昔話
昨日のいざこざを引きずってか、俺の機嫌は朝から最悪だった。
幾分落ち着きを取り戻した感情は朝、三上を視界に捉えた瞬間に再び高ぶった。そして、クラスの連中の視線だ。何人もの視線を感じ教室の空気は最悪。窒息しそう。
顔では深刻を装っていても、誰もが腹に好奇を蓄えてるのはみえみえだった。
ただ、不思議なのは誰もそいつを口にはしてないってこと。
態度からして、昨日教室にいなかったヤツらも騒動は知った風だった。なのに、噂のひとつも聞こえない。
それが逆に不気味だった。
当人の前だから遠慮してるのかとも思ったが、なんだかそれだけじゃない気がする。
まるで昨日の出来事をタブー視するような白々しさがあるのだ。
言いようのない違和感だけが魚の小骨みたいに、うっとおしく引っかかっていた。
そして、別の意味で当事者ともいえる今野は普段と変わらない様子で相変わらずの態度だった。
ただ、徐々に進展していた俺たちの関係は振り出しだ。今野からの挨拶は無くなった。
まぁ、普通にケンカするようなヤツは嫌だよな。
原因がどうであれ、先に手を出したのは俺だ。こうなることは予感していた。
クソみたいな半日をやり過ごし、解散となった教室。同じくイライラを隠すことなく一日を過ごした正文が、俺の所へやってきていう。
「とんでもない事になったな……」
「あぁ。結局俺はアイツを追い詰めただけだ。
俺が関わらなければ、三上が教室でバカみたいな話を俺に振りもしなかった。
あのバカ、普通のトーンで俺に話かけてきたからな。教室にいた全員が、援交の話を聞いてたと思う」
「お前のせいじゃないよ」
正文はそう言ってくれたけど、俺が関わったせいでこうなった。
「話しかけなきゃよかったんだ」
今野がいなくなり空席となった机を見て心からそう思った。
今野の現状がいいか悪いかは別として、それでも見る限りは平和にやっていた。
少なくとも、変な噂なんて聞いたことがない。
俺が思うに、アレは櫻井の仲間が発端のものではないだろうか。仲間内の小さな噂話だ。
それが三上を経由して大きくなった。
「でもさ、なんかみんなの態度おかしいよね」
三枝が俺のもとにやってきたのは、同じ違和感を修二が口にした時だった。
「ちょっと拓海借りるぞ」
誰の返事も待たず、ヤツは俺の肩に乱暴に腕をまわし、力まかせに歩き出す。
心配するふたりに音楽室で待つようにだけ告げ、俺は素直に三枝に従った。
連れられたのは体育館の裏だった。
体育館の裏口に通じるコンクリートの階段に座るよう促された俺は、素直に三枝の隣へと腰を降ろす。
「お前が切れた原因は知ってる」
だろうな。デリカシーの欠片もない三上の声は、教室のどこにいても聞こえただろうから。
そいつを思うと、やはり三上は許せない。俺は怒りを誤魔化すように視線を遠くに向け、ため息をついた。
視界の先を行き交うのは、悩みなんてないみたいな顔で歩く生徒たちだった。
フェンス一枚隔てただけの向こう側が、まるで別の次元に思えた。そいつを眺めて三枝が静かにいう。
「今野のこと詳しく話せ」
一切の感情を含まない声だった。しかし、一日を好奇の視線にさらされ続けた俺の心は、三枝の感情を殺したその態度に揺さぶられた。
俺は全てを話した。
桜井が言っていた噂。
そして今野との関係と、そいつが壊れたこと。
ひと通り話したところで、ふっと三枝の表情から力が抜けたのがわかった。
めったに見せない穏やかな表情。
「そりゃあ三上のこと殴りたくもなるわな。お前があんなキレ方したの始めて見た。あの時、三上の仲間が割って入らなかったらなにしてた?」
「さぁな。倒れた三上の顔面に蹴りくらい入れてたかもな」
「バカ。顔面蹴ったらやりすぎだ。歯とか鼻折ったら俺でも庇いきれねぇよ。最悪、死ぬかもしれない。お前、ケンカ慣れしてないんだろ? ケンカには加減も必要だ」
ヤツはいたって真面目だったが、真剣にケンカ論を語る三枝に少し笑えた。
番長直々の指導か。スマホに録画してYouTubeにUPでもしようかな。
「なにニヤついてんだよ」
「いや、なんでお前は真面目にケンカ論語ってんのかなって」
「お前が危なっかしいからだよ! いいか? 怪我させたり殺すまでやったら、ニュースに出てくるバカと一緒だ。お前の中で貫き通した正義を、世間も教師も汲んではくれない。三上が被害者。お前が悪。そうはなりたくねぇだろ」
嬉しかった。三枝がかけてくれた言葉もそうなんだけど、なによりもそんな言葉を吐く三枝自身に俺は言いようのない感情を覚えた。
なんだ昔となにも変わってないじゃん。俺はヤンキーになる前の三枝を知っている。
昨日のケンカは問題にはならない。
最後にそう付け加え、三枝は小さく笑った。
「まぁ、お前らしいっちゃお前らしいけど。なぁ、覚えてるか。俺が転校してきた時のこと」
夏の空気をかすめるような乾いた声。
三枝は夏空を見上げながら、時空を越えて過去を見ているようだった。
「覚えてるよ。お前は初日から何かに怒ってた」
それは小学四年の秋だった。二学期の中途半端な時期に突然やってきた転校生。それが三枝。
ヤツは初日から他を威圧するような眼で壇上に立ち、担任の自己紹介を促す声に、ギラついた眼でひとりひとりを順に見て小さな声で名前だけを名乗った。
それはまるで自分以外はみんな敵とでもいった様子。面倒なヤツが来たな。当初はそう思っていた。
「みんなひそひそ話して俺に近寄って来ねぇのな」
「あんな顔してれば無理ないよ。お前、怒ってたじゃん。ただでさえガタイよくて威圧的なのに」
心外といった顔で俺を見る三枝。何年前の話だよって。
その顔は当時とまったく一緒で、俺は思わず笑ってしまった。
「あれは怒ってたんじゃなくて……」
「テンションが下がってたんだろ?」
三枝はそうだと言って大きく頷いた。二人きりでの会話は久々だったが、三枝は当時のまま何も変わってはいなかった。俺たちは中学時代にいったん疎遠になっているのだ。
「あれはテンション低いじゃ済まされないわ。みんなびびって話しかけられなかったんだぞ?」
「でも、お前は話しかけてくれた」
「席が隣だったからな。みんなは隣が女子なのに、なんで俺だけヤロウなんだって思ってたよ。しかも、いかつくて怒ってるとかありえねぇ」
「悪かったな。お前の横が空いてたんだよ」
「お前さ、俺が初めて声かけた時のこと覚えてるか? うざったかった?」
「なんだそれ。今野のこと言ってるのか? ウザくねぇよ。逆に嬉しかった。俺は今でも覚えてるよ。アレは遠足で乗るバスの席決めだった」
驚いた。三枝は初めて会話を交わした日のことを覚えていたんだ。
俺から離れてヤンキー仲間とつるむようになってからは、別の人間のようだった。
過去なんて忘れ、まったくの他人としか俺を見ていないように感じていた。
「あの時だよな。拓海が初めて俺に声かけてくれたの」
「だってお前、不安そうな顔してた。なんてことないって顔で黒板を睨みつけてたけど、戸惑ってんのは知ってたよ。その時思った。あぁ、こいつ上手く人と関われないんだって」
「みんな俺と距離おいてたじゃん。なんか話しかけずらかったんだ」
「常に怒ってるジャイアンなんて怖ぇだろ」
「ジャイアンはないだろ。あんな太ってない」
「そこじゃねぇよ」
俺たちの頭はあの当時にトリップしていた。
三枝はガキのまんまの笑顔で当時を語り、俺もまた三枝の言葉で小学校時代の記憶が、まるで昨日のことのように蘇った。
「でもさ、今の拓海見てると当時のまんまなんだなって思うよ。今野に俺を重ねてるんじゃないのか。俺も思うよ。今野は昔の俺みたいだ」
三枝の言う通りだった。俺は過去の三枝と似た違和感を、今野にも感じていた。
あの態度が意味することはなにか。何度も考えた。
ヤツは人を遠ざけることによって、自分を守ってるんじゃないかな。
会話をすると自分の弱点がバレてしまう。ならば、いっそ人に関わるのをやめよう。
恐怖心を悟られないように。それが今野の導いた最善の防御策。
本当はみんなと仲良くやりたいんじゃないのかな。時たま見せる笑顔に、そんな今野の内側を垣間見た気がしたのだ。
「お前のやりたいようにやればいいよ」
「えっ?」
俺の心の内を全て見透かしたような口ぶりだった。
「今野のことだよ。お前、自分が関わったせいで今野の日常をぶち壊したとか思ってるんだろ?」
「なんでわかるんだよ」
三枝は笑いながらいう。
「お前の態度見てりゃわかるよ。大丈夫。今野はお前を恨んだりしてねぇよ。少なくとも俺はあの時、クラスで唯一絡んでくれた拓海に感謝してるよ」
「なぁ、聞いていいか?」
俺には前から気になっていたことがあった。もしかしたらそれは触れてはいけない事なのかもしれない。それはガキの頃からずっと引っかかっていたこと。
「なんだよ」
「……いや、やっぱいい」
「気になるだろうが。話せよ」
「中学にあがってしばらくした頃からお前、荒れたよな。俺と疎遠になってからヤンキー仲間とつるむようになって」
三枝の表情が一気に険しくなった。拳を固く握り、視線を落としながら静かに言う。
「大人が信じられなくなった」
続けてヤツは意外な言葉を口にした。
「何があったか話してやるよ」




