ふたつのイベント
夏休みも後半に突入したあの日。あの夜は夏休み後半に華を添えるかのごとく、俺にふたつのイベントを持ってきた。どちらもまぁいいニュース。
ただ、その片方は自分でふいにしたんだけど。まぁ後悔はしてないかな。
その日、俺は自室でテレビを眺めていた。バイトで買った小さな液晶テレビの画面は広島の原爆、そして終戦を特集していた。
普段は戦争なんて何も意識はしない俺だけど、こうして改めて特集なんて組まれると不思議と見入ってしまう。
テレビの中のまるでフィクションの物語のような出来事は現実で、震えている子供たちは歳をとった今、俺と同じ時代を生きている。不思議な話だ。
テレビに集中していた俺は、扉をノックする音でハッと我にかえった。
「はい?」
返事を待たずにドアが開いた。プライバシーなんてあったもんじゃない。
廊下に立つのは母ちゃんだった。
洗濯物は洗濯機に入れろって言ってるでしょ!
部屋の掃除しなさい!
もうすぐテストでしょ!
母ちゃんがわざわざ部屋に訪ねて来るときに、ろくなことはない。
「な、なに?」
思わず身構えてしまう。
「あんた。お金は貯まったの?」
「かね?」
グレッチのことを言ってるんだって気付くのに十数秒。母ちゃんからその話題を持ち出すなんて夢にも思わないからな。
「なんだよ。消費税入れて、まだ十五万たりないよ」
俺は少しばかりムカついていた。なんで母ちゃんに経過報告をしなきゃいけないんだ。
「あらら。道のりは長いね」
俺を煽ってるとしか思えなかった。
自分でもなぜ、あのグレッチにここまで入れ込んでいるのかわからない。オリジナルモデルではないのだから他で探せばいい話。
だけど、俺はあの楽器屋に並んでいたグレッチが欲しくてたまらないのだ。俺に運命を感じていた。
「そっか・・・」
ため息混じりに聞こえた声に違和感を感じた。何かを考えている様子。黙りこくった母ちゃんに代わり、テレビの音がやたらと耳につく。
天皇陛下万歳。
夏休み
「しょうがない。貸してあげようか?」
「えっ?」
ポカンとしている俺に、母ちゃんは更に言葉を続ける。
「貸してあげるだけだからね。ちゃんと返しなさいよ」
俺の返事も聞かず、母ちゃんは一方的に喋り続ける。俺は黙って聞いているだけ。
頑張って貯金してるみたいだから。
ローンを組むなら貸した方がよっぽどいい。
聞いてもいない理由を、あれこれ並べられた。
「うーん」
「なによ」
現状を考えればまさに願ってもない言葉。だけど手放しに喜べない自分がいた。
これは多分一生モノのギターになるはずだ。それを親の援助で?
将来、たとえば俺がアーティストになっとして、ヴィンテージなギターを片手に「コイツとは高校時代に出会いましてね。いやぁ一目惚れでした。迷わず買っちゃいましたよ。あっ、親に金借りて」なんて言っちゃうのか。
ださい。
俺はクールに言ってやるのさ。
「どうしてもコイツが欲しくてローンで。必死にバイトして返済してね」ってな。
もしくは「必死に貯金して買いました」ってのも悪くない。
やっぱ身内から金を借りるって他力本願で甘ったれみたいじゃないか。
「いい。それじゃダメなんだ」
俺の返答はまったくの予想外だったのだろう。母ちゃんは到底息子に向ける目とは思えない視線で俺を見ていた。
熱気にまみれた空間に沈黙が流れる。
「変な子だね」
そそくさと身をひるがえし、扉を閉める母ちゃんを呆然と見送る。
本当にいいのか? まだ間に合うぞ。心の中は葛藤だ。
静かにドアが閉まり、かすかに階段のきしむ音が聞こえる。テレビを消した俺は入門ストラトキャスターを眺めながら、グレッチのことを考えていた。
カッコつけて断ってしまったが本当によかったのだろうか。もしもアイツが売れてしまったとして、俺は再び運命を感じるようなギターに出会えるのだろうか。
考えたところで現状は変わるはずもなく、時間だけが過ぎていった。
俺が頭を届きそうで届かないグレッチでいっぱいにしていた時、ふいに携帯が着信を知らせて鳴り響いた。ディスプレイには麻里子先輩の名前。
珍しいな。電話に出ると、先輩は少し興奮しているようだった。
「拓海ちゃん。十七日空いてる?」
「えっ? あぁ別に暇だけど」
理由も告げずにいきなりだった。少し困惑したが、まさかデートの誘いでもないだろう。
きっとサークルだよな。
「暇だって! じゃあ決まりだね」
受話口から雑音が聞こえ、麻里子先輩の声が遠くなった。口ぶりからして誰かに話しかけている様子。
電話の向こうが再びガサガサと鳴り、微かに先輩の息遣いが聞こえた。
「誰かと一緒ですか?」
「うん。明宏だよ。ちょっと学校に用があってね。今は帰り道」
「学校?」
網戸越しに外を眺める。外はとっくに真っ暗だ。日中、いかれた熱気を町に落としていた太陽にかわり、夜空には大きな月が優しい光を放ち浮いていた。
ふと携帯を耳から離しディスプレイを確認すると、時刻は午後七時をまわったところだった。
「こんな時間まで?」
「そう。とは言っても私はちょと部室に忘れ物しただけなんだけどね。明宏は、休みすぎた分の補習。今は明宏とファミレスで夕飯」
「二人って仲良いですよね。付き合ってるんですか?」
電話の向こうから返事はない。
「なに言ってるの。ないから」
しばらくして聞こえたのは、淡々とした否定だった。照れるでも必死に否定するでもない。
感情に波風ひとつたっていないのが電話越しでもはっきりとわかった。
「てか私たちのことはいいの。聞いて。十七日に校長先生がバーベキューしないかって言ってるんだけど」
「あぁ、あの話マジだったんですか。行きます」
「そう。で、ここからが本題。バーベキューの後、みんなで何泊かしない? 親睦会ってことでさ」
親睦会……。
確かに異様に仲の良いサークルだよなぁなんて思ってはいたが、考えてみればプライベートでつるんだことは一度もない。
強いて言えば伸治先輩とグレッチを見にいったくらいか。普段から一緒にいる正文や修二とは何度か放課後にカラオケに行ったが、休日に会うなんてまずないしな。
「でも待った。泊まりってキャンプ?」
俺はキャンプが嫌いだ。まぁ、アウトドアなんてしたこともないけど。
なにか弱点でもつくような口ぶりで先輩はいう。
「あら。キャンプは嫌い?」
「キャンプってテントっしょ? 寝るときは囲われてないと。布切れ一枚隔てて外なんて考えられないっす」
ふふっと小さく笑う声が聞こえた気がした。次に聞こえたのは、いつもより若干力のこもった声だった。
「アタシも! でも拓海ちゃん安心して。ちゃんと頑丈な壁に囲われてるよ。民宿に泊まるの。明宏の実家なんだけどね」
「民宿の息子だったんですね。てか、拓海ちゃんてなんですか。呼ばれたことねーわ。修二たちはくん付けなのに」
まだ伸治先輩のいうタクちゃんならあだ名として理解できる。でも、拓海ちゃんはさすがにないだろ。
名前にちゃんを付けただけじゃないか。
婆ちゃんでも拓海ちゃんとは呼ばない。
「だって伸治がそう呼ぶんだもん。私もついね」
「呼んでない! 伸治先輩はタクちゃんでしょ」
「もうそれで慣れちゃったからいいでしょ。てか、アンタ最近ちょくちょくタメ口混じってるよね」
「マジか。全然意識してなかったわ。いつ?」
「いま!」
自覚はなかった。指摘されたこともなかったしな。
「ヤバイわそれ。敬語も使えないなんて社会人としてマズイですよね。会社で人間性疑われて昇進できないかも」
麻里子先輩は笑っていた。
「なにそれ。アンタ社会人でも会社員でもないでしょ。それに、最初の頃はちゃんと敬語使えてたから大丈夫。……でもさ」
一瞬だけ間があいた。再び口を開いた先輩の声はいつもの調子だった。
もしかすると、いつもより穏やかだったかもしれない。
「なんか嬉しいな。先輩、後輩とはいえもうみんな仲間なわけじゃん。アンタの言葉遣いが無意識に変わってるのって、自然と私たちとの距離が縮んでるってことじゃないかな。
みんなもそう思ってると思うよ。伸治なんてさ、アイツたまに敬語混じるよね。とか言っちゃって。逆だよって感じだよね」
仲間か。先輩がそう思ってくれてるってことに少し感動。
そう思うと拓海ちゃんも別に悪くない気がした。
「じゃあ俺も麻里子ちゃんて呼んでいいっすか? マリちゃんの方がいいかな」
「バカ。恥ずかしいから絶対呼ばないで」
恥ずかしい!どの口が言ってるのだろうか。
「呼び捨ての方がマシ」
先輩の言葉に麻里子と呼び捨てにする自分を想像した。さすがにないわ。
「もうくだらないことばかり言わないでよ。通話料払ってもらうよ! じゃあ続きはお盆明けに学校で。早めに予定聞いておきたかったからさ」
「わざわざありがとうございます」
「うん。おやすみー」
仲間か……。
すっかりいい気分になり、ひとりニヤニヤしながら通話を終えようとした時だった。
耳から離した携帯から、乾いた機械的な声が聞こえた。
「なんか言いました?」
声の主は明宏先輩だった。
下品な笑いを隠さずに彼はひと言。
「おやすみ。タクミちゃん」




