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ぷりるん。  作者: 十文字青
3章 ぐでぐで

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15/30

15。いえない

 どうしよう。

 うずみが無断外泊をした。


 それでも、というべきか、それなのに、というべきか、ぼくは登校する。

 当然、学校にいても気が気でない。

 早めにさっさと帰宅する。


 もちろん、うずみには何度もラインをしているし、電話もかけているのだが、返信はなく、電話にも出てくれない。


 姉はアルバイトのようだ。

 誰もいない、というか、ぼくしかいない家で、ぼくはうずみの帰りを待つ。

 というよりも、帰ってきてくれることを願っている。


 今日も帰ってこなかったら、何かの事件に巻きこまれたとか、あるいは家出したとか、そういった可能性を考慮しなければならなくなるだろう。

 そんなことは考えたくもない。

 いやだ。

 冗談じゃない。

 絶対に、いやだ。


 とりあえず、帰ってきてくれさえすればいい。

 それ以外、それ以上のことは何も望まない。

 妹よ、お願いだから、帰ってきてください。

 兄からの、たった一つのお願いです。


 血は繋がっていないし、このごろは自殺念慮に襲われて、なんだか心が折れそうになっている気もしなくはないし、いや、そんなことはどうでもいいか、振り返れば、兄らしいことをどれだけしてこられたか、まったくしてこなかったとは思わないけれども、理想的な兄、というものがあるとしたら、きっとそれには及びもつかないだろう、そんなぼくではあるのだが、それでもぼくは一応、あなたの兄なのだ。

 兄として、願う。

 どうか、どうか、帰ってきてください。


 玄関のドアを解錠する音がする。

 ぼくはリビングから飛びだす。

 玄関のドアが開く。


 うずみだ。

 帰ってきた。


 うずみはちらりとぼくを見てから、靴を脱ぐ。

「ただいま」

「おかえり」


 何日ぶりだろう。

 わからない。

 ずいぶん久しぶりのような気がする。

 かなりしばらくぶりの、それが兄妹の会話だった。

 いや、会話と呼べるようなものじゃない。

 単なる挨拶だ。


 うずみは洗面所で手洗い、うがいをして、自分の部屋へと向かう。


 ぼくはリビングのドアのところに立ちつくしている。

 もしかしたら、うずみはもう部屋から出てこないんじゃないか。

 部屋の窓から抜けだしていたりして。


 無理か。

 わりと高層マンションなのだ。

 そんなはずがない、と首を横に振っていると、制服から私服に着替えたうずみが部屋から出てくる。


 ぼくはリビングに引き返して、ソファーに腰を下ろす。

 うずみもリビングに入ってくる。


「昨日はなぜ帰ってこなかったんだ」

 ぼくは自分で言っておいて驚いている。

 やたらと高圧的な声音だったからだ。

 言葉遣いもなんだか乱暴だった。


 うずみはキッチンで水を飲んでいる。

 コップをゆすぎ、ため息をつく。

「関係ないでしょう」

「関係ないことはない」

 これでもぼくは、できるだけソフトなトーンで話そうと心がけている。

 ところが、ぜんぜんできていない。

 どうしてだ。


「きみがどう思っているかは知らないけど、ぼくはきみの兄だ。うちには親がいない。いや、いないわけじゃないけど、ほとんどいないに等しい。ぼくはきみの兄だし、きみが中学生にふさわしくない行動をとろうというのなら、それを掣肘しないといけない」

「じゃあ、あなたは高校生らしい行動をとってるの?」

「あなたとは何だ」

「どう呼べばいいの? おにいちゃん? なんか、変」

「ずっとそう呼んでいたじゃないか」

「おねえちゃんとキスするような人だとは思ってなかったから」

「したくてしたわけじゃない」

「でも、拒否しなかった」

「ぼくは混乱していたんだ。知らなかったんだ。何も知らなかった。ぼくだけが知らなかった。ぼくだけ蚊帳の外だったんだ。おかしいじゃないか。ぼくのことなのに。ぼくだけ知らされていなかったなんて、それこそ、なんか、変、だ」


 大声を出しているわけでは決してない。

 声量は普通だ。

 口調も淡々としている。

 ぼくの気持ちを、ぼく以外の何者かが冷静に解説しているかのようだ。

 そのように感じられるということは、それがぼくの真情だということなのだろう。


「何のつもりだったんだ。きみは知っていたんだろう。ぼくと血がつながっていないことを。それなのに、知らないふりをしていたんだろう。つまり、ぼくは欺かれていたんだ。ぼくはまったくそのことに気づかなかった。ぼくにそのことを気づかせない、名演技だった。きみは役者になれるかもしれないね。その才能があるんじゃないかと思うよ。ぼくは恥ずかしいんだ。何も知らずに、兄のように振る舞っていた自分が恥ずかしい。あのとき、きみは知っていたんだと思うと、名状しがたい気持ちになるんだ。ぼくは理由が知りたい。きみはどうして黙っていたんだ」


「きみ、きみ、きみって言わないでよ!」

 うずみが両耳をふさいで声を荒らげる。

 ぼくは短く息をついてうなずく。

「すまない。うずみ。知っていたなら、どうして言ってくれなかったんだ」

「言えるわけないでしょ! いつ、どうやって言えばいいか、そんなの、うずみが決められることじゃないもの!」

「たしかに、それはそうかもしれない」

「言えないよ! 言ったら、何かがおかしくなっちゃうかもしれないし! 変わっちゃうかもしれないし! 実際、こんなふうになってるじゃない!」


 ぼくは弁解するべきなのだろうか。

 こんなふうになってしまっているのは、そのことだけが原因じゃない。

 むしろ、そのことは副次的な要因にすぎない。


 言えない。

 言えるはずがない。

 うずみに、仮にも妹に、言えるようなことじゃない。


 うずみはゆすいだコップにもう一度、半分くらい水をついで、少しだけ飲む。

「……言えないよ」


「そうだね」

 ぼくは同意する。

 知っていたなら、教えてくれ。

 そんなことをうずみに言うのは、やはり間違っている。

「八つ当たりだった。この件に関しては、ぼくが悪い。ごめん」

「言えるわけ、ない」

「そうだよね」


「だって……」

 うずみはコップに入っている残りの水を飲み干す。

 そうして、こちらを見る。

「おにいちゃんが、好きだったんだもの」


 うずみはなぜ泣きそうな顔をしているのだろう。

 ぼくにはよくわからない。

 うずみが言ったことを、どう解釈すればいいのだろう。


「最初は、おにいちゃんとして、好きだった。おかしいことじゃないと思ってた。でも、なんだか違うような気がして。他の男の子のこととか、好きになったこと、なかったし。一番はいつもおにいちゃんで。二番なんか、なくて。おねえちゃんが嫌いだった。いっつもおにいちゃんを独り占めして。おにいちゃんに、変なことして。おねえちゃんがいなくなって、せいせいした。おにいちゃんが、好きで。好きで、好きで、しょうがなくて。変でしょ、そんなの。変だと思ったの。訊いてみたの。お母さんに。半分冗談のつもりで。おにいちゃんって、本当にあたしのおにいちゃんなのって。お母さん、こう答えたの。『そうよ、血は繋がっていないけどね』。それで、わかったの。うずみは、おにいちゃんのことが、ほんとに好きだったの。初恋の相手で、それからもずっと好きだったの。ほんとはね。言いたかったよ。おにいちゃんは、おにいちゃんじゃないんだよって。それで、うずみはおにいちゃんのことが好きなんだよって。でも、言えなかったよ。言えるわけないよ。言ったら、何かがおかしくなっちゃうかもしれないでしょ。変わっちゃうかもしれないでしょ。おにいちゃんの妹でいられなくなるでしょ。怖かったの。うずみは、怖くて言えなかったの。言ったら、壊れるって思ったの。おにいちゃんがそのことを知ったら、壊れちゃうんじゃないかって。ほら。やっぱりそうだったよ。おねえちゃんとキスなんかして。おにいちゃん、変になっちゃったでしょ。女の人とえっちなことばっかりしてたんでしょ。こんなふうになるのが、うずみは怖かったの」


 うずみは途中から涙を流している。

 肩を震わせてしゃくりあげながら話している。

 ぼくはただ見ていることしかできない。

 聞いていることしかできない。


 うずみはまたコップに水を入れて、嗚咽を漏らしながら、ほんのちょっとだけ飲む。

「でも、もういいの」


 ふふっ。

 自虐的な笑い声だ。

 ぼくにはそう聞こえる。


「好きな人、できたし。おにいちゃんのことは、もう好きじゃないし。その人のことが、好きだし。泊まったの。その人と。ラブホテルに泊まったの。だから、帰ってこなかったの。うずみはね。すっごく、好きなんだ。その人のこと。だから、うずみ、結婚するよ。結婚できる年になったら、すぐ結婚する。それくらい、その人のことが好きなんだもの。おにいちゃんのことなんか、もう好きじゃないから」


 うずみはまだ中学三年生だ。

 もし妹でなくても、こうしようと思うのだがどうだろうか、と問われたら、そんなことはおすすめできないと、ぼくは助言するだろう。

 結婚とか、どうとか、そういうことを考える年齢じゃない。


 しかし、中学三年生だからこそ、先走ってそのようなことを考えてしまうのかもしれない。

 とはいえもちろん、賛成なんかできるはずもない。

 好きにするがいい、と突き放すこともできない。


 ぼくはうずみの兄なのだ。

 でも、血が繋がっていないのだ。

 うずみはぼくを好きだったらしいのだ。

 まったく知らなかった。

 そんなことは想像したこともなかった。


 というか、待て。

 待ってくれ。


 泊まった?

 ラブホテルに?

 宿泊した?

 中学三年生の妹が?


 それはまずい。

 非常にまずい。

 それは、何というか、まだ早い。

 早すぎる。

 早熟化が叫ばれて久しいわけだし、そうでもないのか?

 いや。

 いやいやいや。


 そんなことはないはずだ。

 妹なのだ。

 ぼくの妹に限って。

 うずみに限って、そんなことは。

 馬鹿な。

 誰か、どこの馬の骨とも知らないやつと、そのような行為に及んだとでも?

 昨夜、やった、とでも?


 もしかして、初めてだったのか。

 そういう問題だろうか。

 わからない。

 自分が何を考えているのか、わからない。


 うずみがリビングから出てゆく。

 ぼくにはわからない。

 いよいよ、わからない。

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