28。いつまでも
ぼくはうずみに声をかけられるまで、床に座りこんでいる。
「いいよ」
と言われて、なんとか身体を持ち上げ、ダイニングテーブルの席につく。
うずみが向かいの席にいる。
なんとも感慨深い。
メニューは、ハンバーグと、少なめのナポリタン、ポテトサラダ、それにご飯と味噌汁だ。
ぼくにとってはとても食欲がそそられる献立であり、とてつもなくいい匂いがする。
「いただきます」
「あ、おにいちゃん、拝み箸だよ。だめだよ」
今まで何度そう注意されてきただろう。
ぼくは心をこめて謝る。
「ごめんなさい。もうしません」
「絶対うそ」
うずみはくすりと笑う。
ぼくも笑う。
笑いながら、食べる。
すさまじい勢いで食べる。
夢中になって食べる。
食べ終えると、なんだか途方もなく幸せで、満たされている。
「すごくおいしかったです」
「うずみ、おねえちゃんみたいに、料理上手じゃないから」
「そんなことはないと思うよ」
「そんなことなく、ない。おねえちゃんにはかなわないよ。何をやっても」
うずみのハンバーグはまだ半分くらい残っている。
べつに物欲しそうな目つきで見ていたわけじゃないと思うが、うずみはぼくの皿にハンバーグを一口分、のせてくれる。
「ありがとうございます」
ぼくはありがたくいただく。
「やっぱり、おいしいよ」
「おねえちゃんなんて、プロ級でしょ」
「そうだね。たしかに、姉さんの料理は、外の店で食べるような味がする」
「すごすぎだよね。おねえちゃん。何でもできて」
「でも、ぼくはうずみの料理のほうが好きだよ」
「お世辞とか、言わなくていいよ」
「そうじゃない。うずみが作るものは、ぼくが好きなものばかりなんだ。ぼくが好きな料理だし、ぼくが好きな味つけなんだ。ぼくが姉さんの料理よりもうずみの料理のほうが好きなのは、あたりまえじゃないか」
やっと思ったことをそのまま口にすることができた。
うずみは残りのハンバーグもぼくにくれる。
「嬉しいけど、うずみは半分しか食べていないことになるよ」
「いいの。そんなにおなか、すいてないから。ダイエット中だし」
「その必要があるとは思えないけど」
「一・五キロ近くも太ったんだよ。芙美のお母さん、なんか知らないけど、うずみにいっぱい食べさせようとするんだもの。断れないし」
「そう。一・五キロ。そんなふうには見えないね」
ぼくはうずみがくれたハンバーグを食べる。
うまい。
誰が何と言おうと、ぼくにとってはハンバーグといったらこれだ。
だが、待て。
「……芙美?」
聞いたことのある名前だ。
というよりも、知っている名前だ。
「芙美、というと、あの芙美?」
「うん」
うずみは平然とうなずく。
というふうに装おうとしているようだが、澄まし顔がわざとらしい。
天童芙美。
うずみとは小学校のときから付き合いがある、ようするに幼馴染みだ。
この家にも何度となく遊びにきたことがあるので、もちろんぼくも、よく、とまではいかないまでも、それなりに知っている。
顔とか、声とか、話し方とか。
家の場所も、なんとなくはわかる。
ここからそう遠くない。
「……芙美ちゃんの家に?」
「そういうことにしておこうかな?」
うずみは横を向く。
その顔が赤い。
真っ赤だ。
ぼくはテーブルに肘をついて、頭を抱える。
「芙美ちゃんの家に……?」
愚かだ。
ぼくはなんて愚かなのだろう。
普通、妹が家出したとなれば、まず妹の友だちに連絡をとってみるというのが常套手段というか常識だろう。
ぼくはうずみの友だちのラインもSNSのアカウントも電話番号も知らないし、うずみの部屋を捜索しても、連絡先を調べることができたかどうか、大事な情報はスマホの中にあるのが普通だから、そのあたりはあやしい。
ただ、その気になれば、天童芙美となら連絡をとることはできたはずだ。
なぜしなかったのか。
思ってもみなかったからだ。
うずみは彼氏のところにいるものだとばかり思いこんでいた。
だがしかし、その彼氏とはいったい誰なのか。
どこのどいつだ。
まともなやつなのか。
何歳なのか。
どこに住んでいるのか。
ナイスガイなのか。
ぼくの頭の中はそういったことで占められていた。
どうか、そのどこの馬の骨ともつかない男よ、うずみをぞんざいに扱わないでください。
大切にしてあげてください。
ぼくはそんなことばかり考えていたのだ。
うずみが嘘をついているなんて、これっぽっちも思っていなかった。
疑っていなかった。
だって、うずみは嘘をつくような子じゃない。
ぼくへの思いは、まあ、でも、ああいったものは嘘とは呼べないだろう。
もちろん、たまに冗談というか、ちょっとぼくをからかったり、そういうことはあったものの、うずみがぼくを騙したことはなかった。
だから、嘘をついているなんて、そんなことはぜんぜん考えもしなかったのだ。
ぼくは笑いだす。
馬鹿笑いしたわけじゃない。
ただ、肩や首の関節、横隔膜が勝手に震えて、その結果、笑っているように見えるかもしれない。
きっと、笑っているようにしか聞こえないだろう。
「……芙美ちゃんの家に? それは……それは……考えなかったなあ。そうか……芙美ちゃんの家に。そうだったんだ。芙美ちゃんの家に。まいったな。芙美ちゃんの家にいたなんて。だったら……迎えに行けばよかった。芙美ちゃんの家なら、行こうと思えば、行けたんだ。でも……でも、まさか、芙美ちゃんの家にいたなんて」
「心配、した?」
「したよ。すごく心配だった。怖かったよ。なんだかもう、怖かった」
「ごめんなさい」
うずみはしゅんとしている。
「いいんだ」
ぼくは首を横に振る。
「いいんだよ。もういいんだ」
「じつはね。おねえちゃんには、教えてあったんだ」
「……そう。ああ。それで。だからか。だから、姉さんは、父さんと母さんには言わなくていいって」
「でも、帰りづらくて」
「そうだよね。そうだと思うよ。ごめん。ぼくが悪かったんだ」
「違うよ」
「いや、ぼくのせいだよ」
「違うってば」
「いや、ぼくのせいなんだ」
「違うよ。違うの。うずみ、思ってたの。うずみが出てったら、おにいちゃん、きっとショックだろうって。傷つくだろうって」
うずみは眉をひそめて下唇をぎゅっと噛む。
「おにいちゃんを傷つけるために、出てったりしたんだもの。だけどね。そんなこと、したいわけじゃなかったの。したくてやったことだけど、ほんとはしたくなかったの。やだよ。そんなの。だって。だって」
見たくない。
うずみが顔をくしゃくしゃにして泣きだすところなんて、ぼくは見たくないのに。
「好きなんだもの。傷つけたくなんて、ないよ。でも、止められなくて。ごめんね。おにいちゃん。ごめんなさい。傷つけて、ごめんなさい」
ぼくは立ち上がってテーブルを回りこみ、横からうずみをそっと抱く。
うずみはぼくにしがみついてくる。
そうして泣き喚く。
胸にたまっていたものをすべて吐きだそうとしているかのように、泣いて、泣く。
ぼくはいつの間にか椅子に座っていて、ぼくの膝にうずみがまたがり、背中を丸めてぼくの胸に顔をうずめている。
なんとも奇妙な体勢だが、自然とこうなっていたのだ。
「おにいちゃんの制服、洗濯しないと」
うずみの声はまだ涙声だ。
ぼくはうずみの頭を撫でながらうなずいてみせる。
「そうだね。明日までに乾くかな」
「おにいちゃん」
「何?」
「まだ、うずみのおにいちゃんで、いてくれる?」
「あたりまえじゃないか」
今度、芙美ちゃんとその家族に謝罪と礼をしなければならないだろう。
うずみのことだから、きっと家事を手伝ったり家の雰囲気を明るくしたりなど、さまざまな面で恩返しをしようとしていたに違いないが、それでもやはり、他人が家にいるというだけで気苦労が絶えなかったはずだ。
気兼ねすることなく一緒に暮らすことができるのは、結局のところ、家族だけなんじゃないだろうか。
「何があっても、いつまでも、ぼくはうずみのおにいちゃんだよ」




