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ぷりるん。  作者: 十文字青
4章 みうみう

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23。ラブレス

 何か、やわらかい、冷たいものが唇にふれる。


 液体だ。

 冷たい液体が口の中に流しこまれる。

 ぼくはそれを飲む。

 水。

 暗い。

 何も見えない。

 本当に、真っ暗だ。

 真っ暗というか、真っ黒だ。


 ぼくはやがて理解する。

 目隠し。

 そう。

 ぼくは目隠しをされている。

 それから、両手を上げた体勢で、手首を縛られるか何かして固定され、足首も同じように固定されている。


 ぼくは仰向けに寝ている。

 下はやわらかい。

 枕。

 やけに冷たい。

 氷枕だろうか。


 どうやらぼくは、布団かベッドの上に寝ているようだ。

 寝かされている。


 頭を動かすと、後頭部が疼く。

 そうか。


 ぼくは殴られたのか。

 後ろから何か硬いもので一撃された。

 そうして、気絶した。


 なんてことを。

 死んでしまったらどうするんだ。


「……桃川」

 桃川はぼくのそばにいるはずだ。

 気配を感じる。

 さっき、ぼくに水を飲ませた。

 あれはたぶん、口移しだ。

「桃川。いるんだろう」


「いるよ?」

 ベッドが軋む。

 そう。

 やはりぼくはベッドに寝かされている。


 桃川はぼくの脇腹の横あたりに腰を下ろしたのだと思う。

 屈みこんできて、おそらく今、桃川は至近距離にいる。

 手をのばし、ぼくの髪を指で梳く。

「痛い? 頭」

「うん」

「思いっきり殴ったもの。木のバットで殴ったの。護身用なの。他に、よさそうなものが、なかったの。やりすぎたかな? ね? あたし、やりすぎちゃったね? あんなふうに、気を失って、ばったり倒れちゃうなんて、思ってなかったよ? 慌てちゃった。すごく、大変だったんだよ? 一人で、ここまで、運んでくるの」

「ぼくは、騙されたんだね」

「違うよ?」

 桃川の指が、ぼくの唇をつねったり、こねくり回したりしている。

「人聞きの悪いこと、言わないで? 騙すとか、そんなこと、考えてなかったよ? ほんとに、死のうと思ったよ? 非常階段のところに、いたの。座ってたの。けっこう高いし、屋上じゃなくても、飛び降りたら、死ねるでしょ? でも、ユラキくんが電話をかけてきたでしょ? だから、やめたの。死ぬのは、やめたの。最初、ユラキくんを殺しちゃおうと思ったの。でも、それもやめたの。言ったでしょ? あたしは、ユラキくんが好きなんだもん。好きなのに、殺すなんて、変だよね?」


「こんなことをして、ぼくをどうするつもりなんだ」

「それを、ね。考えてるところ」

 桃川の指がぼくの口腔内に侵入してきて、乱暴に舌をつまむ。

「舐めて? もっと、あたしの指、舐めて? いっぱい、舐めて?」

 次第に桃川の息遣いが荒くなってゆく。


 ぼくは何もしていない。

 桃川が勝手にぼくの舌をなぶっているだけだ。


「考えたんだけど、ね? よく考えたら、べつに、考えなくてもいいよね? だって、こうしておいたら、ここにユラキくんがいれば、何でもできるもん。どうしたっていいんだもん。考える必要なんて、ないよね? ね? 舐めて? もっと、もっと、もっと舐めて? ああ、あたし、すごく、気持ちいいよ? なんでかな? あぁ、指、舐められてるだけなのに、こんなに、はぁ、気持ちいいなんて、すごいよ、もぉ、うん、あたし、ふ、こんなに、ふ、ユラキくんのこと、はぁ、好き、なの、あ、かな? こんなの、初めて、だよ?」


 ぼくの口の周りは唾液にまみれている。

 桃川はようやく指を引き抜いてくれる。

 何かをじゅるじゅる舐めている音がする。

 桃川はきっと、自分の指をしゃぶっているのだろう。


「どうしよう。ユラキくん。あたし、我慢できないよ? ね? してもいい? いいよね? だめって言っても、するから。どうせ、ユラキくんだって、すぐよくなるよね? あたし、ユラキくんが、気持ちよさそうにしてる顔、すごく、好き。見たいよ。見せて?」


 桃川はぼくの目隠しを外す。

 桃川は白いワイシャツとショーツしか身につけていない。

 シャツの胸元は思いきりはだけている。


 桃川がぼくに口づけをする。

 舌を入れてくる。

 ぼくはじっとしている。


 桃川は荒い息をして自分の舌でぼくの舌をからめとったり吸ったりしながら、ぼくの服を脱がす。

 ぼくは制服を着ていて、制服は前開きなので、両手を上げて手首を縛られている状態でも脱がすことが可能だ。

 ベルトが外され、ファスナーが下ろされる。

 ズボンは膝あたりまで下げられてしまう。

 桃川がぼくにのしかかる。

 さかんに激しいキスをして、それからぼくの身体のあちこちをまさぐる。


 ぼくはたまにぞわっとすることはあるものの、それだけだ。


 桃川は自分の行為に熱中していて、まるで気づいていないらしい。

 桃川の手が、ぼくの股間にぶら下がっているだけのものを、ボクサーブリーフの上からつかむ。

 そこで初めて、桃川はキスをやめて、ちょっとだけ首を傾げる。

 すぐに再開して、そのうち、食べさせて?

 食べてもいい?

 食べてもいいよね?

 というようなことを言いながら、ボクサーブリーフをずり下ろし、ぼくの股間にぶら下がっているだけのものに顔を近づけてゆく。


 桃川はそれから、いろいろなことをする。

 最初のうちは、そういった行為に及んでいる自分自身に興奮している様子で、何か卑猥なことを言ったり、ぼくの顔を見たりしていたが、途中からは完全にむきになる。


 でも、むきになったところで、無駄なのだ。


 ぼくは、いろいろなことをされている、ということは感じるし、わかる。

 けれども、それだけなのだ。

 何をしても、それはただ、ぼくの股間にぶら下がっているだけなのだ。


「痛いよ、桃川」

 正直、桃川にいろいろなことをさんざんされた結果、その部分に何らかの損傷をこうむっているのかどうかも、ぼくにはよくわからない。

 ただ、痛いといえば、やはり痛い。


 ぼくの胸は耐えがたいほど痛んでいる。

 このからっぽな痛みは、まったくもって耐えがたい。


 桃川はようやくぼくのその部分から口や手を離してくれる。

 なんだか思いつめたような顔をしている。


 ぼくはどうだろう。

 たぶん、苦しそうな表情はしていないと思う。

 虚脱。

 あるいは、生をあきらめた瀕死の病人のような人相なんじゃないだろうか。


「……どうしちゃったの? これ……」

 桃川はぼくの脇腹の横に顎をのせて、その部分を凝視している。

 ぼくにしてみれば、そんなふうにじろじろじろじろと見られたくはないが、そうしてしまう気持ちもまあ、わからなくはない。


「見てのとおりだよ」

「たたない……ってこと?」

「うん」

「いつ、から?」

「さあ。いつからだろう。わからない。気がついたら、こうだった」

「どうして?」

「わからないよ」

「もしかして……」

 桃川はぼくのその部分から目をそらす。

 顔が青ざめている。


 そういえば、ここはどこなのだろう。

 内装や家具や調度、その他の置かれている物からして、女性の部屋らしくはある。

 普通に考えれば、桃川の部屋なのだと思うが、かなり汚いというか、散らかっている。

 とにかく、さまざまなものがそこかしこに雑然と積み重ねられていて、開きっぱなしのクローゼットからも中身があふれているし、外出するときの桃川の装いからこの部屋を想像するのは、ちょっと難しいかもしれない。


 そんなことを考えていたら、桃川がようやくまた口を開く。

「もしかして、あたしのせい?」

「もしそうだとしたら、桃川としては、ざまあみろ、という心境なのかな」

 ぼくは純粋に、そうなのかどうか確かめたくて訊いたのだが、ものすごい形相で睨まれる。

「なんであたしが、ざまあみろ、とか、ユラキくんに思わないといけないの? 何回も言ってるでしょ? あたし、ユラキくんが好きなんだけど?」

「本当に、そう思っている?」

「何が?」

「ぼくのことを、好きだって」

「そうだって、言ってるじゃない」

「ぼくはこのとおり、セックスできないよ」

「治るかもしれないでしょ?」

「可能性は否定できない。でも、治らないかもしれないよ。心因性とは限らない。何か別の病気かもしれないしね」

「……病院とかは」

「行っていない。行くつもりもない。今のところはね。考えられないよ。そんなことは。考えたくない」


 ぼくはため息をつき、天井を仰ぐ。

「お願いだから、せめてパンツを穿かせてくれないかな。手と足を自由にしてくれるなら、自分で穿くけど」


 桃川はボクサーブリーフを引っぱり上げてくれる。

 おかげで少しは人心地がついた。

「桃川」

「……なに?」


 桃川はぼくの脇腹の横に腰かけて、背中を向けている。

 白いワイシャツしか着ていないその後ろ姿は、控えめに言っても大変色っぽいはずだ。

 桃川は、美形とは言えないかもしれないが、とてもかわいらしい顔をしている。

 服装も、多少独特で、人によって好き嫌いは分かれるかもしれないが、ぼくは十分すてきだと感じる。


 それなのに、なぜ。

 どうして、この人は。


 そんなふうに考えてしまうのは、ぼくの勝手なのだろう。

 桃川には桃川なりの理由、必然性、どうにもならない欲求というものがあるのだろう。

 桃川はこうやって生きるしかないのだろう。

 ぼくごときにどうこう言われる筋合いはないのだろう。


 たとえば、ぼくに、桃川の人生を背負って、重荷を肩代わりして、一緒に歩いて、どこまでも歩いてゆく、そんな覚悟があるのなら、ああしたほうがいい、こうすればどうか、といったようなことを言う権利も、ひょっとしたら生じるかもしれない。


 そのかわり、権利と同等の義務も負わなければならないのだ。

 ぼくにはそんな覚悟はない。

 そんな覚悟をして、義務を果たすような余裕がない。

 権利も、べつにいらない。


「こんなことは、もうやめよう」

「何? こんなことって」

「不毛だよ。まさしく」

「そんなの、ユラキくんが決めることじゃないでしょ?」

「そうかもしれない。でも、ぼくはきみの要求には応えられない。精神的につらいものがあるし、肉体的にも不可能になってしまった。ぼくに何を求めても、きみは絶対に満足できないだろうし、だとしたら、こんなことをしても無駄だということになる」

「うるさい」

「桃川」

「うるさい。うるさい。うるさい」

 桃川は両手で耳をふさぐ。

 この人は、結局、こうなのだ。

 見たくないものは見ようとしない。

 聞きたくない声は聞かない。

 自分の望みにあうものだけを欲して、それ以外のものは拒否する。

 自分の望みに合致するものをくれそうな人を愛し、与えられるものを受けとって、そのときは充足するのかもしれない。


 でも、違うのだ。

 たぶん、充足したような気になっても、すぐに餓えて、渇く。

 なぜだろう。


 それはきっと、ぼくが思うに、桃川みう、あなたは、人を愛しているのでも、人に愛されているのでもないからだ。

 あなたはそれを愛だと思っているのかもしれないが、あなたも本当は、たぶん、知っているのだ。


 それはきっと、愛なんかじゃない。

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