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ぷりるん。  作者: 十文字青
3章 ぐでぐで

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18/30

18。しずか

 うずみの外泊が二日つづく。

 姉は深夜、帰宅したが、酔っ払っていて、何か話せるような状態じゃない。


 ぼくはひどくぼんやりしている。

 リビングのソファーに座っているのだが、いつからこうしているのか、どうしても思いだすことができない。


 ぼくは、うずみが二日つづけて外泊してまだ帰ってきていない、と思っているが、それは本当に二日なのか、と問われると、あまり自信がない。

 三日かもしれないし、四日かもしれない。

 カレンダーの日付を見ても、はっきりしない。

 それはそうだろう。

 リビングのカレンダーは前の月のままだ。


 さっきまで夕方だったはずなのに、もう暗い。


 ぼくは電気をつける。

 コップを持っている。

 水を飲んだのか。

 半分くらい残っている。


 テレビをつける。

 うるさい。

 うるさい。

 うるさい。

 うるさい。

 頭痛がする。


 ぼくはテレビを消す。

 リモコンはどこだろう。

 もうテレビは消えている。


 コップの水はまだ半分残っている。

 何か食べないといけない。

 今朝から何も食べていない。

 今朝から?

 昨日からだろうか。


 スマホが鳴る。

 どこだ?

 床に転がっている。

 何だ。

 ぷりるんからか。

 無視していたら、そのうち着信音は鳴りやむ。


 ぼくはテレビをつける。

 うるさいので、音を消す。

 姉はおそらく水商売のアルバイトをやっているのだろう。

 昼間も何か別のアルバイトをやっているのだろう。


 ぼくは天井を見上げる。

 何か食べないといけない。

 何を食べよう。

 食べ物のことを考えると、吐き気がする。

 考えるのをやめよう。


 スマホが鳴る。

 桃川の報告を一時間くらい聞いている。

『ね、ユラキくん?』

「はい。何ですか」

『大丈夫?』

「うん」

『それなら、いいけど』

 ぼくは音声通話を終了させるためのボタンをタップし、スマホを携帯電話を床に放る。


 桃川に心配されるようになってはお終いだ。

 お終いだ。

 本当に、お終いだ。


 ぼくは笑おうとする。

 どうしても、笑えない。


 玄関のほうで音がする。

 ぼくはソファーから立ち上がろうとする。

 立ち上がらないのか、立ち上がることができないのか。

 リビングのドアが開く。


「ただいま」

 制服姿のうずみだがそこにいる。


 ぼくはうなずく。


 うずみはリビングの入口のところから動かない。


 ぼくも動かない。


 ぼくは何をやっているのだろう。


「……の、やめてよ」

 うずみが何か言う。

 よく聞こえない。

 訊き直したいのは山々だが、なんだかひどく億劫だ。


「そういうの、やめてよ」


 ぼくはうずみを見る。

 うずみはうつむいて両の拳を握りしめている。

「やめてよ。そういうの。あてつけがましい。その態度。何なの? やめてくれない? きもいんですけど。頭にくるんだけど。やめてよね。むかつく。いいかげんにしてよね」


 何か言い返したい。

 でも、何も浮かんでこない。


 うずみは、もうやだ、と吐き捨てるように言って、唇を噛む。

「ほんとにやだ。最悪。こんな家。出てくから」


 どこへ行くんだ。

 家を出て、どこへ行くつもりなんだ。

 ぼくはそう言おうとする。

 言葉を発しようとしたはずなのに、なぜか立ち上がっている。


 うずみは肩を震わせている。

「もう、やだよ」

 嗚咽がこぼれる。

「何なの。なんで、こうなっちゃったの」

 泣いている。

「なんで、こうなるの。こんなの、耐えられないよ。耐えられない。もう、やだ」


 うずみは背中を向けてリビングから出てゆく。

 自分の部屋へ向かったのだろう。

 ぼくは立っていることができず、ソファーに座り直す。


 どれくらい時間が経ったのか、ぼくにはわからない。

 うずみの部屋のドアが開く音がする。

 シャワーでも浴びるのだろうか。

 違う。

 玄関だ。


 ぼくはソファーから立ち上がってリビングを出る。

 うずみは靴を履き終えようとしている。

 上がり口に大きなバッグと学生鞄が置かれている。


「ちょっと待て」

 ぼくは手をのばす。

 まるでマンガみたいな仕種だ。

 うずみはぼくを睨みつけてから、バッグと学生鞄を持って出てゆく。


「ちょっと、待て」

 そんなことを言ったところで、もう玄関のドアは閉まっている。

 うずみはいない。


 ぼくは遅まきながらあとを追う。

 サンダルをつっかけて、外に出て、うずみの姿は見あたらなくて、エレベーターのところまで行くと、うずみが乗っているだろうエレベーターは動いていて、ぼくは非常階段で下りるべきか、それともエレベーターを待つべきか迷い、結局、階段を使うことにしたが、足がもつれて、すぐに息が切れて、もう少し、あとちょっと、あと一階、という具合に、こんなことで必死になってどうする、と自分で自分に言いたいくらいのひどい有様で、一階までたどりついたはいいものの、うずみはどこへ行ったのか、第一エントランスのエレベーターのところまで行って確かめると、どうやらエレベーターは地下にあるようで、ということは、うずみは第二エントランスから出たのに違いなく、ぼくは地下へ向かい、第二エントランスから地下通路を通って、地下鉄の駅まできたはいいが、うずみはどこにもいない。


 これは無理だと判断せざるをえない。

 戻るしかない。

 家に戻って、それで、どうするのか。


 ぼくは地下通路まで引き返したところで力つき、壁に背中をもたせかけてしゃがむ。

 体力の回復を待つつもりだったのだが、意識を失っていたような気がする。

 重いのだか軽いのだかよくわからない身体を引きずって、家に戻る。

 時計を見ると、午前一時を回っている。


 ぼくはスマホでうずみにメールかラインを送ろうと思いたったが、まず間違いなく返事はこないだろう。

 やめておく。


 うずみは帰ってくるだろうか。

 どこへ行ったのだろう。

 ぼくはうずみの部屋に入る。

 何か手がかりはないかと思い、机の引きだしの中などを漁ってみたが、よく整理整頓されていることしかわからない。


 だいたい、ぼくはしてはいけないことをしている。

 家族の間といえども、守られるべきプライバシーはあるだろう。

 それに、ぼくとうずみは血が繋がっていないのだ。

 さりとて、兄と妹という関係であることに変わりはないはずだが、変わってしまったように思えてならない。


 結局、いろいろな要素が絡んだ結果であるとはいえ、うずみが恐れていたとおりになった、ということなのだろうか。


 変わってしまった。

 壊れてしまった。

 そうなのかもしれないが、ぼくにはもう、よくわからない。


 わからなかった。

 本当にまったく気づかなかった。

 疑ったこともなかった。


 その間、うずみは知らないふりをしていたのだ。

 知らないふりをしてくれていたのだ。

 まるで仲のいい兄妹のように振る舞ってくれていた。


 うずみはぼくのことを好きだったらしい。

 ぼくにしてみれば、なぜぼくのような者を、という思いがある。

 それでも、うずみはぼくのことを好きだったのだ。

 蓼食う虫も好き好き、という言葉もある。

 うずみが誰を好きになろうと、それは自由だ。

 自由ではあるが、問題が生じることもある。

 相手がぼくというのは、やはりまずい。


 うずみだって、それくらいわかっていただろう。

 わかっていたのだ。

 だから、言えなかったのだ。

 言って何かおかしなことになってしまうよりも、仲のいい兄妹のふりをしつづけるほうがいい。

 それがうずみの判断だった。


 賢明な判断だったと言えるかもしれない。

 血が繋がっていなかろうと、所詮、兄と妹、たとえお互いにその気があったとしても、どうにもならないのだ。

 発展性のない、望みのない思いを、うずみは抱えていたのだ。

 だから、封じこめるしかなかったのだ。

 胸の奥に閉じこめて、ぼくのために朝食を作り、弁当を作り、たまには昼食を作り、夕食を作ってくれていた。

 ハートマークの弁当を作ってくれていた。


 これはお世辞でも何でもない。

 うずみが作ってくれた弁当はうまかった。

 というよりも、おそらく、ぼくの好みをうずみは熟知していた。

 ぼくは桜でんぶも海苔も大好きなのだ。

 唐揚げ、ウインナー、卵焼き、そうした子供が好みそうなものが、ぼくは基本的に好きだ。

 ナポリタンのスパゲッティとか、オムライスとか、カレーライス、ハンバーグ、シチュー、そうしたものがぼくは好きだ。


 ついでに、ぼくは冷凍食品があまり得意じゃない。

 最初のころ、うずみは冷凍食品をよく利用していた。

 そのうちやめた。

 ハンバーグやコロッケなども、作り置きして冷凍して、弁当のおかずにするという方法をとるようになった。


 ぼくは考えたこともなかった。

 うずみはどんな気持ちでぼくのために弁当を作ってくれていたのだろう。


 こんな状態になってから、ぼくは自分のものは自分で洗濯しているが、以前は違った。

 これからは、それぞれ洗濯しようか、と提案したこともある。

 妹であっても年ごろになれば、兄の汚れた下着なんかには手もふれたくなかろうと考えたのだ。

 うずみは、いいよ、気にしなくて、と答えて笑った。


 うずみはたまに、夜、ぼくの部屋に忍びこみ、ぼくの顔に落書きをしたり、ぼくの所持品から何か抜きとったりなどの悪戯をすることがあった。

 そのとき、どんな気持ちで寝ているぼくを眺めていたのだろう。


 桃川と何やかんやあったあと、落ちこんでいたぼくにうずみが言った。

 自分に話してみてはどうか、と。

 ぼくは、妹に話せるようなことじゃない、といった答え方をしたような覚えがある。

 うずみはひどくがっかりしていた。

 それから、おそるおそる、静かに、やさしくぼくの背中を撫でてくれた。

 あのときうずみはどんな気持ちだったのか。


 帰りが遅い日が増えたぼくを見て、うずみはどんな気持ちでいたのか。

 ぼくは考えたこともなかった。


 だって、ぼくは知らなかったのだ。

 仕方ない。

 だとしてもぼくは、うずみを傷つけてきた。

 たくさん、傷つけた。

 それはおそらく事実なのだ。


 せめて、うずみの相手が、そう悪くない、できれば人格的にすぐれていて、良識があって、自制心があって、覚えたてかどうか知らないが、性行為にうつつを抜かすようなことはなくて、うずみの将来のことも考えてくれて、手助けしてくれる、そのような男性であることを、ぼくは願っている。


 願うことしか、ぼくにはできそうにない。

 それ以外のことをする資格が、たぶん、ぼくにない。


 ぼくはリビングにいる。

 ソファに座っている。

 空は白みはじめている。

 電気を消す。

 テレビも消す。

 玄関のほうで音がする。

 うずみではないか、とはこれっぽっちも思わない。


 姉は意外にもしっかりした足どりでリビングに入ってくる。

「ただいま。何。あんた、何してるの」

「べつに、何も」

「ふーん」

 姉はバッグを放り投げて、キッチンで水を飲んでから、ぼくの隣に座る。

 酒くさくはない。

 ただ、タバコくさい。


「今日は酔っていないんだね」

「最近、飲みすぎで、なんか調子悪くて。ほとんど飲まなかった。仕事終わったあと、アフターでカラオケ行って金もらってタクシーで帰ってきた」

「そう」

「うずみ、いないの?」

「うん」

「これで何日?」

「さっき、じゃないかな、もう。夜、一度帰ってきて、それから、出ていったんだ。大きな荷物を持っていった。しばらく帰ってこないかもしれない」

「家出か。男いるのかな。そうは思えないけど」

「いると言っていた」

「へー。あたしの読みが外れるとはね」

「姉さんは、心配じゃないの?」

「なんで?」

「血を分けた妹じゃないか」

「あんたにとっては血を分けてない妹だね」

「でも、妹だよ」

「うずみはそう思ってなかったんでしょ?」


 姉は知っていたのか。

 それはそうだろう。

 姉のことだ。

 仮に直接、うずみから聞いていなかったとしても、気づかないはずがない。


「何? うずみ、そのあたりも言ったの? あんたに? 直接? うわ。バカだねえ、あの子。やめときゃいいのに。どうせ、そのうちどうでもよくなるのに」

「うずみは、悪くない。ぼくが悪いんだ」

「自分を責めたって、何も解決しないよ?」

「じゃあ、誰を責めればいいんだ」

「親とか? あの人たちは責められてしかるべきだと思うけどね」

「そういう問題じゃないんだ」

「じゃあ、どういう問題?」

 姉が手をのばしてくる。

 肩を組む恰好になる。

 姉はその手でぼくの頬を撫でる。

「ねえ? どういう問題なの?」


「それは」

「答えられないでしょ? わからないんでしょ? わからないくせに、さもわかってるようにしゃべるやつって、あたし、嫌いなんだよね。なんでかわかる?」

「さあ」

「たいていさ。バカなやつって、なーんにもわかってないのに、わかってるふりをしたり、わかってるつもりになってる。世の中にはそういうバカが多い。じつに多い。あたし、バカが嫌いだからさ。人間にはね。限界があるでしょ。何でもかんでも知ってるやつはいない。森羅万象を知りつくしてるやつなんているはずがない。賢い人間は、自分は何を知ってて、何を知らないか、ちゃんとわかってる。区別して、整理できる。バカはね。迷惑だし、損をするんだよ。騙されやすいし、利用されやすいからね。あんた、バカになりたいの? なりたくないなら、わからないことを、わかってるように言うのはやめなさい。まだ間に合うから」


 姉の指がぼくの顎や唇をまさぐっている。

 ぼくは知りたい。

 ぼくは今、何をわかっているのか。

 何をわかっていないのか。


 姉は賢い人だ。

 もし、ぼくが知りたいことを姉が教えてくれるというのなら、ぼくは土下座でも何でもするだろう。


「うずみのことは、放っとけばいい」

 姉の指がぼくの唇をこじ開けて、歯をなぞる。

「あの子、あたしよりは頭が悪いけど、どうしようもないほど愚かなわけじゃないから、自分のことは自分でなんとかするよ。できなきゃ、どうにでもなっちゃえばいいんだし。あんたが心配する必要なんてない」


 姉がぼくの耳たぶに唇を押しあてる。

「大丈夫」

 ぼくの耳の穴に姉の舌が侵入してくる。

「だから、やろ? あんた、もう童貞じゃないんでしょ? いいじゃない、一回くらい。べつに問題ないでしょ? うずみもねえ。そんなにあんたのことが好きなら、やっちゃえばよかったのにね? あたしなら、やるけど。あたしと、あんたと、うずみ、三人でやるっていうのもいいかもね? 想像したら、興奮しない?」

 姉の手がぼくの股間にふれる。

「ねえ? どういうこと、されたい? あんた、一応、弟だしね。特別サービス。今なら何でもしてあげるよ?」


 姉の手の動きは荒々しい。

 鼻息が荒い。

 ぼくは静かだ。

 呼吸も乱れていない。

 なぜか、ぼくは静かだ。

 あまりにも、静かすぎる。


 姉も気づいたようだ。

 姉はぼくの耳をねぶるのをやめる。

 姉の手が、ぼくの股間にぶら下がっているものを、その形を確かめるようになぞったり、つかんだりする。


 それから、こする。

 いろいろな方法で猛烈に刺激する。


 ぼくは静かだ。

 心も、そして身体も、燃えつきてしまった灰のように静かだ。


 姉はようやくあきらめたらしい。

 ぼくらは並んでソファに座っている。

 朝がきた。

 窓を開けたら、鳥のさえずりが聞こえるかもしれない。


「……あんた、もしかして」

 ためらったあげく、なのかもしれない。

 姉には似つかわしくない、おずおずした声音だ。

「たたないの?」

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