが、好き」
「あ、はい」
「ユラキくんは?」
「それは、もちろん、好きです」
「じゃ、えっち、する?」
「なぜ?」
「好きだったら、ふつう、しない?」
「そ、そういう……ものです……か?」
「違うのかな?」
「どうでしょうか」




