小旅行
立秋から一週間以上経過した八月十七日は前日の曇りの予報から一転し、抜けるような青空が朝から広がっていた。
秋を忘れた夏空が延々と続き、遠くでは積乱雲がどこまでも高く、そびえるように浮いている。
時刻はまだ朝の七時にも届いていない。
校門前にしゃがみこむ俺の前をラジオ体操帰りの小学生たちが、じゃれあいながら通過した。
バーベキュー大会のためにこんな時間から学校にいるわけだけど、俺以外のメンバーはまだ来ていないようだ。てっきり一番楽しみにしていた伸治先輩あたりが待っているだろうと思ってたんだけどな。
「あぁ眠ぃ。集まんの早ぇわ」
ぶつぶつ独り言を言いながら現れたのは明宏先輩だった。黒いポロシャツにブラックジーンズとラフな格好。
左手はポケットに突っ込んでるし、右手は携帯を握ってるだけ。持ち物はけつポッケから覗く長財布くらいしか確認できなかった。
「おぉ! 早いな」
俺に気づきビーサンのかかとをペタペタやりながら近づいてくると、先輩は俺の隣にあぐらをかいて座った。
「先輩。ずいぶんと身軽ですね。着替えとかいいんすか?」
「だって俺の実家よ? たまに帰ってるから服は向こうにもある」
ニコッと笑う顔に違和感を感じた。その正体は、顔面に貼られた絆創膏だった。
明宏先輩は、眉ピアスを開けた場所になぜだか絆創膏を貼っていた。フラットな表面。
そこにピアスらしき物は見当たらない。
「そっか、実家でしたね。てか、その絆創膏なんです? ピアスは?」
「あぁ、千切れた」
なんでもない風に言っちゃってるけど、千切れた?
眉毛が千切れるなんて、普通に暮らしていたら結構なハプニングだ。それがなに? 千切れた?
「自分で開けたから浅かったのかもな。ちょっと油断してタオル引っ掛けたらブチって」
「ブチってじゃないっすよ。グロッ!先輩グロいわぁ」
「うるせぇよ。てか、みんなは? お前が一番乗りか?」
俺はそうだといった。他のメンバーは、いまだ来る気配すらない。
だんだんと気温も上がり、予報通りの天気になりそうだ。
「楽しみっすね民宿。俺、民宿とか初めてだから」
小石をつまんではフェンスの支柱にぶつけていた先輩が、チラッと俺を見た。
「民宿泊まったことないんだ。うちは山ん中だから、夜はホタルが見れるよ」
「マジか。ど田舎じゃないですか」
肩を殴られた。
「痛いから。てか、先輩は独り暮らし?」
「いや。婆ちゃんちに居候。婆ちゃんと二人暮らしだな」
意外だった。わざわざ実家を出て婆ちゃんと二人暮らし? そのナリで?
俺の頭はもう、悪い方向にしか働かない。
「あっ? なんだよその顔。お前さ、俺が婆ちゃんの年金を貪ってるとか思ってない?」
正解。そのパターンも確かに浮かんだ。俺がヘラヘラやっているとふいに先輩が口を開いた。
暑くなりはじめた夏の朝には似合わない声色。淡々と話すその様は、今まで見たことのない先輩だった。
「もう四、五年たつかな。爺ちゃんが死んだんだ。年寄りの独り暮らしは心配だから俺が勝手に居候してんだよ」
爺ちゃんが死んだ。その言葉を吐いた時、先輩の声がグッと冷え込んだ気がした。
なんとなくだが、そこにはさらに深いなにかがある気がした。
「なるほど。先輩いい人っすね」
少し照れ笑い。
「俺が勝手に転がり込んだだけだよ。まぁ、俺はいいヤツだけどさ」
「あっ。そこ自分で言っちゃう?」
「うるせぇな。拓海ちゃんのクセによ」
考えてみればこうして明宏先輩と二人きりで語り合うのは初めてだ。さっきは冗談まじりに言ってみたけど、先輩がいい人だなって思ったのは本心。
それはなにも婆ちゃんを気にかけてるとかじゃなくてな。
正文がどこからか仕入れた情報によると、先輩は中学時代からケンカ無敗の記録を持ってるとか。
数十人の暴走族を、一人で解散させたとも言っていた。相手は武器を片手に大勢で囲み、先輩は素手だったとか。
今の先輩からは、そんなケンカ三昧な日々を過ごしてきた面影は見えなかった。
俺が物騒な妄想で頭をいっぱいにしていると、ふいに先輩が口を開いた。あくびの混じった呑気な声。
「てか誰も来ないな。もしかして俺たち置いてかれたんじゃねぇの。校長のクラウン五人乗りだし」
「いやいや。俺たち抜いても一人余りますよ」
先輩はリングで武装した指を折りつつ人数を確認しているようだった。そして、なにか納得したように俺に目をやる。
「あぁ、正文が余るな」
「なんで正文?」
「なんとなく。あぁ、トランクに入るか。やっぱ置いてけぼりは俺たちだ」
もう彼の言っている意味がわからなかった。いや、意味なんてないのだ。先輩はいつだってワケのわからない冗談を真顔で吐いてはみんなを混乱させる。
今でこそ俺も冗談で返せるが、出会った当初は返答に困り愛想笑いで切り抜けたもんだ。
「アイツ大好きですからねトランク。なんで先輩知ってるんすか」
「ん? 前に自分で言ってた。知ってるか? 麻里子はレズなんだ。会長とできてる」
「……マジ?」
「んなわけねぇだろ」
ちょっと信じた。
本人たちがいないのをいいことに、俺たちは有る事無い事言って盛り上がっていた。
バカ笑いする俺たちをゴミ出しのおばちゃんが怪訝な顔で見ているのには気づいていた。
しかし、そんなのはまったく気にならない。無意味を極めたやり取りだったかもしれない。だけど俺も先輩も、なぜだか妙に楽しくてたまらなかった。
そこから更に先輩の話は飛躍していった。仲間の変な噂話をでっち上げては、ふたりで笑った。
サークルの仲間を次々と変人に仕立て上げる俺たちの前に一台のワンボックスが停車したのは、約束の時間から三十分ばかり過ぎた頃だった。
白いハイエースがアイドリングをを続ける中、車から降りてきたのは校長だった。バーベキューというよりゴルフにでも行きそうな出で立ちだ。
「なんだお前たち。早いな」
早い? 三十分の遅刻をした人間とは思えない発言だ。
これが修二や正文ならば間違いなくひっぱたいてる。
「センセー遅刻しといて早いはないでしょ」
明宏先輩の言葉に、校長の顔が一瞬困惑したように見えた。
「約束は七時三十分だぞ。お前たち何時からいたんだ?」
今度は俺たちが困惑する番だ。少しばかりイラついた様子で先輩はいう。
「七時っす。麻里子が七時集合だって言うから。……あのヤロウ」
「何か勘違いじゃないか? お前たちだけだぞ」
俺たちはそろって首を横に振った。勘違いなんかじゃなく、確かに七時だった。二人も証人がいるんだ。まちがいない。
「まぁとりあえず乗りなさい。今日は朝から暑いな。お前たち日向でいったいなにを話してたんだ? 妙に楽しそうだったが」
「あぁ、俺たち置いてかれたんじゃねって話ですよ。そしたら楽しくなっちゃって」
「……先生には言ってる意味がかわからん。それ楽しいのか?」
校長はさかすがに先輩のことが心配になってきたらしく、「酔っ払ってるのか?」なんて俺に聞いちゃう始末。
俺は知らないとだけ言っておいた。
「センセー見てよ。眉ピ千切れた」
「先輩! もういいから車乗りましょう?」
「助手席もらい!」
先輩の行動は早かった。俺が反応した時には既に助手席に滑り込んでいて、財布をダッシュボードに投げ出していたんだから。
「借りた車だから汚すなよ」
完全に先輩へ向けての言葉。
「へーきへーき。俺、潔癖だから」
ありえない。最近思うんだけど、先輩は頭で考える前に口が動いている気がする。
実際問題、そのケツはさっきまで地べただった。
俺たちが車に乗り込んでさらに十分弱。ようやく集まったメンバーを乗せ、ハイエースがその巨体をゆっくりと前進させた。
メンバーの中に会長が混じってるのはなんでだろうか。彼女は当然のようにやって来て、当然のように麻里子先輩の隣に席を陣取った。
カーラジオからは、すこしくぐもったお天気キャスターの声。
今日は一日高気圧に覆われ、残暑が厳しい日になるでしょう。こまめな水分補給を忘れずに。
「あっ」
車窓から流れる王寺町の街を静かに眺めていた明宏先輩が、突然なにかを思い出したかのように声を上げた。
「おい麻里子!」
「なぁに」
呑気な声が三列目から聞こえる。俺は明宏先輩の次の言葉があらかた予想できていた。
「テメー。集合時間七時っつったろ。俺と拓海にだけ」
「はっ? 七時半になりましたってメール見てないの? ってかアンタたち、七時からいたんだ。笑える」
この発言が火に油を注ぐ結果になったのは想像の通り。明宏先輩が電話で確実に伝えろと喚き、麻里子先輩も負けじと言い返す。
そんなやりとりが、しばらく続いた。
まぁ、メールを見てない俺たちが悪いのは目に見えてるけど。
「アンタたち自分の不注意でしょ。言いがかりって言うんだからね」
明宏先輩のせいで、エキサイトした麻里子先輩の矛先はなぜか俺にも向けられた。
俺はなにも言ってないんだけどな。
「すいません」
とりあえず謝るに限るよな。面倒だし。
「おい! なに謝ってんだよ。 謝ったら負けだぞ」
車は市街地を抜け高速に乗った。夏休みだったが道は空いており、目的地に向かって快適なドライブ。途中で寄ったPAで買い物をしたりと、県内でも結構な旅行気分が味わえた。
「慣れない車は疲れるよ」
校長はそう漏らしながら肩をまわす。なんでもこの日の為にわざわざレンタカーを借りたらしい。俺たちの為にここまでしてくれるのだ。矢代先輩の言っていた校長を裏切れないって言葉を改めて考えさせられた。
「じゃあそろそろ行きますか。車に乗ってくれ」
校長の言葉を合図に、おもいおもいの行動をとっていた俺たちは、次々と車に乗り込んでいく。幾分車の数を増した走行車線に滑らかに合流したハイエースは、スピードに乗って残り半分の距離を疾走した。
いくつかの市をまたぎ、車がインターから降りたのは出発から一時間ばかり経過したころだった。
そこはお世辞にも都会とは言えない王寺町よりも、さらに辺鄙なところだった。田園風景と畑ばかりが続く、山々に囲まれた田舎道だ。
整備されていない轍ともとれる田舎道を豪快に駆け抜ける。本当にこの道であっているのだろうか。
不安になってきた俺の目に、蔦谷キャンプランドの看板が飛び込んできたのはそれから数分後。
隣の修二が軽く伸びをしながらいう。
「結構賑わってるね」
そうなのだ。看板を左折した直後、トンネルを抜けて目の前に広がった景色はさっきまでの田舎道と一変した。
整備された道路に軒を連ねるのは、個人経営の土産物屋と食事処。中には民宿まで混ざっており、ちょっとした温泉街のような雰囲気。
ちょくちょく目にする紅芋ソフトの旗は、ここらの名物だろうか。
夏休み中ってこともあり家族連れが多数見受けられたが、歳をくった年配夫婦も結構な頻度で歩いていた。
「おっ。着いたのか? 年寄り多くね」
今まで寝ていた正文が下品な声を発しながら写真を撮りだした。いるよな。目的地付近で勝手に目覚めるヤツって。
「ここらは有名な滝やら渓谷、神社が多いからなぁ。年配にも人気なんだよ」
明宏先輩が''年配''なんて言葉を使うことにすこしびっくり。
ジジイだのババアだの、そういった類いの言葉しかボキャブラリーを持っていないと思っていた。
「先輩、詳しいですね」
修二の言葉にニッと歯を見てせ先輩はいう。
「地元だからな」




