02。とつぜん
――あれは第九高校に入学して間もなくのことだった。
「わたしね」
やつは今朝のように地下通路でぼくを待ちかまえていた。
「わたし……」
そうして突然、宣言した。
「わたし、今日から、ぷりるん、しか言わないことにする」
「……へー」
としか、ぼくは返しようがなかった。
それはそうでしょう。
唐突すぎて何のことやら、ぼくにはさっぱりわからなかったのだ。
「ぷりるん、しか言わないことにする」
「そうですか」
「ぷりるん、しか言わないよ」
「勝手にすれば」
「ぷりるん、しか言わないんだからね」
「じゃあ、しか言わないんだからね、はいらないよね。そこは余計だよね」
「ぷ、ぷりるん」
「でも、おかしな人だと思われるのがオチだから、やめたほうがいいんじゃないかな」
「ぷりるん!」
「もう若干思われ気味かもしれないけどね。たとえば、ぼくに」
「ぷりるーん! ぷりるん! ぷりるん!」
「まあ、今に始まったことじゃないけどね」
昔から人騒がせなやつではあった。
あるときは超能力を使えるようになったと言い張り、学級会でスプーン曲げを披露すると言いだして、物の見事に失敗した。
またあるときは、自分は平義経の生まれ変わりだと主張して、平義経なんて人物は存在しないというぼくの反論には耳を傾けようとせず、平義経は平城京でお姫さまであり、クレオパトラの生まれ変わりなのだと陶然として語った。
さらにあるときは、昨夜UFOにさらわれたと告白して、これがその証拠だと自分のおしりにできた青アザを教室でぼくに見せて、痴女の異名をとった。
他にも、自分は両親の本当の娘じゃなくて橋の下で拾われたのだとか、橋の下ではなく陸橋の下だとか、いずれにしても橋だろうと指摘すると、そうではなく川原だったとか、一週間前に百万円拾ったとか、レベル99までしか上がらないはずのRPGで300以上までレベルを上げたとか、何とかのオーディションに受かったとか、留学することになったとか、転校するかもしれないとか、誰それからラブレターをもらったとか、もちろんそうした事実は一切ないわけだが、そうした嘘はやつにとってお手の物だった。
やつの人生は嘘で塗りかためられていると言っても過言じゃない。
と言いたいところだが、どれもこれも塗りかためられるほど強度のある嘘じゃなくて、塗ったそばからポロポロボロボロ剥がれ落ちる、メッキにもならない、くだらない、露骨で、稚拙な嘘でしかなかった。
ぼくはあれこれ考えることがそれほど嫌いではないが、やつについて、どうしてそんな見えすいた嘘をつくのだろうとか、どういう神経でそういう嘘がつけるのだろうとか、そういったことは金輪際、考えないだろう。
小中高と一緒だが、小学校二年生のときにこのマンションに越してきて、同じクラスになったときから、やつは嘘つきだった。
やつがぼくに語ったプロフィールは九割以上が嘘だったのだ。
最初、まだ純真だったぼくはそれを信じたのだが、すぐに嘘だとわかると、けっこう深刻に傷ついた。
その傷はやがて癒えた。
やつの嘘はどれもこれもあまりにもくだらなくて、腹を立てるのも馬鹿らしいたぐいのものだと気づいたからだ。
そんなわけで、嘘をつかれるぶんにはとくに何とも思わないのだが、ぷりるん、についてはどう解釈すればよいのだろう。
答え。
解釈しない。
たぶん、それが正解だ。
やつはあれ以来、本当に、ぷりるん、しか言っていないらしい。
もう勝手にすればいい。
ぼくはやつの嘘や奇行によって、いくばくかの迷惑をこうむってきた。
やつのわけのわからない、ぷりるん、に付き合ってやる義理はない。
地下通路を通り抜けて地下鉄の駅に到着すると、ぼくは地下鉄に乗って学校へと向かう。
ぷりるんがついてきている。
わかっているが、気にしない。
地下鉄に乗るとたいてい見知った顔に出くわすので、挨拶をして世間話をする。
いろいろな連中と言葉を交わしている間に、ぷりるんの気配は薄れてゆく。
たまに振り返ると、ぷりるんは遠くにいる。
目があえば、ぷりるんは笑う。
ぼくはすぐさま目をそらす。
地下鉄を降りて、学校までは歩いて約十分だ。
そのころには、ぼくはぷりるんのことなんか忘れている。
友人たちとたわいもないことを話していると、あっという間に学校だ。
教室に入って自分の席につくと、ぼくは後ろの席の坂町美海香や隣の席の竹下英一と話しこむことが多い。
そうしていると他の人たちも集まってきて、わいわいがやがやしゃべることになる。
その中には、ふわふわした雰囲気を醸しだしていて、スタイルがよくて、目が大きくて、ようするにかわいい桃川みうもいる。
桃川みうは、モモちゃん、とか、モモ、とか、みゅーちゃん、とか、みゅー、と呼ばれていて、ぼくは、桃川、と呼んでいる。
桃川のことを、男子が親しげに、モモ、みゅー、と呼ぶのを聞くと、ぼくの胸がざわつくようになったのはいつからだろう。
どうやらぼくは、桃川のことを気に入っているらしい。
「でも、桃川の連絡先、ぼくは知らないんだよ。ラインとか。インスタはやってないっぽいし」
「え? 知らんの? なんで?」
昼休みだ。
もう弁当は食べ終えている。
ぼくは同級生の中で一番仲のいい可賀池ノボルとトイレに行って教室に戻る途中、桃川におぼろげな好意を抱いていることを簡潔明瞭に打ち明けたのだ。
じつはひそかにそれなりに思い悩んでいたので、心安い友人と二人きりになった勢いで、つい告白してしまった。
「なんでと言われましても。訊く機会がなかったので」
「訊く機会なんていくらでもあるでしょ。モモって、ガードゆるゆるだし」
「とはいえ、何か理由でもないと」
「いやあ。とりあえず訊いとくでしょ。挨拶みたいな。おまえって、そういうとこ、意外となんていうか、わりと古風だよね」
「そうかな」
「女子に訊かれたら教えるでしょ」
「教えるよ」
「女子も訊いてくるでしょ。フツーに」
「訊いてくるね」
「だったらおまえも訊けばよくない?」
「そういうものでしょうか」
「そういうものでしょうが」
「しかしね、今さらあらたまって訊くというのも」
「いや、フツーに俺が教えるけど。モモならいーべ」
「桃川ならいいの?」
「いーんじゃね?」
「そう。じゃあ、教えて」
こうしてぼくは可賀池から桃川のラインのIDを教えてもらい、勢いで友だちに追加してしまう。
間もなく桃川も僕を友だちに追加してくれる。
けれども、ぼくから桃川に連絡をとることはない。
そんなことはできない。
なぜなら、とくに用事がない。
とりたてて用もないのに、メッセージを送ったり電話をかけたりすることが、ぼくにはどうしてもできない。
着信があれば応じる。
とりとめもない話にも、無制限というわけじゃないにせよ、それなりには付き合う。
メッセージが届いたらレスを返す。
着信があったので、出なければ。
メッセージがきたので、返事をしなければ。
ぼくにとって、それらは果たさないといけない用事だ。
用事というものは済ませないといけない。
そういえば、ぷりるん、しか言わなくなってから、ぷりるんはぼくに連絡してこなくなったが、まあどうでもいいことではある。
どうせ、電話をかけてきても、ぷりるん、しか言わないだろうし、メッセージも、ぷりるん、だけかもしれないから、ぼくとしても困る。
そんなこんなで、可賀池から桃川のラインを教えてもらってから三日ほど経過する。
というか、三日後の午後十一時十二分に、ぼくのスマホが鳴動する。
見ると、ラインの音声通話の着信だ。
誰だろう。
「えっ」
と、ぼくは自分の部屋で一人声を出してしまう。
桃川だ。
出る?
出ない?
いや、出ないと。
ぼくは通話をタップしてスマホを耳にあてる。
『もしもしー』
という声がする。
「もしもし」
と、ぼくは答える。
『ユラキくん?』
「うん。はい。そうです、けど……」
『可賀池くんに、あたしのライン教えてもらった?』
「あ。うん。はい」
『何か、あの、あたしと、話したいこととか、あったりした?』
「えー……あー……そうだね、とくに……なんていうか、そういうわけじゃないというか」
『あたしと、話したくない?』
「いやいやいや。そうじゃなくて。何だろう、だからまあ、迷惑じゃなければ、何か雑談的なことでも」
『迷惑、とか、じゃないよ』
「そう。そっか。それはよかった」
『あたし、ユラキくんのこと、好きだし』
「そう。それはよかった」
待ってください。
聞き違えだろうか。
その可能性も否定できない。
確認したほうがいいような気がする。
「――すみませんが、今の、もう一度言ってくれませんか」
『あたし、ユラキくんのこと、好きだし?』
「そう。それ」
聞き違えじゃなかった。
ぼくはほっとする。
ほっと、しているのか。
どうなのか。
よくわからない。
「……そうなんだ。桃川は、ぼくのことが好きなんだね」
『そうだよ?』
「つかぬことをお伺いしますが、それはどのような種類の、好き、なのでしょうか」
『好きは、好き、だよ』
「だよね」
『だよ』
ぼくらはクラスの誰々がどうしたとか、テレビでこんなことをやっていたとか、芸能人の誰それが何だとか、かなりくだらない話を二時間くらいする。
通話を打ち切ってから、ぼくは煩悶する。
「……どういうこと? え? 何? 好き? ぼくを? なんで……?」




