24。さいごに
「桃川」
ぼくは尋ねる。
「どうしてかな」
ぼくは桃川に答えてもらいたいのか。
わからない。
ぼくにもわからない。
けれども、訊かずにはいられない。
ぼくは桃川の答えを聞きたいのだろうか。
それとも、桃川と話がしたいのか。
「なんできみはデートで同じことを繰り返すの? 瓦町のデパートを回って、しかも、ほとんど同じ店ばかり回って、カラオケをして、同じ曲ばかり歌って、ローテーションで同じものを食べる、同じラブホテルに行って、似たような性行為にふける、それはどうしてなのかな?」
「うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。うるさい」
「あれがデートだと、誰かがきみに教えたの? こういうものだと、きみは思っているの? デートをしてセックスをして、それが愛して愛されることだと、きみは考えているの?」
「あーあーあーあーあーあーあー聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない」
「きみは誰にも愛されていないでしょう? みんなきみとセックスしたいだけでしょう? きみがやらせてくれるから、みんな、かわいいとか、その服、似合うとか、そんなことを囁いたり、楽しそうなふりをしているだけでしょう?」
「聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえないって言ってるでしょ聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない」
「きみだってわかっているんでしょう? でも、きみはわからないんだ。どうしたらいいかわからないんだ。どうすれば人に愛されるかわからないんだ。どうやって人を愛すればいいかわからないんだ。お定まりのデートをしてセックスをするほうがずっと簡単だ。何も考えなくていい。悩まなくていい。そのときは満たされる。相手が言うことを聞かなかったら泣き叫べばいい。毎日毎日連絡しまくればいい。相手が降参するまでいやがらせをすればいい」
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」
「きみはわからないんだ。何もわかっていないんだ。愛を知らないんだ。きみは愛を欲しているくせに、何が愛か、それはどんなもので、どうすれば手に入れられるのか、まるで知らないんだ」
「知ってるもん! あたし、それくらい、知ってる!」
桃川がいきなり跳びあがってぼくの上にまたがる。
顔が真っ赤だ。
眉が吊り上がって、鼻に皺が寄っている。
桃川はぼくの頬をぶつ。
二度、三度とぶつ。
「あたしはちゃんと、愛してる! 愛されてるし、愛してる!」
「そうか! それはよかった! たいしたものだ!」
「バカにして!」
「バカになんかしていない!」
ぼくは首を横に振る。
「そんなつもりは毛頭ないよ、桃川。だって、ぼくは知らない。どうやって好きになった人を大切にすればいいのか、とか。何をすれば相手が喜ぶのか、とか。ぼく自身、相手に何をしてもらいたいか、どうされたいのかも、よくわからない。人を好きだという気持ちも、正直、わかるような、わからないような感じだよ。ぼくはたしかに、きみに好意を抱いていたけど、それも漠然としたものだった。いいな、とか、かわいいな、とか、その程度だったんだ。ぼくはきみに欲情したこともあったかもしれない。でも、どうして欲情したのか、それがどうしても必要なことなのか、ぼくにはわからない。もし、必ず、絶対にそういうことをしないといけないんだとしたら、ぼくにはもう無理だ。ぼくにはできない。ぼくは人を愛せない。本当にそうなのか、それとも違うのか。ぼくにはわからない。わからないことばかりだ。だから、ぼくは思ったんだ。きみも同じなんじゃないかと。きみも、わからないんじゃないかと。わかっているのなら、それはそれでいいんだ。ただ、今のぼくにはわからないんだ。若い身空でこんなことになってしまったし、一生、わからないままかもしれないけど」
突然だった。
堰を切ったように桃川が泣きだした。
自分の身体を支えられなくなったのか、桃川は倒れこんでぼくの胸に顔を押しつけ、おいおい泣く。
びゃーびゃー泣く。
ごうごう泣く。
どうにも泣きやむことができない自分をどうにかしたいのか、桃川はぼくの肩や腕に爪を立てる。
噛みついたりもする。
それでも涙は止まらないようだ。
ぼくはじっとしている。
重くても、痛くても、ひたすら我慢する。
どうせ手首、足首を縛られている。
いや、もし手足が自由でも、ぼくは同じようにじっとしていたかもしれない。
ひょっとしたら、泣きじゃくる桃川を抱きしめたかもしれない。
背中をさすって、髪を撫でたかもしれない。
ぼくは桃川を愛してなんかいない。
愛することはおそらくできないだろうが、たとえ愛していなくても、知っている人がひどく痛んでいるとき、とても苦しいとき、自分ではどうしようもないとき、やさしくすることくらいは許されるんじゃないだろうか。
桃川が道に迷っているとしたら、正しい道順を教えたり、手を引いて終着点まで連れていったりすることは、ぼくにはできない。
ただ、途方に暮れている彼女を慰めることくらいは、まあ、できなくはない。
そうした関係をどう呼ぶのか、ぼくにはやっぱりわからない。
でも、もしかするとそれは、友だち、ということになるのかもしれない。
桃川はおそらく、ぼくと友だちになりたくはないだろうが、じつのところ、ぼくはそうでもない。
ぼくはもう、この身体なので、異性とねんごろになることは、少なくともそう簡単には、よほど工夫しないことには、それでもいいと言ってくれるような相手が見つからないことには、基本的には無理だろう。
だとしたらぼくは、同性だろうと異性だろうと、友だちくらいにしかなることはできないのだ。
桃川が友だちであったとして、ぼくにとって困ることがあるだろうか。
とくにない。
あるいは、桃川がそれを望まなくても、ぼくが勝手にそう思っていればいいだけの話なのかもしれない。
友だちだと思っていれば、何かあったとき、こうして慰めてあげることくらい、ぼくにもできる。
なんとなくだが、桃川にはそういう存在が必要なんじゃないかと、ぼくには思える。
桃川には友だちがいたほうがいいような気がするのだ。
愛情も大事だろう。
けれども、友情だって大切だ。
何しろ、ぼくは今日、そのことを思い知らされたばかりなのだ。
桃川はたぶん、一時間近く泣いていた。
いきなりむっくり起き上がって、ぼくと目を合わせずに部屋から出ていったかと思うと、タオルを持って戻ってくる。
桃川はぼくの胸やら腹やら肩やらをタオルでふいて、それから、手首と足首を縛っていたビニール紐を鋏で切断する。
ようやくぼくは解放される。
身繕いをして立ち上がり、後頭部をさわってみる。
出血した形跡があって、たんこぶができているが、吐き気などもないし、おそらく大丈夫だろう。
桃川はうつむいてベッドに腰かけている。
ぼくはその隣に座る。
「友だちになりませんか」
「……は?」
桃川は呆れたような顔でちらりとぼくを見て、すぐに下を向く。
「何、言ってるの? バカじゃないの」
「いやかな」
「いやとか、そういう問題じゃなくて」
「ぼくは、もうきみもわかってくれていると思うけど、きみの恋人にはなれそうにない。でも、友だちになら、たぶんなれる。きみがいやでなければ」
「そんなの、無理」
「そう。残念だよ」
ぼくはふたたび立ち上がり、床に置かれていた鞄など、自分の荷物を持つ。
このマンションがどういった間取りになっているのかは不明だが、迷宮でもあるまいし、玄関まで辿りつくことくらいはできるだろう。
もちろんぼくは、一人で出てゆくつもりだった。
桃川がついてきて、そこ左、とか、そこのドア、とか、後ろから小声で指図してくれることなんて、まるで期待していなかった。
そうしてくれてありがたかったが、それにしてもこの家は荒れ果てている。
たいそう散らかっているのに、奇妙なほど生活臭というものがないのだ。
リビングにはカップ麺やカップ焼きそばの容器がうずたかく積まれていたが、どういうわけかどれもちゃんと洗われている。
桃川の部屋も、考えてみると何かおかしかった。
洋服だ。
大量の衣類があって、たたまれていないものも多かったのに、どれも、脱ぎっぱなし、というふうには見えなかった。
たぶん、洗濯はしているのだろう。
もしかすると桃川は、整理整頓することだけが、どうしてもできないのか。
それでいて、判で押したように同じ行動を繰り返す。
桃川は、家ではインスタントのラーメンと焼きそばばかり食べて暮らしているのかもしれない。
両親は。
きょうだいはいるのか。
ぼくにはわからない。
家族の気配はまるで感じられない。
玄関にも、桃川とぼくの靴しかない。
ぼくの靴は、なぜかちゃんと揃えられている。
ぼくは靴を履いて桃川と向かい合う。
桃川はうつむいて、右手で胸元あたりをぎゅっとつかみ、左手でシャツの裾を押し下げている。
シャツはもうはだけていない。
ボタンは一番上と二番目以外、すべてとめられている。
「じゃあ、帰るよ」
「帰ればいいでしょ。勝手に」
「うん。また明日」
ぼくは桃川に背を向けようとする。
袖をつかまれる。
「あの」
桃川は何か言おうとして、言えないでいるようだ。
ぼくは待つことにする。
桃川の手が震えている。
肩も。
頭も。
そして、声も。
「……こ、断っても、いいから。叫んだりとか、しないから。死ぬとか、言わないから。他のことも、しないから。我慢、するから」
「うん」
「ほんと、だよ? ほんとに、やだったら、断ってもいいから」
「うん」
「最後に」
桃川は顔を上げる。
「一度だけ」
そうして、ぼくをまっすぐ見る。
すがるように、ぼくを見つめる。
「キス、してください」
ぼくは桃川を抱き寄せる。
桃川は最初、身体をこわばらせていたが、やがて力をゆるめてぼくに身を委ねてくれる。
ぼくは桃川の背中を撫でる。
頭を撫でる。
子供みたいな人だと思う。
桃川はきつく目を閉じて、唇を噛んでいる。
ぼくはその瞼に唇を寄せる。
ぼくの唇が濡れる。
「また明日」
ぼくはもう一度そう言って、桃川のマンションをあとにする。
地下鉄を降りて、第二エントランスでエレベーターを待っていると、ラインが届く。
桃川からだ。
またあしたね
絵文字入りで、そう書かれている。




