窓の外は
いくらか陽も傾き始め、山ではひぐらしが一日の終わりを告げるように鳴いていた。人々で賑わっていた渓谷通りから車で二十分弱くらいか。街灯も少ない山の中腹に明宏先輩の実家はあった。
昔ながらの木造二階建て。ただ、想像していたよりもだいぶでかかった。
先輩に先導されて入ったロビーは、民宿というよりも温泉旅館のようだ。
「ただいまー!」
先輩の呼び声にパタパタと廊下をかける音が返ってくる。
「はいはい。お帰り」
受付奥のドアから顔を覗かせたのは、和服を着た年配女性だった。明宏先輩の母親だろうか。
先輩のお母さんは、なんだか母親と言うには違和感のある雰囲気をバンバンに放出していた。それはなにも若々しいとかそういった類のものではない。
なんとなく、クラブのママみたいな独特のオーラを発しているのだ。
「いらっしゃい」
ニコッと笑いかけられるも俺は変に緊張していた。失礼は重々承知なんだけど、どうもこう気の強そうなおばさんが苦手なのだ。
「よろしくお願いしまーす!」
伸治先輩の元気な挨拶にはっと我に返った。
続いて挨拶をすると、何かを思い出したようにおばさんが口を開いた。
「そういえばアンタ。ここまでなにで来たの。バス? 連絡くれれば迎えをよこしたのに」
「いや。校長先生に送ってもらった」
「なっ……」
おばさんの顔が徐々に険しくなる。カウンターから出てくると、明宏先輩の腕をぐっと掴んでいう。
「アンタ、まさかそのまま帰したんじゃないだろうね。わざわざこんな辺鄙なところまで送らせといて」
「ち、ちがうちがう! 車停めたら来るって! みんな荷物があるから玄関の前で降ろしてもらったんだよ」
ここまで必死な先輩を俺は初めて見た。ピアスなんてお構いなしに耳でも引っ張りそうな勢い。
「おじゃまします」
タイミングがいいのか悪いのか、呑気な顔で校長が入って来たのはそんなやり取りの最中。
何かを察したのか、少し気まずそうにして苦笑いだった。
「あっ。校長先生! うちの息子がお世話になっております」
おばさんはパッと笑顔になり誤魔化すように掴んでいた先輩の腕を自分に引き寄せた。
夏の天気みたいに表情がコロコロ変わり、なんだか見ていて面白い。
「じゃあ確かに送り届けました。私はこれで」
「そんな。よければ夕飯でも召し上がっていってください」
「いや。明宏君にも御礼をと誘っていただきましたが、あまり教師が生徒と深く関わってはマズイので」
深くお辞儀をして校長は言葉を続けた。なぜだか少しにやけているように見える。
「それに、私も今夜は孫の顔でも見て帰ろうと思います。娘夫婦がね、隣町に住んでいるんですよ」
そういうことか。校長は爺ちゃんの顔だった。孫には甘いんだろうなってのが、容易に想像できる顔。
「じゃあこれ土産に」
明宏先輩が差し出したのは魚の干物。受付の脇に、もうしわけ程度に設営された物販コーナーの物だった。
なんの魚かは俺にはわからないが、アジよりもでかく値段も高い。
「あんた!」
おばさんが先輩の頭を引っ叩く。鈍い音。
おばさんはまた怒っているようだった。先輩から干物を取り上げると、さらに五、六枚追加してそれを校長に差し出した。
「みなさんで召し上がってください」
「い、いやぁ」
遠慮がちな校長だったが、胸元にぐいぐい押し付けられるもんだから断れるはずもなかった。
「じ、じゃあ遠慮なく。ありがとうございます」
気迫に押され大量の干物を抱えた校長が、順に俺たちを見ていった。
「あまりハメ外すなよ」
磨りガラス越しにヘッドライトが流れ、タイヤで砂利を踏みしめる音がかすかに聞こえた。次第に遠くなるエンジン音を聞きながら、おばさんが何かを思い出したように小さく手を叩いた。
「そうそう。みんなの部屋だけど一階の広間を使ってね」
案内されたのは宴会でもできそうな畳の部屋。襖で仕切られた、ふた間続きの部屋だ。
そいつを男女でわけて使うことになった。
障子の向こうは縁側に面した長廊下になっており、なんだかサザエさんの家みたい。
「夕飯の用意ができたら呼びにくるからね」
そう言い残しおばさんが部屋をあとにすると、明宏先輩は大きなため息をひとつ。
「なんか疲れたな。マッサージでもしに行くか」
結局、明宏先輩についていったのは俺だけだった。みんなはまた先輩がなにからやらかして、おばさんに怒られりのを警戒しているのかもしれない。
俺は単純に初めての民宿ってやつに興味深々だったんだけどな。
連れられた先はロビーの階段を上がった二階だった。一般客が宿泊しているスペースだ。
俺はさすがに不安になった。だってそうだろ?
金を払ってくつろぎに来ている先で、そこの息子がずかずかやって来たらいい気はしないだろう。
「えっ。ここ来ていい場所?」
「へーきへーき」
お構いなしに階段を上がり、正面に見えたのは大きな窓がはめ込まれたちょとしたスペースだった。廊下続きのコミュニティスペースといった感じの場所。
まず目に飛び込んできたのは宇宙みたいな空だった。都会では絶対に拝めない数の星が、まるでばらまいたように散っているのだ。
窓をぶち破ってダイブしたら、そのまま空に落ちてしまいそう。そして、眼下には港町のかすかな夜景と漁船の灯が揺れていた。
「すごいな」
思わずそう呟く俺に先輩は誇らしげにいう。
「なかなか自宅でこんな景色拝めないだろ。毎年海岸で花火大会があるんだけど、ここは絶好のスポットなんだぜ」
「いいなぁ。見てみたい」
先輩はニッといつもの笑顔。
「明日だ。だからわざわざ二泊にしたんだよ。アレを見ないで帰るなんて来た意味がないじゃん」
王子町でも毎年花火大会はやっている。王子海岸てとこで打ち上げるんだけど、当日は人がすごいんだ。
俺は人混みが苦手だ。だからこそ、こんな場所で花火を拝めるなんて夢見たいな話。
今気付いたんだけど、年季の入った木の柱に、明日の花火大会のポスターが画鋲で留まっていた。
デザインこそ都会の商店街で目にするポスターとなんら変わりはないんだけど、こうして趣ある場所に貼られたそれは、少しばかり時間がバックしたような感覚を俺にもたらした。
二人して窓の星空を眺めていると、ふいに人の気配がした。
「ちょっとごめんよ」
窓際に立つ俺たちに声をかけたのは、バカにガタイのいいおっさんだった。白髪の角刈りに四角い顔。
どこか職人のような雰囲気。
俺たちが横にずれると、おじさんは窓に向くかたちで三基並んだマッサージチェアに金を入れた。
百円で十分間だけ駆動するマッサージチェアにどれほどの効果が期待できるのかはわからない。
ただ、でかいパノラマの星空がオマケならば百円も惜しくはない気がした。
「斎藤さん。お久しぶりです」
顔見知りなのか、明宏先輩はおじさんに声をかけてニコッと笑った。
おじさんが顔を上げる。まじまじと先輩の顔を見ると、なにかに気づいたように表情が変わった。
「お前、明宏か? なんだ中学以来じゃないか。そんなイヤリングしちまって一体なにをやってるんだ?」
豪快にゲラゲラと笑うおじさんは、なんだか嬉しそうだった。
「まだ高校生だよ」
「うーん。都会の高校生はやっぱ違うんだなぁ」
「いやいや。別に普通でしょ」
「そうか? まぁとにかく、そんなナリしてたから明宏だって気付かなかったよ。ずいぶんと男らしくなったじゃないか。昔はもっと可愛いらしかったのに」
そうなんだ。おじさんの言葉に、俺は中学時代の先輩がどんなだったのか無性に興味がわいてきた。
可愛いらしいってなんだよ。気になるじゃないか。
「えっ? 明宏先輩って中学時代はどんなだったんですか?」
先輩に代わってこたえてくれたのは、おじさんだった。
彼は俺を隣のマッサージチェアに促すと、なにか秘密を語るように声のボリュームを落とし、口の端に手を添えた。
「アイツ、痩せてるだろう? 中学んときは身長ももう少し低くてな。女の子みたいだったんだ。髪だってあんなポマードなんか付けてない、フワッフワな髪の毛でな」
「やめろ!」
意外な過去に俺は笑ってしまった。先輩が女の子? 見てみたい。
「卒アルとかないんすか?」
「ねぇよ。 燃やした」
先輩の場合は嘘をつくにも、顔色ひとつ変えずにサラッと言うからタチが悪い。
ただ、今回のは絶対嘘だ。卒アル燃やす人間はそういない。
「これ以上いたら何言われるかわかんねぇな。じゃあ斎藤さん。俺たち行くわ」
言葉よりも先に、先輩の足は階段へと向いている。きしむ階段を下っていると上から声が降ってきた。
「明日の花火大会はここで見るんだろう?」




