第一話 祝福を売りにきた人
登場人物の紹介
■リゼ
呪いの品も買い取る「夜窓質店」の若き店主。
呪いを糸のように見ることができ、祖母から教わった技術で、ほどいた呪いを別の器へ移し替える。
かつては神殿で査定の仕事をしていたが、祝福品の危険性を訴えたことで職を失った。現在は祖母の店を継ぎ、妙な品物と日々の帳簿に向き合っている。
仕事が好きで、もちろん儲けたい。ただ、頼まれると断りきれず、自分の食事や休息を後回しにしてしまうことも。
眠れない聖女にベッドを貸した日から、閉店前に髪を直すという習慣が増えた。
■エルナ
街を守る結界に力を送り、人々から慕われている聖女。
淡い金色の髪と薄緑の瞳を持つ、穏やかな女性。指輪に宿る「祝福」の影響で三か月も眠れず、夜窓質店を訪れる。
数字や人の話を覚えるのが得意で、困っている人には自然に手を差し伸べる。一方、自分の欲しいものを選んだり、疲れたと口にしたりすることには不慣れ。
おっとりして見えるが、言うと決めたことはまっすぐ伝える。絵札遊びでは、なかなか容赦がない。
好きなのは生姜飴と旅の本。リゼの店で過ごすうちに、自分のための小さな楽しみを見つけていく。
「私にかけられた祝福を、買い取っていただけますか」
閉店間際にやってきた女の人は、そう言って手袋を外した。
最初に見えたのは、指輪だった。
人差し指に銀の蔓が巻きつき、小さな白い石を支えている。石の奥では金色の光が揺れていた。火を閉じ込めたような光なのに、雨に濡れた彼女の指は青白い。
私は帳簿を閉じた。
「品物によります。祝福って、どういうものですか」
「眠らずにいられる祝福です」
「夜番の方?」
「いいえ」
「受験勉強?」
「それも違います」
淡い色の唇が、形だけ笑った。
「三か月ほど、眠れていないんです」
私は帳簿を閉じる前に挟んだはずの鉛筆を、床に落とした。
しゃがんで拾う。その間に顔を作り直して、椅子を引いた。
「とりあえず、お座りください」
「でも、そちらに閉店と」
「外からは営業中です」
裏返しかけていた札を、窓辺から手元に引き寄せた。
西門通りの端にある夜窓質店は、私、リゼが一人で切り盛りしている小さな店だ。鍋も指輪も婚礼衣装も預かる。お金を返してもらえれば品物を返し、期限が過ぎたら店に並べる。
ほかの質屋と違うのは、呪われている品物にも値段をつけるところだった。
たとえば客用の椅子。
「あ、右の椅子にお願いします。左は立てなくなるので」
座りかけていた彼女が止まった。
「……立てなく?」
「座ると居心地がよすぎて、気がつくと一日終わってるんです。腰が抜けるわけじゃありません」
「そちらでも、構わない気がします」
「構います。私が毎朝遅刻しかけますから」
女の人は、今度はちゃんと笑った。
その拍子に、濡れた外套の襟から金色の髪がひと房落ちた。耳の下でまとめているらしい。目は薄い緑色で、私とそう年も違わない。二十二歳の私より、少し上だろうか。
美人、という言葉が浮かんだあとで、なんだかひどく疲れている、と思い直した。
彼女は右の椅子へ腰を下ろした。濡れた裾を持ち上げる動きまで静かで、椅子の脚が床を擦る音のほうが大きかった。
「お名前を伺っても?」
「エルナです」
「リゼです。見てのとおり、店主をしています」
「存じています」
白い指が外套の内側に入った。
出てきたのは財布ではなく、四つに折られた紙だった。角は擦り切れ、折り目が何度も指でなぞられている。
開かれた紙の、最初の一行を見た。
喉の奥が、きゅっと狭くなる。
見覚えのある、右上がりの字。
『祝福品第三十七号。装着者から休息を奪う性質を認めるため、使用停止を進言する』
私の字だった。
「これを、どこで」
「神殿の資料室で。廃棄する記録を整理している方に頼んで、探していただきました」
紙の下には、朱色の判が押されていた。
判定誤り。
その隣に、細い字で査定補助職を解く旨が書き添えられている。仕事を失った日に何度も読み返したので、今でも一言一句覚えていた。
半年前の私は、ほとんど眠らずにこの報告書を書いた。おかしな話だ。人が眠れなくなる品物を危険だと訴えるために、自分の眠りを削っていた。
「読まれたんですね」
「はい」
「最後まで?」
「添付されていた、鼠の観察記録も」
私は彼女の指輪に目を戻した。
報告書を書いたときに調べたのは、神殿の書記官が使う腕輪だった。形は違う。銀細工もずっと精巧だ。それでも、白い石の内側を行き来する光には、嫌な見覚えがある。
「その指輪は、外せますか」
「三か月前までは」
エルナさんは薬指で、人差し指の銀を押した。
動かなかった。
「外そうとすると、指より先に、こちらが痛むんです」
空いている手が、左の胸元に触れた。
私は作業台の灯りを明るくした。
「お手を、こちらへ。まず見るだけです。まだ外しません」
差し出された右手を、布の上に載せてもらう。
雨の匂いに混じって、かすかに花の香がした。見た目に似合う上品な香りだったけれど、指の腹には小さな硬い傷がある。針仕事とも、剣を握る人の手とも違った。
袖がほんの少し上がった。
その下に、金色の線が見えた。
腕に描かれた模様ではない。皮膚の奥を、細い根のようなものが這っていた。
私は息を止めた。
「痛みますか」
「普段は、それほど」
「今は?」
エルナさんは私を見た。
「……少し」
もう一脚の椅子を勧めなくてよかった。
立ち上がる気力まで失くしてしまったら、この人はずっと、少し痛いとしか言わないかもしれない。
棚から黒い小皿と針箱を取った。一本だけ、穴に赤い糸の通った針を選ぶ。
「触れます」
「はい」
針の先を、石に近づけた。
金色の光が、ふっとこちらを向く。
普通の人には見えないらしい。私には、呪いが糸に似た形で見える。品物に絡んだ糸をほどいて、別の器へ巻き取る。祖母がやっていた商売を、私はそうやって覚えた。
器を選び間違えれば割れるし、触れてはいけない結び目もある。火を扱うのと同じで、見えるから安全というわけではない。
この指輪の中には、少なくとも三本の太い糸があった。
一本はエルナさんの腕へ。
一本は胸へ。
そしてもう一本は、窓の向こうまで続いていた。
雨にけぶる屋根の向こう、丘の上の大神殿へ。
私は針を引いた。
「あの。エルナさん」
「はい」
「失礼ですが、お仕事は」
彼女の目が、ほんの少し泳いだ。
店の外では、夕刻の鐘が鳴り始めていた。六つ。毎日聞こえる音だ。六つ目が鳴り終わると、石畳に埋め込まれた灯りが一斉につき、街の人たちは聖女様へ短い祈りを捧げる。
眠る間もなく私たちを守ってくださる、慈悲深い聖女様へ。
私は、作業台の向こうを見た。
エルナさんは視線を落とした。
「人前で、祈ったりします」
「ずいぶん大きく省きましたね」
「急に、お店から出されるかと思って」
鐘が鳴り終わった。
指輪の光が、一度だけ脈打った。
エルナさんの右手が強張る。すぐに力が抜けたけれど、布には五本の指が掴んだ皺が残った。
窓の外で、街灯がともっていく。
私は彼女の手を、布ごとそっと覆った。
「出しません。まだ、査定が済んでませんから」




