一触即発
結局休み時間はそのまま終わりを迎え、今野との会話はなかった。
櫻井のことがあって周囲の目がやたら気になり、話すキッカケを失ってしまったのだ。
下手に関わると今野にまた注目が集まる。俺が関わることで噂が肥大する気がしたから。
俺はイラついていた。
そして、その怒りは数分後に爆発してしまう。
発端は三上だった。壮大な遅刻をかましたあの日、俺をおちょくってきたチャラ男だ。
ホームルームを終えて生徒たちが一斉に立ち上がる中、ヤツは仲間と机を挟んで雑談をしていた。
周りを気にしないボリュームでバカみたいに笑い、まるで世界は自分らを中心に回っているとでもいった顔。
なんとなくそんな三上たちを眺めていると、ふいに「じゃあね」と声がした。
ヤツらとは対照的なテンションの今野の声。彼女は俺に声をかけると、ひとりドアの向こうに消えていった。
だんだんと向こうからのコンタクトが増えてきたなぁ、なんて思いながら彼女が消えたドアを眺めている時に気付いたんだ。急に静かになった三上たちもまた、俺と同じ場所に視線をやってるってことにな。
そして、沈黙を破った三上の声。ヤツは声のトーンを落とし、仲間を見ながらいった。
「さっき櫻井と関根が話してるの聞いたんだけど、アイツ援交してるらしいぞ」
クソ櫻井。さっそくバカが一匹釣れたじゃないか。
それはまさに噂が拡散していくサマを目の当たりにした瞬間だった。三上はさらに言葉を続ける。
「金払ったらヤらせてくれんのかな? お前、モテるんだから今野に声かけてみろよ」
話を振られたのは隣のクラスのヤツだった。名前は知らないけど、モテモテってのは知ってる。
なんでもテニス部のエースだかで、やたらと脚が長いのが気にくわない。
爽やかで女子に優しいって評判らしいが、三上と話す様子を見る限りそうは思えなかった。
今現在のヤツの姿を、上辺に目がくらんだ盲目の女共に見せてやりたい。
爽やかとはかけ離れた品性の欠片もないテンションで喋ってるからさ。
「やだよバカ! テメーが言え。だいたい話したことあんのかよ」
「ない!でもよ、アイツ友達いなそうだし優しくしたら案外イケたりして!」
いけるいけるとモテ男がまくし立て、ここでまたバカ笑い。ただでさえウザったいのに最悪だ。
俺は無性に腹が立ち席を立った。
「関根に聞いてみろよ」
丁度ドアを潜るあたりで俺の名前が登場。後方からかすかに聞こえた声の主はモテ男だった。
なんで俺の名前を知ってるんだよ。それも気にくわない。
自分の名前が出るとつい反応しちゃうよな。思わず振り向いた俺はモテ男とばっちり目が合った。
ヤツはギョッとした顔を見せて少し気まずそう。まさか聞こえるとは思ってなかったとでも言いたげな顔だった。
「アイツって金払えばヤらせてくれるんだろ? お前もそれ狙ってんじゃないのか」
空気の読めない三上は、視線で訴えるモテ男の祈願虚しく軽いノリで俺に話を振ってきた。
俺をおちょくっているのか単なるバカなのかはわからない。
ぷつっと何かが頭の中で弾けた。
腹の底でくすぶっていた何かが全身を駆け抜け、脳みそが痺れる感覚に襲われる。
身体を突き抜けたゾクッとした感覚が理性に取って代わり俺の全てを支配した。
その瞬間は何も考えてはいなかった。耳に響いたのは自分の奥歯を噛みしめるギリっとした嫌な音。
奥歯を固く噛み締めたまま、俺は三上の髪をつかみ顔面を机に叩きつけた。
顔面を更に机に押し付けるように、掴んだままの右手に体重をかけたところでふと我に返った。
手の下で三上が吠えるように言う。
「ってぇな! コラ!」
力まかせに立ち上がった三上は血走った目で俺の胸ぐらを掴んだ。
密着する三上は、額と額をくっつけるようにして、まくし立てるようになにかを叫んでいた。
しかし、俺にはなにを言っているのか理解不能。残っていた数人のクラスメートの視線が、一様に集中していた。
口の端に泡をためて顔を真っ赤にする三上の腹に靴底を当てた俺は、背中にあった机に体重を預け力任せに畳んだ脚を押しやり、三上を吹き飛ばした。
ヤツは豪快な音を響かせて机の並ぶ中に背中からダイブした。
ボーリングの玉がピンに飛び込むサマを人間で再現したらこんな感じ。
「痛ぇ。くそ、ふざけんな!」
地べたに転がりながら俺を睨みつけるも、背中を強打した三上はなかなか起き上がれないようだった。
「お前、ムカつくんだよ」
俺の怒りは収まらなかった。停学だとか、サークルがどうとか、そんなものは頭からすっ飛んでいた。
俺は三上に更に追撃を加えるべく、一歩を踏み出した。
「待った! ストップストップ」
モテ男が俺たちのあいだに割って入り、「冷静になれ」とか生意気な口をきいてくる。
人間がブチ切れる時間はせいぜい六秒だって知ってたか? 頭を冷やすも、最初に頭を掴み机にぶつけた瞬間には、俺は冷静さをいくらか取り戻していた。
そこからは自分の意思だ。
「くそがオラァ!」
ようやく立ち上がった三上が頭がイカれたのかってくらいに喚いた。
自分が何をしてこうなったのか、これっぽっちも理解していないようだ。殴っていいよな。
「どけよお前」
俺がモテ男を突き飛ばしたと同時に、後ろから俺の肩をグッと誰かが引き寄せた。
ぐらついた身体。振り返るとそこに立っていたのは三枝だった。
ヤツはこのクラスを仕切る番長的な存在だ。
まぁ今の時代、番長だとか古くさいし本人が意識しているわけでも誰かが番長だって言っているわけでもなかった。
ただ、実際そうなんだから他に言いようがないんだ。早い話が、クラスの誰もが一目おくヤンキーだってこと。
「お前らうるせぇよ。さっきから」
三枝は静かに言う。口調とは裏腹なギラついた眼は圧倒的な威圧感。
三上はさっきまでの威勢もどこへやら、少しばかり挙動不振になって黙りこくってしまった。
「悪い。カッとなって」
俺を見る眼から力が抜けたのがわかった。
「お前が切れるとか珍しいな」
「……別に」
どこか腑に落ちない様子で三枝はいう。
「まぁ、深くは聞かないけど喧嘩なら他でやれ。目障りだ」
「俺は三上が目障りだ。クソ野郎が!」
三枝の腕を振り払い、三上に詰め寄ろうとしたところを、羽交い締めにされた。
反応して俺を睨みつける三上。
モテ男を乱暴に振り切り立ち上がった三上は、三枝がいなかったらすぐにでも飛びかかってきそうな勢いで荒く息をしていた。
「やめろって! どうしちまったんだ」
キレ気味の三枝だったが、その口調からは少しの戸惑いも感じられた。
「どうもしねぇよ! 三上。お前、なんで立ってんだよ。派手にぶっ飛んで死ねばよかったのによ。
俺は手加減なんてしねぇからな。お前が死のうが関係ない」
三上はなにも言わなかった。ただ、俺を睨みつけながら肩で息をしていた。
モテ男は気まずそうに、散った机を片していた。
俺は帰りざまに三上の机を蹴り飛ばした。中身のぎっしり詰まった机は、派手な音とその中身をぶちまいて床に転がった。
「三上となんつったか、お前だよ。テニス部にイケメン。お前ら、気安く俺に話しかけんなよ。
友達じゃねぇんだ。お前らの顔見てるとぶん殴りたくなってくる」
俺は自分でもなにを言っているのかわからなかった。
ただ、まくし立てて感情をヤツらにぶつけないと気が済まなかった。
「聞いてんのか。クソ共が」
三上は何も言い返してはこなかった。最後に三上の椅子を蹴り上げ、俺はドアへと視線を向ける。
そこに立つのは櫻井だった。女子数人と帰り際にいざこざを目撃したらしく、ヤツはドアの前で呆然と俺たちを見ていた。
「お前が余計なことに首を突っ込むからこうなった。発言には責任てヤツを持たないとな」
泳いだ目。無言で後ずさりする櫻井を睨みつけ、俺は教室を後にした。
かすかに三枝が呼ぶ声が聞こえた気がした。気のせいかもしれない。
今は自分の呼吸音だけがやたらと耳に響き、全てがどうでもよかった。
俺はその足で修二たちに合流した。二人は委員会のなんだかで職員室に行っていたから、当然さっきのいざこざも知らないわけだ。
顔を合わせた途端、真っ先に違和感を察知したのは正文だった。
「お前、なんか機嫌悪い?」
ストレートな言葉。俺は頷くとともに、二人をひと気のない廊下の隅に促した。
「二人に謝らなきゃいけない。俺、サークルを続けられない」
唖然とした二人の顔。しばらく言葉が出てこないようだった。
「なんだそれ。バンド辞めるってことか? それともサークルだけが気にくわない?」
もっと感情をあらわにすると思っていたが、正文の口ぶりは落ち着いた様子。
怒るというよりは、少し不安げな表情だ。
俺はさっきの一部始終を話した。
今野の噂。
三上をぶっ飛ばしたこと。
あれだけの騒ぎを起こした俺は、サークルにとってマイナスでしかないってことも。
「なんだよ」
小さく呟いた正文が俺の肩にパンチを入れたのは、少しの沈黙の後だった。痛くはないけど、重めのやつ。
「悪かった。カッとなって・・・」
つま先に落としていた視線を上げると、二人は怒りを隠すことなく、俺をまっすぐに見ていた。
握られた拳。正文はそれを掲示物の貼られた壁にぶつけた。乾いた音。
「三上のヤロウ調子乗りやがって。くそ、俺も参加したかったなぁ」
「サークルに加入しなくたってバンドはできるよ。俺たちも拓海と同じことしてたと思う。
今日は完全下校だから、明日、先輩たちには話をしよう」
それは予想外の反応だった。この瞬間、俺の中の怒りは別の感情に取って代わった。
俺はなぜだか泣きそうになり、鼻から眼球の裏にかけじわっと圧がかかったような感覚を覚えた。
俺は涙をこらえ、悟られないようそっぽを向く。
二人が味方してくれたのは嬉しかったけど、それと泣き顔を見せるのは別の話。
だって恥ずかしいじゃん。
「ありがとな」
そう漏らすのが精一杯。これ以上は、声が上ずって涙声になってしまいそうだった。
正文が俺の肩に手を置いていう。
「気にすんな。お前の話を聞いてスッとしたよ。誰かムービー撮ってねぇかな」
冗談なのか本気なのかわからない顔。俺と修二の視線がぶつかり、俺たちは笑った。
そいつをビデオにして鑑賞会も悪くないって。
よかったら一緒にどうかな。
ポップコーンとコーラを用意して待ってるよ。




