29。どうして
姉から連絡があったので、居場所を教えてもらい、滞在しているホテル宛てに旅行安全のお守りを送ることができた。
ぼくはわりと頻繁に可賀池や桃川たちと遊びに行く。
ぼくにラインをしてきたり、電話をかけてきたりするのは可賀池か桃川くらいだ。
週に一度くらいは部活に出る。
家事の分担は、朝食、夕食の後片付けと、ゴミ出し、風呂掃除、トイレ掃除、自分の部屋の掃除がぼくの担当で、他の部分の掃除は半々だ。
洗濯はうずみがぜんぶやってくれる。
うずみを伴って芙美ちゃんの家を訪れたところ、夕食をご馳走になってしまい、いろいろな話を聞かされる。
依然としてその点だけは疑っていたというわけじゃないが、うずみに彼氏がいないことを芙美ちゃんの口から教えられて、ちょっと、いや、かなり安堵している自分がいた。
ぷりるんは、学校が休みの日以外は毎日、ぼくにお守りを一つずつくれる。
朝の地下通路。
帰りの地下鉄。
第二エントランスの前。
学校で、すれ違いざまに。
場所やタイミングはいろいろだ。
ぼくはたまに、いや、このごろは毎日、部屋のベッドの上にお守りコレクションをずらっと並べて、じっくりと眺める。
何度もスマホを手にとって電話をかけようとしたが、そのたびにやめた。
ラインをしてみようと思ったこともある。
でも、ぎりぎりのところで決心が鈍ってしまう。
いっそ手紙はどうだろう。
無理だ。
手紙なんて、ほとんど書いたことがない。
その日、ぼくは可賀池たちと約束したわけでもないのに、放課後、一人で瓦町へと向かう。
何をするというわけでもない。
ぼくはただひたすらぶらぶらする。
目的もなく街をぶらつく、というのは、ぼくにとって本来、苦手な行為なのだが、今回は違う。
ただひたすらぶらぶらすること自体が目的なのだ。
正確に言えば、ぶらぶらして、帰りの地下鉄に一度、乗りこむ。
発車する前に、出る。
ぼくは駅のホームを見渡す。
見つけた。
案の定だ。
地下鉄から降りてきた。
けっこう離れている。
ぼくがいったん乗って出た車両の、隣の、もう一つ隣の車両だ。
ドアが閉まって、地下鉄が発車する。
ぼくは駆ける。
彼女はぼくに気づいて逃げようとする。
でも、足の速さなら、ぼくのほうが上だ。
それに、スタートを切ったのは、ぼくのほうが早い。
ぼくは追いすがって、彼女の腕をつかまえる。
彼女は抵抗する。
暴れて、ぼくの手を振りほどこうとする。
ぼくは一喝する。
「逃げるな!」
彼女が振り向く。
顔が赤い。
眉をひそめながら目を見開くなんて、なかなか器用なことをする。
彼女は何か言おうとして、慌てて口をつぐむ。
ぼくは無理やり、力ずくで彼女の身体をこちらに向き直らせる。
そうして、右手で彼女の左腕を、左手で右腕をつかんで、絶対に離さない、ということを態度で示すとと、彼女はようやく逃げだすことを断念したらしい。
何を隠そう、ここまでがぼくの目的だった。
「花菱真以子。今日こそは話してもらう」
じつに久しぶりだ。
彼女の本名を口にするのは、本当にずいぶん久しぶりのことだった。
ひょっとしたら、彼女が、ぷりるん、しか言わなくなってから、ぼくは一度もその名を発音していないんじゃないか。
いや、さすがにそんなことはないかもしれないが、ぷりるん開始以来、彼女をその名で呼んだことは、おそらくない。
「話してくれ、花菱。なぜだ。どうしてきみは、ぷりるん、しか言わないんだ。なんで、ぷりるん、しか言わなくなったんだ。理由を教えてくれ。どうしても、絶対に言いたくないというのなら、それはいい。でも、ちゃんと日本語を話してくれ。だって、話せるじゃないか。前は話していたんだから。そうだろう。ぼくの言っていることは間違っていないはずだ。きみは日本語を話せるはずだ。ぼくと意思の疎通を図ることなんてたやすいはずだ。できるなら、やってくれ。お願いだ。話してくれ。話をさせて欲しいんだ」
「……ぷり、るん」
「そうじゃない」
「ぷりるん」
「違う!」
「ぷりるん!」
「それじゃあわからないんだ! 花菱! わからないんだよ!」
「ぷりるん!」
花菱は首をぶるんぶるん横に振る。
この異星人め。
そうだ。
花菱は異星人みたいなやつだった。
はっきり言って、ぼくは花菱のことがまったく理解できなかった。
超能力事件にしても、平義経生まれ変わり事件にしても、UFOによる誘拐狂言おしりの青アザ痴女事件にしても、学校祭でのパフォーマンスにしても、自分の出生に関する数々の嘘にしても、百万円拾ったという嘘にしても、RPGで300以上までレベルを上げた嘘にしても、オーディションに受かったという嘘にしても、留学、転校するかもしれないという嘘にしても、ラブレターをもらったとか、告白されたとか、そういったたぐいの嘘にしても、花菱がどうしてそんなことをするのか、ぼくには皆目見当がつかなかった。
だって、花菱がおかしな真似をすればするほど、嘘を重ねれば重ねるほど、周りの人たちは花菱から離れていった。
最初は、うけるー、とか、おもしれー、とか言って笑っていた者たちも、だんだんさめていって、馬鹿にするようになり、いじめの対象にし、ついには無視するようになった。
だから、ぼくは、花菱に何度も忠告したのだ。
そういうことはやめるように、と。
そんなことをしても、きみ自身が損をするだけだ、と。
きみがしているすべてのことは、一つとしてきみのためにならない、と。
何度も何度も言ったはずだ。
何の因果か、ぼくは花菱と小学校、中学校、そしてこの第九高校まで一緒だ。
小学校二年生のとき、今のマンションに越してきて、同じクラスになった。
そのころの花菱はまだ、わりと人気者に近いポジションにいた。
花菱は女の子なのに、笑いをとるためにかなり思いきったことをしたし、それでいて、黙っていればかわいらしかった。
当時はたぶん、花菱のことを好きだった男子が何人もいただろう。
ぼくは、でも、正直、おもしろすぎる女の子にはあまり興味がなかった。
ただ、そんな花菱も、いつも剽軽なことばかりしているわけじゃなかった。
一人でいるときは、なんというか、妙に存在感がなくて、寂しげだったし、それに、ぼくはあることに気づいていた。
花菱はさまざまな芸当でみんなを笑わせようとした。
ただし、生き物、それが動物であっても、植物であっても、生き物に直接、危害を加えるようなことは絶対にしなかった。
小学校くらいのときは、花壇を踏み荒らしたり、虫などをいたずらに殺傷したり、そのようなことをして、自分の力を誇示しようとしたり、注目を浴びようとする者がけっこういる。
花菱は違った。
それから、花菱はよく嘘をついたが、他人を誹謗中傷することは決してなかった。
そうしたところは褒められるべきだと思っていたし、ぼくとしてはひそかに高く買ってもいた。
ぼくは花菱の派手な行為には無関心だったが、花菱のことが嫌いだったわけじゃない。
だからこそ、余計なお世話だとは知りつつ、繰り返し何回も忠告したのだ。
言外に、ぼくはこう言おうとしていた。
そういう馬鹿げた、くだらないことを一切しなければ、きみはかわいらしい女の子じゃないか。
クラスでも指折りの可憐な少女として、今とはまったく異なる評価を受けるかもしれないじゃないか。
それなのに、なぜわざわざそんなたわけた所業に及ぶのか。
ぼくは不思議でならなかったのだ。
本当に意味がわからなかった。
でも、きっと、花菱にとっては、ぼくの言っていることが意味不明だったのだろう。
花菱はぼくの忠告を決して聞き容れなかった。
今も聞き容れようとしない。
ぼくにとって、花菱は異星人なのだ。
花菱にとっても、ぼくは異星人なのだ。
そうか。
もしかして、そういうことなのか。
花菱はそういうことを言いたいのか。
ぼくには花菱のことがわからない。
花菱にもぼくのことがわからない。
ぼくの言葉は花菱に通じない。
花菱の言葉はぼくに通じない。
花菱があくまで、ぷりるん、しか言わないこの状況と、以前の状況と、どれくらい違うというのか。
たいして違わない。
かといって、完全に同じでもない。
「わからないとしても! 通じないとしても! わかりあえないんだとしても!」
ぼくは花菱の身体を揺さぶる。
「でも、それでも、言葉を重ねることが完全に無意味だとは思いたくない! ぼくの言葉はきみの心に届かないのかもしれない! ぼくではきみの言葉を理解できないのかもしれない! だけど、聞きたいんだ! きみの言葉で! きみが何を言いたいのか! 何のためにこんなことをしているのか!」
花菱があたりを見回す。
わかっている。
気になっているのだろう。
ホームには次の地下鉄に乗る客が集まりはじめている。
みんな、誰も彼も、こちらを見ている。
聞き耳を立てている。
恥ずかしいか。
そうか。
でも、ぼくはなぜか、そうでもない。
ぼくはそうでもないが、恥ずかしいなら、さっさと話せ。
話してくれ。
「いろいろなことがあったんだ! 花菱! きみも少しは知っているだろう! だって、きみはぼくをつけ回していただろう! よく帰りに地下鉄で一緒になったものな! ぼくは自分の神経を疑う! なんで変だと思わなかったんだ! きみはぼくを尾行していたんだ! 言い方が悪いかな、じゃあ、きみはぼくを見守っていた! それでもいい! 何だっていいよ! 大事なことは、大切なことは、いつもじゃないかもしれないけど、ふとしたとき、ぼくのそばにきみがいた! 花菱! きみがいたんだ! そして、お守りをくれた! 今日はまだもらっていない! これから渡すつもりだったんだろう! ほら、これだよ! 花菱!」
ぼくは鞄を開けてみせる。
すべてじゃない。
ぜんぶはとても無理だった。
コレクションの一部を鞄につめてきたのだ。
ぼくはすぐに鞄を閉めて、また花菱の両腕をつかむ。
ぎゅっとつかむ。
「こんなにたくさんあるのに、一つとして同じものはない! びっくりだよ! 花菱、ぼくはね、このごろ毎日、このお守りを並べて、じっくり眺めているんだ! そのたびに感心してしまうんだ! 安産とか、よくわからないものもあるけど、旅行安全、そう、旅行安全のお守りをくれただろう! あれ、悪いけど、姉さんに送ったんだ! 旅から帰ってきて、少しの間、家にいて、また旅立った、姉さんに送ったんだ! いろいろなことがあったんだ! きみはぼくにお守りをくれた! 不思議なことに、考えてみれば、本当に不思議なことに、ほとんどは、何もかもぜんぶってわけじゃないけど、だいたいのことはなんだかよくわからないうちに解決してしまったんだ! つらいこともあったけど、受け止めることができたんだ! ぼくは毎日、お守りを眺めているんだ! そうしたら、思い浮かぶんだよ! 花菱! きみの顔が! 花菱! ぼくは、きみに言わないといけないんだ! 言いたいんだ! きみに、ありがとうって! ぼくが一人だったとき、そんなことはない、一人じゃないって気づかせてくれたのは、きみなんだ……!」
花菱は唇を震わせている。
でも、きつく噛みしめている。
「話してくれよ! 聞かせてほしいんだ! きみの声を! きみの言葉を!」
それなのに、まだ首を横に振るのか。
何が。
いったい何が、きみをそうさせるんだ。
「……だめ、なのか……?」
ぼくは肩を落とす。
「どうしてだよ。なんでだよ。花菱、きみと話をしたい。前みたいに、挨拶をしたり、世間話をしたり、きみがどうしようもないことを言って、ぼくが聞き流したり。それだけでいいんだ。たったそれだけで。それだけのことが、どうしてできないんだ。なんでだよ! おかしいだろう! そんなの、変じゃないか! ぼくは! ぼくは! ぼくは! ぼくは……ただ、それだけなのに、なんで……!」
何か、聞こえる。
声だ。
声にならない、声だ。




