小さな花火大会
「あの人は斎藤さんつって地元で漁師やってんだよ。同じ町内なのに昔からよく泊まりに来てるんだ」
広間の長テーブルで鍋をつつきながら、明宏先輩がそう教えてくれた。おばさんが用意してくれた料理は、旅館のそれと変わりのない豪華なものだった。
ひとりひとりに小さな鍋が用意され、変な固形物にチャッカマンで火をつけてるのをテレビで見たことあるだろ? それだ。
そして、中央には大きな舟盛り。斎藤さんが土産で大量の魚をくれたんだってさ。漁師の友達も悪くないかもな。
ただ、船上にドンと置かれた魚の頭が、途中から痙攣を始めたのは少しキモかった。「こいつ死んでねぇじゃん!」なんて伸治先輩が騒ぎ出し、麻里子先輩が刺身に手をつけるのをやめた。
市街地と違い、ここではクーラーなんてものは必要ない。間仕切りを取っ払えば瑞々しい風が静かに吹き込んでくる。
障子と廊下のサッシを開けた部屋は、庭続きのひとつの空間のように開放的だった。
縁側に置かれた豚の蚊取り線香が、なんだかとんでもなくノスタルジックだ。
月光で青みを帯びた夜空が夏の雲をグラデーションで染めていた。そいつを眺めつつ刺身をつつき、先輩はこの民宿の現状をいろいろと教えてくれた。
祖父母がここを開業したのは戦後の高度経済成長真っ只中のこと。当時はこの宿目当てに尋ねてくる客も珍しくはなかったという。
しかし次第に客足は遠のき、今では昔からの常連や、行き当たりばったりのハイカーが月に数組泊まりにくる程度だという。
「もう半分は趣味みたいなもんだよ。今日は母親が仕切ってたけど、爺ちゃん婆ちゃんは、町内会の旅行で温泉に行ってるらしいし。親父は普通にサラリーマンだしな」
民宿経営も大変だ。でも、同時にこんな環境で働けることが、羨ましいとも思った。
俺は田舎が好きだから尚更だ。
「お前は後を継がないのか?」
口を開いたのは雅人先輩だった。黒いタンクトップから伸びる腕は相変わらずしなやかで筋肉質。
「言ったろ。親父はサラリーマンだって。親父の稼ぎがなければ収入なんて雀の涙だ。民宿一本じゃくっていけない」
「そうか。なんとかならないもんかね」
「さぁな。難しいと思うよ」
二人の会話を聞きながら、俺はピアスだらけの若旦那を想像した。
まぁ、それはそれで悪くない気がした。
夕飯を済ませた俺たちは、何をするでもなくぼーっとしていた。合宿の名目で集まった今回の旅だったけど、誰も持ってきた楽器に触れるヤツはいなかった。みんなが貴重な田舎の夏ってやつに、ただ身を置いていた。
俺はそいつを眺めながら、なんだかとても充実した気分だった。
部屋には四十インチはある液晶テレビがあったけど、そいつの電源を入れる人間はいなかった。
近所にはカラオケもゲーセンもない。コンビニすら山を下らなければ行けない田舎だ。
娯楽って呼べるような施設は何もない環境のはずなのに、その夜は時間が足りないくらいに充実した夜だった。
言ってしまえば、縁側で夏の風に当たるだけで一時間は過ごせちゃうんじゃないかな。
夏の入道雲やヒマワリ畑を見ると、それが写真でも変に切ない気分になることあるだろ?
そんな環境に自分が身を置いているのが、たまらなく不思議で、夢のような心地良さだったんだ。
畳の匂いや、頬を撫でる夏の風。風鈴の揺れる音。
五感全てで夏を感じた。
都会では決して味わえない、本物の夏だ。
居間では、明宏先輩がひとり眉毛の傷口を気にして絆創膏を貼り替えている。そんな様子を眺めていると、ふいに庭から声がした。
「そろそろ花火しようよ!」
会長だ。昼間買い込んだ大袋の詰め合わせ花火を掲げて俺たちを待っている。
今夜のメインイベントだった。
「おぅ! 今行く」
立ち上がる先輩に促され、俺は縁側のビーサンに足を突っ込んで仲間の元へ駆け寄った。
「はいどうぞ」
会長に手渡された手持ち花火を、俺はただ眺めた。
みんな無言だった。カラフルな炎に照らされた顔は、どいつも悩みなんてないって感じ。
田舎の空気がそうさせるのかな。こうしてみんなで花火をしていると、不思議と将来の不安だったり、日々の悩みなんかを忘れることができた。
同時に、この場に今野がいたらなんて考えたりもした。仲間の輪に加わった今野を、隣で花火片手にぼーっとする今野を想像してみた。
なんとなくだけど、俺には全てが上手くいくような気がした。
この場所は、都会で押し固まった心をじんわり解放してくれるような、不思議な空気で満ちていた。
キミも人生に挫けたら一度、こうやって自然の中に身を置いてみるといい。きっと心が軽くなると思うよ。
大袋の大半を消費した頃、おもむろに立ち上がったのは伸治先輩だった。
「そろそろドラゴンいっちゃう?」
コンビニ袋を漁って取り出したのは、四角い箱状の小さな吹き上げ花火だった。
そいつ数本取り出し地面に置いた先輩は、大袈裟な声を上げてみんなを煽った。
「みんな逃げろ!」
散り散りに距離を取った俺たちだったけど、火を噴くドラゴンは予想に反して大した事はなかった。
火花の色が変わるでもなく、数メートルの火柱を上げるだけのドラゴン。
それでも伸治先輩は満足そうだったし、明宏先輩が火花に飛び込んだりもして、俺たちはひたすら笑った。
庭にはでたらめな量の煙が充満し、灼けた火薬の匂いが鼻をつく。
月光に照らされた煙が山からの風に流れて空へと散っていった。
こんなに楽しい夏はいつぶりだろうか。煙の向こうに星を見ながら考えた。
コンクリートで武装した都会の空は、こんなに高くはない。街の灯やネオンで濁った向こうには、こんなにも高い空が広がってるんだってのを、初めて感じた夜だった。
「あとは線香花火だね。ほら、拓海ちゃんも持って」
麻里子先輩が差し出す線香花火を受け取った。
さっきまでの大笑いが嘘みたいにみんな静かだった。
しゃがみ込んでじっと小さな火種と弾ける火花を見つめていると、それはなんだか、楽しかった夏が終わりを迎えるサマを早回しで見ているような気分になった。
「なんかいいね」
正文かあやふやな感想を口にする。だけどみんな、なにも言わなかった。
みんなも感じてたんじゃないかな。なんかいいなって。
こうして花火を終えた俺たちは、客の使う大浴場を堪能し、自分らで適当に敷いた布団の上に座り込んでいた。
その夜は記憶が途切れる瞬間まで、みんなといろいろな話をして、気づけば朝になっていた。
誰一人として自分の布団の中にはいなかった。
みんながみんな、その場に倒れこんだように部屋の中を転々と転がっていた。
それは会長も麻里子先輩も同じだ。せっかく用意された女性陣の部屋は結局使わず、ふたりは俺たちと同じ部屋で朝を迎えた。
安心してくれ。大人が危惧するような心配は無用だったから。
俺たちは夢中で夢やバンドのことを語り、うっかりふたりが女の子だってことすら忘れていたんだから笑っちゃうよな。




