第1部 第6項
昼休みの終わり、教室に戻ろうとしたところで、担任に呼び止められた。
「小鳥遊。放課後、職員室に来なさい」
一瞬、時間が止まったような感覚になる。胸の奥が、冷たくなる。
――放課後。 人の少なくなった職員室は、昼間よりも静かで、紙の擦れる音やパソコンのキーボードの打鍵音が妙に大きく聞こえる。拓海先輩も同じように呼び出されていて、顔を見合わせながら先生の前に立つ。
「座って」
顧問でも担任でもない、生活指導の先生だった。
机の上には、特に資料らしいものはない。ただ、腕を組んでこちらを見ている。
拓海先輩と並んで椅子に座る。肩が触れない距離。でも、同じ方向を向いている。
「噂が入ってきた」
先生は前置きもなく言った。
「校外で、バンド活動をしているらしいな」
喉が、ひくりと鳴る。
「校則は知っているな?」
視線が、拓海先輩に向けられる。
「……はい」
拓海先輩の声は低く、落ち着いている。動揺を見せないのは、いつも通りだった。
「アルバイトも、校外活動も、原則は禁止だ。特にバンド活動は——」
「不良の温床、ですよね」
思わず口を挟んでしまう。先生の眉がわずかに動いた。
「……言い方は古いかもしれんが、事実としてトラブルが多い」
一拍置いて、先生は続けた。
「君たちが直接問題を起こしているわけではない。だが、すでに“話題”になっている」
――ルナだ。 はっきり名前は出されなくても、わかる。
「校内で他の生徒に話したな?」
視線が、今度は私に向く。
「……はい」
正直に答える。
「誰に?」
「……直接話したのは1年生の高橋ルナさんに。周りにクラスメイトがいたので、聞こえていたと思います」
先生は小さくため息をついた。
「その話が、巡り巡ってここまで来た。君たちが秘密にしていたということは、後ろめたさがあったからだろう」
拓海先輩が、そこで初めて口を開いた。
「全部、俺の責任です」
思わず拓海先輩を見る。
「俺が、小鳥遊さんを誘いました。全部俺が――」
「長谷川」
先生は拓海先輩を制する。
「責任を一人で背負えばいいという話ではない」
拓海先輩は口を閉じた。でもその横顔は、どこか覚悟を決めたようだった。
「今すぐ停学だとか、処分をするつもりはない」
先生は言葉を選びながら続ける。
「ただし、校外活動については事実確認をする。顧問、保護者にも話がいく可能性がある」
指先が、膝の上で無意識にぎゅっと握られる。
「それまで軽率な行動や発言は慎むこと。いいな」
「「……はい」」
二人同時に答えた。 職員室を出ると、夕方の廊下は驚くほど静かだった。 足音だけが、やけに響く。 しばらく無言で歩いたあと、拓海先輩が立ち止まる。
「……ごめん」
短い一言。
「俺が、もっと距離を取っていれば――」
「違う」
私は、思ったより強い声で遮った。拓海先輩が驚いたように振り返る。
「先輩が悪いわけじゃない」
息を整えながら言う。
「私が……話したのが悪かった。ルナに」
沈黙が落ちる。
「だから、距離を取ってたんだよな」
拓海先輩が、静かに言う。
「誰かを傷つけないために」
私は何も言えなかった。その“誰か”の中に、自分も含まれていたことに、今さら気づいてしまったから。
「でもさ」
拓海先輩は少しだけ視線を逸らす。
「それでも、音を一緒にやるのは……やめたくない」
その言葉に胸が熱くなる。
「私も」
短く、でもはっきり答える。 廊下の窓から差し込む夕日が、二人の影を並べて伸ばしていた。 距離は、まだ測り合っている。
でも、同じ方向を向いていることだけは、はっきりしていた。




