前日譚9
駅前の通りは、新学期特有の、少し落ち着かない空気に包まれていた。
結月は、校舎とは逆方向―― 駅のほうから歩いてくる人影に気づく。
(……拓海先輩)
制服の上着を羽織ったまま、少し俯き加減で歩いている。
出会いから一年。
学年は上がって、拓海は三年生。自分は二年生。
なのに。
(……なんか、変)
いつもなら、もう少し余裕のある歩き方をするはずなのに。
今日は、眉間にしわ。
完全に、困っている顔。
その理由は、すぐにわかった。
拓海の周りを、文字通り“くるくる”と回りながら、一人の女の子がついてきている。
「ねえねえ、拓海先輩~ 聞いてます?」
距離、近すぎ。
拓海は、逃げるわけでも、強く断るわけでもなく、ただ、歩いている。
(……嬉しそう、じゃない)
拓海が、ちらりと前を見る。
その視線が、結月に当たった。
一瞬。
――助けて、と言わんばかりの目。
結月は、思わず足を速めた。
「おはようございます、拓海先輩」
声をかけると、拓海の顔がはっきりと安堵に変わる。
「お、おはよう、結月」
女の子が、ぴたりと動きを止めて、結月を見る。
「……誰?」
少し、警戒した声。
結月は、にこっと笑う。
「同じ部活の、後輩です」
あえて、吹奏楽とは言わなかった。
拓海が、小さく頷いた。
「部の……大事なメンバー」
その一言で、胸のざわめきが少しだけ静まる。
女の子は、拓海と結月を交互に見て、唇を尖らせた。
「ふーん」
拓海は、咳払いをして言う。
「えっと…… もうすぐ、朝練の時間だから」
完全に、とってつけた嘘。
でも、女の子は一瞬考えてから言った。
「じゃあルナ、行きますね!また後で!」
そう言って、くるりと踵を返す。
去っていく背中を見送りながら、拓海は、深く息を吐いた。
それほど離れていないところから、モモがこっちを見ているのが見えた。
「……助かった」
「困ってたんですね」
結月が言うと、拓海は苦笑した。
「新入生。元気すぎる」
春の風が、二人の間を吹き抜ける。
新学期、一週間目。
結月は、なぜか胸の奥が少しだけ、落ち着かなかった。




