第十話 五行を喰らう災厄
俺は、昨日からずっと考えていた。
――白い呪力。
陰陽寮で聞いた話によれば、俺の呪力は五行すべてを扱える可能性があるらしい。
木。
火。
土。
金。
水。
五つの気。
それをすべて内包しているから、俺の呪力は白く見える。
「……本当に、そうなのか?」
俺は一人、修練場に立っていた。
まずは一番簡単そうなものから試す。
「木行」
目を閉じる。
木を思い浮かべる。
青々とした葉。
大地から伸びる幹。
生命の気。
「……」
身体の奥にある呪力を、緑色に変えるつもりで集中する。
「――木行!」
ぱあっ!
手のひらから光が出た。
「おっ!」
緑色――。
……ではない。
「白い」
真っ白だった。
「もう一度!」
今度こそ。
「木行!」
白。
「……」
三度。
「木行!」
白。
「…………」
俺は頭を抱えた。
「全然できないじゃないか!」
昨日の老人は言っていた。
俺は五行すべてを扱える。
だが。
扱えるということと、使いこなせるということは全く違った。
「では、火行」
赤い炎を思い浮かべる。
「火行!」
ぼうっ!
白い光。
「……」
土。
「土行!」
白。
金。
「金行!」
白。
水。
「水行!」
白。
「全部白じゃないか!」
俺は叫んだ。
修練場の隅にいた学生たちが、こちらを見る。
「また晴蕪がやってるぞ」
「五行を一つずつ出そうとしているらしい」
「できているのか?」
「白い光が出ているだけだ」
「……五行を全部使えるのではなかったのか?」
「本人も分かっていないんじゃないか?」
うっ。
聞こえている。
「……」
俺は咳払いした。
落ち着け。
前世の知識を思い出せ。
光は、色によって波長が違う。
そして光を混ぜれば白になる。
ならば。
俺の白い呪力は、本当に五行が混ざっているのか?
「……だったら」
俺は右手を見る。
「一つだけ取り出せればいい」
白い光の中から。
緑だけを。
「木!」
白。
「……」
赤。
「火!」
白。
「…………」
青。
「水!」
白。
「……くそ」
まるで言うことを聞かない。
俺の呪力は。
全部まとめて白い。
まるで、
「俺自身が五行のごった煮みたいじゃないか……」
そのときだった。
「それでよい」
「え?」
背後から声がした。
振り返る。
昨日の老人だった。
「先生?」
「苦戦しておるようだな」
「はい……」
「当然だ」
老人は笑った。
「五行すべてを持つ者など、そう簡単に扱えるものではない」
「では、どうすれば?」
「一つずつ理解せよ」
「理解?」
「火を使いたければ、ただ赤を思い浮かべればよいというものではない」
老人は俺の手を指した。
「火とは何か」
「火……?」
「木とは何か。土とは何か。金とは何か。水とは何か」
「……」
「五行とは色ではない」
老人は静かに言った。
「世界を巡る気の性質そのものだ」
その言葉が、妙に胸に残った。
五行は色ではない。
色は、その性質を人間が分かりやすく表したもの。
そう考えるべきなのかもしれない。
木なら緑。
火なら赤。
土なら紫。
金なら黄。
水なら青。
それは五行の「姿」を表す色。
では。
「俺の白は……」
「五つすべてを含んでいる」
老人が答えた。
「ゆえに、一つだけ切り離すのが難しい」
「……なるほど」
だったら。
焦る必要はない。
一つずつ理解していけばいい。
そう思った。
その時だった。
「先生!」
修練場の入口から、別の学生が駆け込んできた。
「大変です!」
「何事だ」
「都の外れで、妙な現象が起きています!」
老人の顔が変わった。
「どのような?」
「田が……」
学生が息を切らしながら言う。
「田が、一晩で枯れました」
「……」
「まだ青々としていた稲が、朝になったらすべて茶色くなっていたそうです」
老人は黙った。
「他には?」
「火です」
「火?」
「昨夜、複数の家で囲炉裏の火が一斉に消えました」
「消えただけか?」
「いいえ」
学生の顔が青ざめる。
「火をつけようとしても、何度やっても燃えないそうです」
老人の目が細くなる。
「……まだあるか?」
「井戸もです」
「井戸?」
「水が濁って……腐ったような臭いがするそうです」
俺の背筋に冷たいものが走った。
田が枯れる。
火が消える。
井戸が腐る。
偶然とは思えない。
「先生」
俺は老人を見る。
「これは……」
「ああ」
老人が頷いた。
「五行が喰われておる」
その言葉を聞いた瞬間。
俺は懐に入れていたものを思い出した。
黒い石。
水晶玉の中から出てきた、あの石。
布に包んでいたはずなのに。
「……熱い?」
懐が。
妙に熱かった。
俺は慌てて取り出す。
「――っ!」
黒い石。
表面に。
細い亀裂が入っていた。
「先生!」
老人が石を見る。
顔色が変わった。
「封印が……」
「破れているんですか?」
「まだ完全ではない」
老人が石を見つめる。
「だが、確実に弱まっている」
「中にいるものが、五行を食べている?」
「そうだ」
老人は低い声で答えた。
「木の気を喰らえば、草木が枯れる」
「……」
「火の気を喰らえば、火が消える」
「……」
「水の気を喰らえば、井戸が腐る」
俺は息を呑んだ。
「では、土や金まで喰われたら?」
老人は答えなかった。
代わりに。
遠くから。
――ゴォン。
何かが鳴った。
地面が僅かに揺れる。
「……土か」
老人が呟いた。
そして。
「金まで喰われれば、鉱脈も、武器も、金属も、その性を失う」
「そこまで……」
「ああ」
老人は黒い石を見つめる。
「これは妖怪ではない」
その声には、明確な恐怖があった。
「五行を喰らうもの」
「……」
「世界を構成する『気』そのものを喰らう存在だ」
俺は黒い石を見る。
こんな小さな石の中に。
そんなものが封じられている。
信じられない。
「昔、何があったんですか?」
俺は尋ねた。
「どうして、そんなものを封印することになったんです?」
老人はしばらく黙っていた。
そして。
「わしの師匠が封じた」
静かに言った。
「その当時、都では異変が続いた」
老人の声が重くなる。
「田が枯れた」
「火が消えた」
「井戸が腐った」
「金属が脆くなった」
「土が死んだ」
俺は息を呑む。
「そして最後には――」
老人が俺を見る。
「人の身体からも、五行の気が奪われ始めた」
「……!」
「人々は立てなくなった」
「病気ですか?」
「違う」
老人は首を振る。
「病ではない」
「では……」
「世界から、生きるための気そのものが失われていたのだ」
ぞっとした。
それは疫病などとは違う。
世界そのものが死んでいく。
「師匠は、その災厄を倒そうとした」
「倒せなかったんですか?」
「ああ」
老人は頷いた。
「五行を喰らうものには、普通の術が効かぬ」
「どうして?」
「木の術を放てば木を喰らう」
「火なら?」
「火を喰らう」
「水なら?」
「水を喰らう」
「……全部、相手の力になる」
「そういうことだ」
俺は黙り込んだ。
なるほど。
それなら、強力な陰陽師ほど不利になる。
五行の力を使えば使うほど。
相手を強くしてしまう。
「だから、封印した」
「そうだ」
老人は黒い石を見つめる。
「五行を完全に断つことはできぬ」
「なら、封じ続けるしかない」
「ああ」
「では――」
俺は自分の手を見る。
白い光。
五行すべてを含む呪力。
「俺の呪力なら?」
老人が黙った。
「俺の呪力も、五行を使っています」
「ああ」
「だったら、俺の呪力も食べられるんじゃ……」
「違う」
老人は首を振った。
「おぬしの白い呪力は、普通の五行ではない」
「……?」
「五行すべてを内包しながら、どの一行にも属していない」
老人が俺を見る。
「だからこそ――」
そこで。
黒い石が。
突然、強く光った。
――バキッ!
「なっ!」
亀裂が広がる。
黒い煙が噴き出した。
修練場の空気が一瞬で重くなる。
「下がれ!」
老人が叫んだ。
俺は反射的に後ろへ飛んだ。
黒い煙の中。
何かが。
こちらを見た気がした。
目。
いや。
目ではない。
巨大な何かの「気配」。
それだけで。
全身の毛が逆立つ。
「……晴蕪」
老人が叫ぶ。
「手を出せ!」
「え?」
「早く!」
俺は言われるまま手を出した。
白い呪力が溢れる。
その瞬間。
黒い石が。
初めて。
俺の白い光に反応した。
――ゴォォォォン!
黒い煙が、白い光へ吸い寄せられる。
「これは……」
俺は目を見開いた。
老人も驚いている。
「まさか……」
「先生?」
「師匠が言っていたことは……」
老人の顔に。
初めて、確信が浮かんだ。
「やはり、おぬしだったのか」
「何がです?」
老人は震える声で言った。
「五行を喰らう災厄を――」
黒い石に。
大きな亀裂が走った。
「――終わらせられるのは、おぬしだけだ」
その瞬間。
黒い石の中から。
何かが。
笑った。
――くくっ。
俺は。
初めて。
本当の意味で。
恐怖を感じた。




