19。ムナシー
不思議と晴れやかな気分だ。
嘘だ。
大嘘だ。
ぼくの外側はどうか知らないが、中身はからっぽだ。
早朝から朝になったころ、姉がお粥を作ってくれる。
ねぎと卵と味噌で味をつけたもの。
それから、生姜をきかせて鶏ガラで煮詰めた中華粥。
そして、山芋と海苔のお粥。
手際よく、三種類も作ってくれる。
ぼくは問われるまま最近の食生活について姉に話した。
そうしたら、こういうことになった。
こういうこと、というのは、消化のいいものを、少しずつでもいいから食すべし。
ぼくは姉からそう厳命される。
だから、ほんのちょっとずつではあるものの、ぼくは三種類のお粥を口にする。
これが一種類だけだったら、ほとんど食べられなかったかもしれない。
味の違うものを三種類用意してもらったおかげで、いくらか腹がふくれる。
結果、ぼくは眠気を催す。
「寝なさい」
姉がぼくに命じる。
「学校なんか休んでいいから。休みなさい」
ぼくは従う。
正直、登校できそうな気がしない。
それでぼくは、夕方まで眠る。
起きると、姉はいない。
書き置きがある。
ぼくが寝ている間に姉が作ってくれたのだろう食べ物のリストと、その在処が書かれている。
元気になろうとして栄養ドリンクやエナジードリンクのたぐいを買ってきて飲んではいけない、とも書き添えてある。
目が覚めたら検温しろ、とも。
ぼくは体温を測ってみる。
三十五度三分だ。
よくわからないが、平熱よりはだいぶ低いような気がする。
たぶん、体温が低いということは、低ければ低いほど、死体に近いということなんじゃないだろうか。
身体機能の少なくとも一部が不全であり、その状態が進めば、つまり悪化していったら、いつかは立派な死体ができあがるのだろう。
ぼくは姉が作ってくれた食べ物を少しずつ、気持ち悪くなったらすぐ中断して休憩し、本当に少しずつ、根気よく食べる。
このままでいいとは思わない。
現状よりもひどくなるのはもっと避けたい。
ぼくは元気になりたい。
現在のところはうまく働いていないらしい機能を、なんとか回復させたい。
夕方から夜になったころ、ぷりるんから電話がかかってくる。
どうせ、ぷりるん、しか言わないだろう。
ぼくは電話に出ない。
うずみにラインをしてみる。
帰ってきてください。
送ったメッセージの内容はそれだけだ。
レスはない。
夜、着信がある。
桃川からの報告だろう。
申し訳ないが、ぼくはあれを聞けるような状態じゃない。
音声通話の着信音が鳴りつづいては止まり、メッセージの通知音が鳴り、また音声通話の着信音が鳴りだしては止まり、そんなことが十数回繰り返されたあと、ようやくぼくのスマホは息の根を止められたかのように静かになる。
姉は午前零時半に帰ってくる。
ぼくは姉に一日の行動を話して聞かせ、腹に入れた食べ物の量を伝える。
「で、たつようになった?」
「わからないよ」
「試してみればいいか」
姉はぼくの股間をまさぐりはじめる。
ぴくりともしない。
ぼくはとくに落胆しない。
まったく期待していなかったからだ。
「だめみたいだよ」
「こういうのって、あたし、初めてなんだけど、なんか妙にむなしいね」
「そう」
「あんたはもっとむなしいんだろうね」
姉は突然、ぼくを抱きしめる。
ぼくは抵抗しない。
姉の言うとおり、ぼくはむなしい。
それは、悲しい、という気持ちにも似ているが、涙なんか絶対に出てこない、何も出てきやしない、そのことがわかっているので、いかんともしがたい、わきあがってくるいろいろなものが、あとからあとから消えてしまい、本当にどうにもならないし、どうしようもない。
そんな心情だ。
ぼくはそれから姉と一緒にお粥を食べる。
寝る前にうずみに長いメッセージを打ってみるが、どうしても送信することができない。
そのまま寝入ってしまう。
二時間後、突然目が覚めて、未送信のメッセージを削除する。
ぼくはもう一度、眠る。
比較的、よく眠れる。
明くる日は登校する。
ぷりるんは地下通路で何か言いたそうにしている。
地下鉄で顔をあわせた知人たちとは、普通に挨拶したり、世間話したりできたと思う。
クラスの仲よしグループとも、それなりに仲よしグループの一員として接することができたような気がする。
桃川はときおりぼくをキッと睨みつけるが、それ以外は平静を装っている。
昼食は姉が作ってくれた弁当を食べる。
少なめだったし、あっさりしたものばかりだったので、なんとかぜんぶ平らげることができる。
放課後、教室をあとにしようとしたら、可賀池ノボルに呼び止められる。
「おまえさ、大丈夫?」
「うん」
「昨日、実際、なんで休んだの?」
「風邪をひいたんだ」
「無断欠席だったんだろ。先生が言ってたし。誰か何か知んねーかって。おまえんち、妹とかいるじゃん。てゆーか、風邪くらいなら、自分で電話するくらいできんじゃん」
「そういう気分になれなかったんだよ」
「おまえ、痩せたじゃん」
「そうかもしれない」
「大丈夫?」
「うん」
「マジで?」
「本当だよ」
「じゃあさ、今日、これから付き合わね?」
ぼくは迷うが、承諾する。
断る理由が見つからなかったからだ。
もちろんこれは肯定的な意味じゃない。
否定的というか、きわめて消極的な意味だ。
もしそのときぱっと何か適当な理由を思いつくことができたら、ぼくは断っていただろう。
ぼくの身体も頭も鈍っていて、思考力が極端に低下していたのだ。
そうでなければ、その後の展開をある程度、予測することくらいは容易にできたに違いないし、何でもいいから可賀池ノボルの誘いを拒否したほうがいいというのは自明の理でしかなかったはずだ。
可賀池ノボルとぼくは瓦町に出向いて、ファーストフードの店に入る。
ぼくはコーヒーだけ頼んだが、これが失敗だった。
今のぼくの胃にコーヒーは決してやさしくない。
「なんかさあ。あれだよね。最近、微妙だよね」
可賀池ノボルはフライドポテトやパイ的なものをコーラで流しこみながら、ぼくと目をあわせずにぽつりぽつりと話す。
「微妙っていえばさあ。高田がさあ。高田っつっても、ジュンジでもフミオでもミヅエでもねーよ。タカオのほうだよ」
「うん。それはなんとなくわかっている」
「あれなんだよなあ」
しばしば空白のような沈黙が生じる。
ぼくにとっては、とくに苦痛でもない。
ただ、座っている間に驚くほどの時間が流れている。
このごろ、そんなことはよくある。
空白はぼくの頭の中にも空白を生みだすらしい。
空白の中には、当然、何もない。
そのとき、ぼくはただからっぽなのだ。
可賀池ノボルにとってはどうなのだろう。
「あー……」
可賀池ノボルは右手で口の周りをこすりながら、左手の中指と薬指でテーブルを何度も何度も叩く。
脚を組みかえる。
それから、貧乏揺すりを始める。
ぼくはいつの間にか、からっぽではなくなっている。
可賀池ノボルを観察している。
「あれだよな、つまり、さあ……」
そうかと思うと、ぼくはまたからっぽになっている。
「あのさ」
声をかけられて、ようやく我に返る。
「飲まねーの?」
「うん」
「なんで?」
「コーヒーは、あまり」
「何それ。なんでやねん。だったら、頼むなよ。飲めねーのに頼むって、おまえ」
可賀池ノボルはやけになったように笑う。
そのうち無理やり笑うのに疲れてしまったようだ。
「カラオケでも行くかあ」
二人で?
そうツッコむべきだったのかもしれない。
けれども、ぼくはひたすら消極的で、そんなことすらできない。




