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ぷりるん。  作者: 十文字青
2章 だんだん

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10/30

10。あれあれ?

 眠れない。

 桃川みうのことで手一杯なのに、あの姉まで帰ってきて、寝られるわけがない。


 ベッドで横になっていると、桃川みうと砂竹が裸で絡みあっている姿や、姉が自慰をしている姿が思い浮かんで、とても、とても、ものすごく悲しくなるのと同時に、本当にやるせないことに、劣情を催してしまう。


 ぼくは、でも、鉄の意志でもって、絶対にその部分をさわったりしない。

 それをしてしまったら、ぼくは立ち直れなくなる。


 脳内で勝手に繰り広げられる妄想の中で、ぼくは桃川みうと性行為に及ぶ。

 だが、そんなことは決して起こりえない。

 そう考えると、桃川みうはぼくをありとあらゆる方法で愛撫しはじめる。


 おかしくなりそうだ。

 いっそ、放出してしまおうか。

 何度もそう思う。

 ぼくは耐える。

 耐えに、耐える。

 歯を食いしばって耐えている。


 スマホが鳴る。

 どうしよう。

 ていうか、誰なんだ。


 ぼくはベッドの上で何度も寝返りを打つ。

 着信音は途切れない。

 とうとうぼくは根負けする。

 スマホを手にとると、ディスプレイにはぷりるんの名前が表示されている。

 ラインじゃない。

 音声通話でもない。

 電話だ。


 着信を拒否しようかとも思う。

 できない。

 ぼくは電話に出る。

「もしもし」


 返事はない。

 無音だ。

 いや。

 息をのむような音が聞こえる。


「もしもし。何も言わないなら、切るけど?」

『ぷりるん』

「……それは何も言っていないのと同じだ」

『ぷ……ぷり』


 動揺しているらしい。

 ぼくは待つ。

 しゃべれ。

 いいかげん日本語をしゃべってくれ。

 しゃべれないならしょうがないが、そうじゃない。

 しゃべれるじゃないか。

 だったら、しゃべれ。


 べつにぷりるんがぷりるんしか言わなかろうが、しゃべらなかろうが、どうだっていいのだが、すっきりしない。

 もやもやする。


『ぷり』

 そうだ。

 声を出せ。

『ぷりるん』

「切るね?」

『ぷりるん! ぷりるん! ぷりるんぷりるん!』

「切るよ」

『ぷりるん』

 観念したような声音だ。

 それでいて、あちらから切る気配はない。


 ふと思う。

 電話が切れて、ぷつっ、つー、つー、という音を聞くのと、その音を相手に聞かせるのとでは、どちらがせつないだろう。


「じゃあ、また明日」

 ぼくは電話を切る。


 ぷりるんのおかげで、煩悩は去っている。

 やつが役に立つこともあるなんて。

 新たな発見だ。


 喉が渇いている。

 トイレにも行きたい。


 ぼくは部屋を出て、まずトイレで排尿する。

 リビングは暗い。

 姉も自室で寝たのだろう。

 このマンションは4LDKで、姉がアメリカに渡ってからも、部屋はちゃんと残してある。


 リビングのドアを開けた瞬間、閉めたくなったが、ソファーの上に寝転んでいる姉はどうやら眠っているようだ。

 やはりタンクトップとショーツしか身につけていない。

 身体をソファーの背もたれのほうに向けて、手足をちぢめ、丸くなっている。


 ぼくはだいぶ迷う。

 本当に、かなり迷ったのだが、こんな人でも血を分けた姉なのだ。


 姉の部屋へ行って、ベッドから毛布とタオルケットを引っ剥がし、リビングに戻ってくる。

 起こしてしまわないように、慎重に、そっと姉にタオルケットをかけ、毛布をかけると、重大な任務を達成した特殊部隊員のように安堵している。


 満足して、ぼくはキッチンで水を飲む。

 シャワーくらい浴びないとな、と思いながらリビングから出ようとしたら、姉がむくりと上半身を起こす。

「これ、あんたが、かけてくれた?」

「うん」

 ぼくは冷や汗をかいている。

 それにしても、相手は実の姉なのに、どうしてこんな極度の緊張を強いられなきゃいけないんだ。

 普通の姉じゃないからか。

 そうだ。

 そうなんだよ。

 ぼくの姉は異常者なのだ。


「寝ていたから。風邪をひくと、いけないし」

「ありがと」

「いえ。とんでもないです」


 やめてほしい。

 姉から感謝の言葉をかけられたことなんて、姉が非の打ち所がない天才美少女という役柄を放棄して以来、一回でもあっただろうか。

 たぶん、ないと思う。


 姉はタオルケットと毛布をぎゅっと抱きしめる。

 まるで、しがみつくように。

「あんた、大丈夫なの?」

「何が?」

「変だったでしょ」

「そうかな」

「女と別れた?」

「違うよ」

「そういえば、あんた、もうやった?」

「はい?」

「ファック」

「へ?」

「ええと……セックスのこと」

「いえ」

「じゃあ、まだ童貞なの?」

「そうですね」

「なんで?」

「そういう機会がなかったので」


 あなたのせいで、とは言えない。

 まあ、姉との出来事がなければ、今ごろとっくに女性とそのような行為に及んでいたとは、断言できないわけだし。


「さっさとすればいいのに」

「きっかけがないと、なかなか」

「その気になれば、きっかけなんていくらでも作れるでしょ」

「そういうものかな」


 実際、その気になりさえすれば、桃川みうとそのような行為に及ぶ機会はあった。

 でも、桃川みうの顔を思い浮かべると、ぼくの胸は鋭い杭を打ちこまれたかのように痛む。

 仮にそのような行為に及んでいたら、ぼくは後悔していたんじゃないか。

 絶対、悔いていたと思う。


「ぼくは、べつにいいよ」

「いいって?」

「とくに、したいとも思わないし」

「ありえないでしょ、そんなこと。子供が作れるようになったら、やりたくなる。そういうものなんだから」

「でも、ぼくはいいよ」

「それって、あたしのせい?」


 姉は昔から頭がよかった。

 今でもきっと、頭の回転はすこぶる速いだろう。

 だから、自分の行動が周りにどんな影響を及ぼしたか、及ぼしているか、ぼくが感じたこと、感じてきたこと、感じていること、すべてお見通しだとしても、まったく不思議じゃない。

 ぼくはこれまでその可能性について考えたことがなかった。

 むしろ、姉はぜんぶわかっているとぼくが考えなかったことのほうが、ずっと不自然だし、我ながら不思議でもある。


「お座り」

 ぼくは姉に指示された場所まで移動して正座する。

 つまり、姉の足許の床に。


 姉が右手をのばしてきて、ぼくの顎を人差し指と親指でつまむ。

「あたしとする?」

「は?」

「筆下ろし、してあげようか?」

「いや、それは」

「キスはしたじゃない」


 言わないでください。

 そのことは、どうか言わないで。


 あのとき、姉は二十歳で、ぼくは十三歳だった。

 大学に在学中だった姉は、夏休みに一時帰国して、もう酒を飲める年齢だったから、朝から晩まで飲んだくれていた。


 どうしてそうなったのか、くわしいことはよく覚えていないが、ぼくは姉に襲われて、唇を奪われた。

 というか、唇を舐めまわされて、舌まで吸われた。


 何を隠そう、それがぼくのファーストキスだった。

 精通事件に匹敵するということはさすがにないとしても、ぼくにとってはトラウマになっている。


「……だけど、それとこれとは」

「たいしたことじゃないでしょ?」

「いや、でも、姉弟だし、いくらなんでも」

「姉弟っていっても、血は繋がってないし」

「いや、そうはいっても――」


 ん?


 あれ?


 なんか……あれ?


 ちょっと……あれ?


 あれあれあれあれあれ?

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