01。いつもの
朝起きてパジャマのままリビングに向かうと、制服の上にエプロンをつけた妹が朝食を作っている。
「おはよう」
と声をかけると、妹はぼくをちらっと見て笑みを浮かべる。
「おはよう、おにいちゃん。先に顔洗ってきて。もうちょっと時間かかるから」
「うん。わかった」
顔を洗って戻ってくると、ダイニングテーブルの上にはスクランブルエッグとソーセージとトーストと野菜ジュースとコーヒーが並べられている。
妹はエプロンをつけたまま椅子に座ってぼくを待ちかまえている。
ぼくは妹の向かいの椅子に腰を下ろして箸を手にとる。
「いただきます」
「いただきまーす。あ、おにいちゃん、拝み箸だよ。だめだよ」
「ごめんなさい。もうしません」
「絶対うそ。これで何回目?」
「どうだろう。数えきれない」
ぼくは食事にとりかかる。
妹は何か話したそうにしているが、ぼくは朝食にかぎって食べながらしゃべることができない。
妹はそのことを知っているので、我慢して黙っている。
「ごちそうさま」
食べ終えると、ぼくは食器を下げて手早く洗う。
妹のぶんも。
それから歯を磨いて、部屋に戻って制服に着替える。
妹は中学三年生で、ぼくは高校二年生だ。
ぼくの学校のほうが遠いから、ぼくのほうが少しだけ早く家を出ないといけない。
妹はエプロンをつけたまま玄関までぼくを見送りにきて、弁当を差しだす。
「はい。いってらっしゃい」
ぼくは弁当を鞄にしまう前に中身をチェックしようとする。
すかさず妹がぼくを止める。
「あ、だめ!」
「だめじゃない」
「だめだよ! 蓋を開けたら、酸化しちゃう!」
ぼくはかまわず弁当の蓋を開ける。
なんてことだ。
顔をしかめずにはいられない。
桜でんぶと海苔はぼくの好物だが、それでもってご飯の上にハートマークを描くのはやめてほしい。
このことについては、すでに何度も注意したはずだ。
「却下していいですか」
「だめ! せっかく作ったんだから!」
「どうしてハートマークですか。スペードとかクラブとかダイヤとかでもいいでしょう」
「だって、うずみはハートが大好きなんです!」
「うずみがハート好きなのはべつにかまいませんけど、おにいちゃんとしては学校でお友だちにこういうお弁当を見られて、誰が作ったのですかと問われて、じつはぼくの妹がと答えて、えええええええみたいに引かれてしまう展開になりかねないので、とても恥ずかしいです。というかもう一度そういう経験があるんですけど、そのあたりはどうなんですか、うずみさん」
「どうして妹がおにいちゃんのためにハートのお弁当を作っちゃいけないの? そういう法律があるの?」
「そういう法律はないけど、そういう常識はあるんじゃないかな」
「常識なんて! 常識に縛られてるおにいちゃんなんて! うずみ、恥ずかしい!」
「べつに、縛られているつもりはないよ」
「縛る縛る言わないで!」
「先に言いだしたのはうずみだと思う」
「こんなうずみにしたのは、おにいちゃんじゃない!」
「そんなうずみになったのは、絶対におにいちゃんのせいじゃない」
「おにいちゃんのバカ! 露出狂! 出歯亀! ドM! アルマジロ!」
妹が踵を返してリビング方面へと駆けてゆく。
ぼくは桜でんぶに細工を施し、ハートマークをハート以外のものに見えるようにすると、弁当を鞄にしまって家を出る。
ぼくが住んでいるマンションは地下通路で駅に直結しているので、やたらと便がいい。
家を建てる話も何度か持ちあがったが、何しろぼくらの両親は仕事以外の面ではものぐさだから、ぼくが七歳のときに越してきたこのマンションから転居する予定は今のところない。
ぼくとしては何の不満もないので、家なんか建てなくていいと思っている。
ちなみに、父は脳神経外科医で、拠点がいくつもあって、絶えず忙しく飛び回っているから、息子のぼくも今日どこにいるのか把握していない。
以前、テレビの番組で取り上げられたことが何回かある。
一般的な知名度は知る人ぞ知るというレベルだが、その筋ではかなり有名らしい。
母は国立大を出て官僚になったものの辞めてしまい、医療系の国際NGOで活動していて、二年くらい前から主にスイスにいる。
アフリカの国とかアジアの国とか、出張も多いみたいだ。
姉はアメリカのコロンビア大学を卒業後、旅に出た。
なので、マンションで生活しているのは実質ぼくとうずみ、兄と妹の二人暮らしだ。
ぼくはエレベーターで地下まで降りると、第二エントランスと名づけられた地下の玄関から出て地下通路に足を踏み入れる。
しばらく歩いていたら、背中をつつかれる。
「ぷりるん」
ぼくは無視して歩く。
ずんずん歩く。
大股で歩く。
やつは追いかけてくる。
とうとう走りだす。
ついには、ぼくの背中めがけて突進してくる。
「ぷりるん!」
「――させるかっ」
ぼくは横にステップを踏んで、やつをかわす。
やつはたたらを踏んだが、なんとか持ちこたえる。
「ぷりるん」
そんなことを言われても、ぼくは返す言葉を持たない。
昔から突拍子もないことを言いだしてぼくを困惑させるやつではあった。
それでも、ここまでひどくはなかった。
「ぷりるん?」
やつは不思議そうに小首を傾げてみせる。
それはこっちの台詞だ。
いや、違う。
台詞じゃない。
ぼくは口が裂けても、ぷりるん、なんて自発的に発音したくはない。
ぷりるん、とは何なのか。
意味がわからない。




