第2部 第3項
商業高校を卒業した大橋直子は、地元の印刷会社に就職していた。
経理部門で伝票を確認したり、請求書を処理したりする毎日は、地味だけれど確実にやりがいを感じる仕事だった。
ある日、会社のフロアで作業中の拓海を目にする。製造部門で忙しそうに機械の調整やチェックをしている姿は、学生時代の面影のまま、しかし少し大人びていた。
「まさか、同じ会社だったなんて……」
直子は思わず小さくつぶやく。全くの偶然だが、運命のいたずらのようでもあった。
部署は違う。直子は経理、拓海は製造。日常的に接点があるわけではない。
それでも、同じ会社というだけで、少し心が弾む。学生時代に知っていた人と、社会人になって再会する――それは、どこか不思議で、少し懐かしい感覚だった。
小学校時代、直子と拓海は同じ吹奏楽クラブに所属していた。
パートは違ったので、日常的に会話をすることは多くなかった。
しかし、演奏が始まると拓海のリズムキープ力が際立っていて、直子はいつも安心して自分のパートに集中できた。
高校での合同演奏のときも、拓海の頼もしさは変わらなかった。
部長としてドラムメジャーとして先頭に立つ直子の後ろで、雑務や準備を率先して引き受け、周囲を支えていた。直子にとって、あのときの拓海の存在は心強く、自然と信頼を置ける人だった。
直子は小さく笑った。あのころの安心感が、まるで昨日のことのように蘇る。
メグの告白の一件は残念に思うが、詳細は知らない。だから心の中で、「まあ、仕方ないよね」と静かに納得する。
再会は偶然だったけれど、昔の信頼感が今の職場でも自然とつながる。
直子は心の中で、少しだけほっとした気持ちを抱えながら、今日も仕事に戻った。
直子が経理のデスクで作業していると、スマホに一件のメッセージが届いた。
「拓海がライブでホーン隊を数人探してるんだって。良かったら参加してみない?」
送り主は、高校の合同演奏で仲良くなった工業高校の男子だった。
あのとき、拓海以外のメンバーとも自然に打ち解けて、楽しく雑談や練習を重ねた記憶が蘇る。
直子は少し驚きつつも、胸の奥が小さく高鳴った。
「そうか……ライブか。拓海君が、また誰かと一緒に音を作ってるんだ」
直子は吹奏楽一筋で、吹奏楽以外の音楽を深くは知らない。テレビの音楽番組で人気曲を聴くぐらいだ。今は、地元の社会人吹奏楽団に入ろうか迷っているところだ。
「……参加してみようかな」
自然と口をついて出た言葉に、少し自分でも驚く。
久しぶりの演奏のワクワク感が、すでに胸の中で弾んでいた。
昼休み。直子は軽くお弁当を手に取り、食堂の入口で一瞬立ち止まった。
「あ……」
製造課の拓海が、仲間たちと笑いながらお弁当を広げている。普段は忙しそうにしている拓海だが、昼休みの柔らかな空気の中では、どこか高校時代の穏やかさも漂っていた。
直子は小さく深呼吸をして、自分に言い聞かせる。
「こんにちは、直子です」
拓海は顔を上げ、ぱっと目を見開いた。
「お、直子! 久しぶり。どうしたの?」
直子は少し照れながら、スマホのメッセージを見せた。
「高校の合同演奏で一緒だった工業高校の子から連絡が来たんだけど……拓海君がライブでホーン隊を探してるって。本当?」
拓海の表情がにっこり緩む。
「そうだよ。少し手が足りなくてね。良かったら、手伝ってくれる?」
直子は心の中で小さくガッツポーズを作った。
「やった……!久しぶりに、拓海君と一緒に演奏できる!」
昼休みの食堂で、昔と変わらないワクワクが二人の間に流れた。
「ライブって、どんな感じ?」
拓海は笑いながら、手元の資料のようにスマホを操作する。
「STAR DROPっていうライブハウスでね、プラチナムーンとインシュロックの対バンだよ。その前座として、俺たちデルタが初披露するんだ」
直子の目が一瞬、大きく開く。
「どんなバンド?」
「プラチナムーンはライトロック、インシュロックはハードロック、デルタはミニビッグバンドかな」
「なにそれ、ミニなのにビッグ?」
直子はバンドの詳しいジャンルはわからなかったが、面白がった。
拓海は頷く。
「うん、でね、サプライズとしてホーン隊をフラッシュモブ的に呼び込むんだ。曲の途中で、突然ステージに現れて、華やかに盛り上げるイメージ」
直子は胸の奥が熱くなるのを感じた。
「私……そのホーン隊に入る?」
拓海はにっこり笑った。
「もちろん。直子の演奏、みんな喜ぶと思うよ。久しぶりだし、楽しもう」
昼休みの短い時間だったけれど、直子の心はすでにステージ上で音を奏でる自分を想像して、高鳴っていた。久しぶりに感じる、あのワクワク感。




